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I LOVE ヨシダナギ

ヨシダナギさんという写真家をご存知だろうか?

1986年生まれ フォトグラファー 独学で写真を学び、
アフリカやアマゾンをはじめとする少数民族や、
世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。
唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され
2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出
また同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞
以降、国内外の撮影やクリエイティブディレクションなども多数手がける。

出典:ご自身のウェブサイト(https://nagi-yoshida.com/)より

主に、【裸になってアフリカの民族の写真を撮る"綺麗すぎる"写真家】という知られ方をしているような気がする。どれも事実ではあるが、コアファンを自認する僕の立場にしてみると、そういう認識で好きな人たちと同じ括りにされるのは些か不満だったりもする。

「僕はよくある"綺麗すぎる"〇〇に釣られるような軽薄な男ではない。ヨシダナギさんの作品の色彩や生き方に魅力を感じるんだ」

と言いたいのだが、色々思い直してみるとその論調は少し苦しいかもなあと思わないでもない。

ある日、休日だったので二子玉川の蔦屋書店を散歩しながら本を買い込み、先進的な家電をどれどれと物色していたところマイクを通した人の話し声が聞こえてくる。どうやら、トークショーをやっているらしかったので、音のする方向に近づいてみた。

東京一年目だった僕は、どんな有名人・知識人がいるんだろう、と必要以上の期待を胸にそろそろと近づいてみると、Penの編集長らしき方とヨシダナギさんがスウッと座って静かな声で話していた。

まずはじめに正直に断って置かなければならないが、ヨシダナギさんのルックスは僕にとって非常に好みではある。というかど真ん中タイプである。見た目に惹かれてファンになったわけではないと言うが、見た目にも惹かれている。これが冒頭の僕の主張を苦しいものにするのだが、まあ仕方ない。本当なんだから。

そういうわけで、"誰だか知らない"人のトークショーに聞き入るきっかけは紛れもなく、ヨシダナギさんのルックスに惹かれ、興味を持ったからだ。全身黒の服に包まれたミステリアスな雰囲気も去ることながら、何よりも僕はあの綺麗な黒髪のショート?ミディアム?が好きだ。綺麗に切りそろえられたボブもモードっぽくて好きだし、伸ばしっぱなしのラフなスタイルも飾らない感じが綺麗な髪を引き立てていて素敵だ。

ところで、ああいう潔いスタイルが「男ウケが悪い」と言われる意味が全くわからないのだけれど、やっぱりマイノリティなんだろうか。余計なものを削ぎ落としてもなお人を惹きつけるものを「美しい」と呼ぶと思っているのだけれど、なぜか長く濃く不自然に伸びたまつ毛や、派手な色の爪、ふりふりとした装飾がついていたり、レースがあしらわれた洋服を選択する女性を好む人が多いような気がする。

ヨシダナギさんのルックスもとても好きなんだけれど、さらにその魅力を引き立てるのが、ある意味子供っぽい真っ直ぐな生き方だ。幼い頃に黒い肌の色に憧れたという原体験から実際にアフリカに行くという決断に至る純度100%の好奇心だったり、苦手なことはやらない、というかできないと言い切ってしまう潔さが、"他人"の距離感で眺めている僕のような人間を惹きつけるんじゃないだろうか。もしかすると、彼女の身内に当たる人達は、多かれ少なかれ彼女の潔さから発生する不都合を引き受けているのではないだろうか、と想像するのだけれど。

で、まあそういう潔い生き方が作品にも出ているのかどうかはわからないけれど、彼女の写真は色彩が美しくありながらも黒い肌を持つ彼らの魅力が一番に引き立つように作られているように思える。写真家でありながら「カメラの使い方をまだよく知らない」と言う彼女は多分、現地に赴き、被写体を美しく見せることにしか興味がないのだろう。

僕は写真についてはよくわからない。

僕がちょうどヨシダナギさんに惹かれだしたタイミングで、渋谷のパルコで個展をやったり、本を出版されたりと露出が増えてきていた。絵に描いたようなニワカファンだったわけだ。個展に行ってみるとディスプレイ上でみるよりも断然迫力がある写真が並んでいて、その世界観に引き込まれた。しかもラッキーなことに、ヨシダナギさんご本人がいらっしゃったので、一緒に写真を撮ってもらった。舞い上がった僕はその場で出版されたばかりの本を買って、宛名入りでサインまでもらった。完全なミーハー具合に流石に自分でも驚いた。

彼女の作品は、「編集されすぎている」などと言われることもあるようだけれど、「被写体が美しく見えるならそれが良いに決まっているじゃないか」とでも言うような芯の強さが垣間見えて僕は好きだ。

見た目だけじゃなく、潔い生き方に惹かれたという文脈でヨシダナギさんへの愛を認めるつもりが、なんだか表層的な見た目の美しさにフォーカスした内容に捉えられてしまうかもしれないなとここまで書いてみてふと思った。多分こういうのを駄文と呼ぶのだろう。

生き方は見た目に出る。

なんて言うけれど、この主張について僕は概ね同意している。潔い人はやっぱり潔い身なりをしているし、主張が激しい人は主張が激しい身なりをしているものだと思っている。少なくとも、僕の経験上、「素敵な身なりだなあ」と思った人に素敵じゃなかった人はほとんどいないように思う。「こいつの格好はイケすかない」と思っても喋ってみるといいやつだった。ということは結構あるのだけれど。

ルッキズムなんて言葉もちらほら出てきて「見た目で人を判断するな」なんて言われることもあるけれど、人相や服装と人格の相関をある程度の精度で見分けられる人は、見た目で人を好きになるのは良いんじゃないかなと思う。もちろん、見た目が嫌いだからと言って人格を嫌いになるような歪んだ生き方をするのは推奨しないけれど。

何か、あるいは誰かに興味を持つ導入として、見た目から入るのは個人的には悪いことだとはあまり思わない。特に、視力が発達している人間が視覚を頼りにいろんなことを判断するのは自然な話だと思う。肝要なのは、何事も興味を持ったらあらゆる角度から対象についてよく知ること、その上で判断することなんだろう。当然のことだけど。そういう意識を持つことが穏やかに生きていくためには、割と重要なんじゃないかなと最近強く思う。

それはまあともかくとして、今日の趣旨は何より「I LOVE ヨシダナギ」これを表明することなのだ。

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