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1on1面談について思うこと

#将来の自分に向けて

コミュニケーションの主体は聞き手

「コミュニケーションってさ」Rさんは言った。「内容とか時間とか色々な要素があるけれど、結局回数だと思うんだよね。何を話してもいい。とにかく月1回話す。これが大事なんだよ」

この考え方は私にとって新鮮だった。

逆のことを思っていたからだ。私は大学生のころ、自分が生きていく中で行うあらゆることには決められた回数があると思っていた。食べること、話すこと、見ること、聞くこと、歩くこと、走ること、泣くこと、喜ぶこと。私は本当に話したい人としか話さなかった。回数が決められているのにもかかわらず、無駄遣いはしたくなかった。

私が話すたびに持っている回数券が1枚づつ消費されていき、全部なくなったら誰とも話せなくなってしまう。そう考えていた。

もう一つ、重要なことがある。

循環させるということだ。巡る。血は体の中を循環する。金は世の中を。そしてコミュニケーションは人と人の間をまわる。

コミュニケーションが野球ボールだとしよう。このボールを相手に投げることで、自分の気持ちを相手へ届けられる。受け取ることで、相手の気持ちを知る。この場合、どちらが主体だと言えるだろうか? 
私は受け取る人だと信じている。投げる人は受け取る人がいなくても投げられる。特に今の時代は。インターネット上のありとあらゆる場所で、ボールを投げることが可能だ。受け手がいるかどうかは知ったことではない。

誰もが24時間勤務のポストマンになれる。インターネットという海へと漂流した手紙は、波に乗せられてどこかへ流れ着く。幸運なことに、手紙が人の手に渡ることもある。さらに運の良いことに、中身を読んでくれる数奇な人もいるだろう。そして反応してくれるかもしれない。笑ったり、驚いたり。

コミュニケーションの主体は受け手である。聞き手である。

本当の問題は、話を聞く人が不足していることなのだ。本当に話を聞いてくれる人が。

聞くことの循環

『聞く技術・聞いてもらう技術』という本がある。

話を聞くためには、まず自分が誰かに話を聞いてもらう必要があるのだ。聞いてもらう技術を身に着けていない人は、話を聞けない。話を聞いてもらい、そしてまた、誰かの話を聞く。次に出会う人へ自分の話を聞いてもらい、明日には誰かの話を聞く。

聞くが循環する世界。

話を聞いてもらう場、それが面談だと私は思う。1on1面談のなかでチームメンバーと話をする。チームメンバーに話してもらう。私は聞く。だから、メンバーは日常の仕事に戻ったときに、他の人の話を聞くことができる。私が話を聞き、聞くことを循環させたからだ。そして、メンバーが自分たちのプロジェクトメンバーの話を聞き、そうやって聞くことが私を超えて循環する。

循環というのは強力で、一度ぐるぐる回りだすと止めることは容易ではないし、逆の回転にすることも難しい。聞かないことが循環している中で聞くことの循環にすることは大変だ。

だからこそ、どこかで無理やりにでも時間を設ける。私がメンバーの話を聞く時間を作るのだ。
聞かないことの循環にブレーキがかかり、聞くことの循環に加速が生まれる。

内容は何でもよい

心の中に浮かんでくるであろう何気ないことを話せばよい。

今日の昼ご飯。夜ご飯。最近食べておいしかったもの。まずかったもの。よく食べるお菓子。仕事中によく飲む飲料。子供のころから大人になってどういう風に食生活が変わったか。栄養バランスで気を付けていることはあるか。好きな食べ物。どうしてそれが好きなのか。どういう風に食べるのが好きか。

食べ物系だけでもこれだけある。最近印象深い出来事や誰かに話したいことってありましたか、と聞いても良いだろう。

大抵の人はあなたに向けて話を始めてくれる。

話が盛り上がる必要はない。お笑い番組の収録ではないのだから。無理に笑う必要もない。頷けばよろしい。相槌を打つことだ。

沈黙に耐えるようにしよう。沈黙とは、高く飛びあがるためにしゃがみ込んでいる状態だ。これからどんな話をしようかと、相手が考えている時間である。悲観する時間ではないし、回避するものでもない。時計の針を見ていれば、それほど時間が経過していないことに気付く。

助言は聞かれるまで待つ

大抵の場合、あなたの助言はタイミングが悪い。それはあなたが助言したいときにしているからだ。助言はあなたが満足するためにすることではない。助言を受ける相手のためにすることである。

では最適なタイミングとはいつなのか。それは相手が助言を求めてきたときである。「すみません、ここの部分について相談したいのですが」と言われたときだ。
そのタイミングでは、助言を受ける相手は全ての準備が出来ている。聞きたいこと、聞く心構え、聞くための時間、筆記用具、など。そのときになって初めて、あなたは助言をする権利を得る

誰かに対して助言する権利は、誰も持っていない。助言を受ける権利を持っているだけである。権利の無いところで行う助言は、指示命令と何ら変わらない。つまり無機質で、高圧的で、絶対的なのだ。それは言葉の刃になる。助言とは真逆の性質である。

助言を求められたとき、あなたにとっては最適なタイミングではないことが多いだろう。時間がない、知識が足りない、技術が足りない、教え方が分からない、など。

ここで考えてみよう。あなたは誰かに助言したいと思っているだろうか?
自分が働くチームの中で、誰かのためになりたい、誰かの役に立ちたいと思っているだろうか? もし、そう思っているのならば、どうして「時間がない」や「知識・技術が足りない」というある種の言い訳を持ち出すのだろうか。こういった言い訳が心の中に浮かんでいるのならば、あなたは嘘をついていることになる。つまり、あなたは誰に対しても助言をしたくないのだ。

助言をしたくないのならば、助言をしてはいけない。自分が満足するために披露される知識や技術を助言とは言わない。

助言をしたいと思っている人でも、タイミングが悪いときはある。お腹が痛くてトイレへ駆け込もうとしているときがまさにそうだ。そういう時は条件を返す。自分がタイミングの良い時を知らせるということだ。

「ごめん、ちょっと今日は忙しくて。明日の10時から12時なら大丈夫だし、明後日ならいつでも大丈夫だから、そこらへんで話さない?」

と言えばよい。あるいは自分のスケジュールへ「火曜日の午後は相談・雑談歓迎」とでも入れておけばよい。

話し手を想って聞く

自分の頭の中で余計なことを考えていると、相手の話を聞くことは出来ない。
話し手を想い、相手の話を聞こう。
面談をしてよかったと自分が思うのではなく、面談をしてもらってよかったと、相手に思ってもらえるような面談にしよう。

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