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「女ぎらい~日本のミソジニー」を読みました。

 宮台真司さんっていう、社会学者の人がいらっしゃるんですけど。よく「ウヨ豚とクソフェミ」とかおっしゃいます(笑)

 割とリベラルっぽいし、よく社会批判とかしてる方だと思うんですけど、どうしてまた「ウヨ豚」の人が良く使う「クソフェミ」って言葉を連呼するのかな?とか、不思議に思ってました。
 しかし最近、フェミニズム系の本をちょくちょく読んでみてわかりました。この宮台さんの往年の大ヒット作「援助交際」の研究が、フェミニストによって、もぅのすご~く批判されてるんです。
 「ただのおっさんの妄想」とか言われてます(笑)

 要するに「買う」側のおっさんが、「買われた」少女が「自ら望んで売ってる」しかも「それを楽しんでいる」と妄想することによって、自分を正当化している、てなことのようです。
 自分の代表作がそういう風にボロカス言われてたら、そりゃこうなるわな。(おっさんをいくら批判しても反省は引き出せない。って証左でもあるようです(笑))

 まあ、そういう話が延々と書かれているのが「女ぎらい」(上野千鶴子著)って本ですが。
 
 私個人としては、上野さんはあんまり好きじゃないんですけど、一応上野さんはやっぱりなんといっても日本のフェミニズムの第一人者であることは確かなので、そのためいくつか本を読んでいます。昔、岩波から出た全集とかも持ってて、これは全巻、上野さんが監修しています。

 そんなわけで、好きじゃないとか言いつつもフェミニズムの本を読む上では、上野さんを無視することができないのです。 

 しかし、最近は「おひとりさまの老後」みたいな本を読んで、アホちゃうか。とか思ってから全然彼女の本を読んでいませんでした。
 「親の介護は嫌だったからしなかった」
 とか、そこに書いてあったような気がするんですけど、ちょっと以前に「介護の現場」をフィールドワークしています。とかいうのを「情熱大陸」でやってて驚きました。
 なので、何でこの人はこんな、自分の本に書いてることと相反する「偽善者」みたいなことをちょくちょく平気でするんだろう?とか不可思議に思っていました。

 もしかしてサイコパスなのかしら?(笑)

 でも、この「女ぎらい」って本を読んで、何となくわかりました。上野さんは、ネットではネトウヨさんに叩かれまくっていますけど、ネトウヨさんってネット限定じゃないですか~(笑)
 実社会では彼女は東大名誉教授で、地位も名誉もある偉い人で、収入もそこそこ「偉い男性並み」にあるし。明らかに「普通の女性」とは違います。なので「普通の女性」だった記憶は、すでに3,40年前のことを呼び起こすしかないんじゃないでしょうか。

 だから、「現在を知る」ためにはフィールドワークに頼るしかない、って言うことなんだと思います。
 そんなわけで、この「女ぎらい」で書いてある事項のうち、
「現在」のことは誰かがどこかで書いたことを引用してるだけだし、
彼女の作った理論に関しては3,40年前のことだったりします。(ちょっと擁護すると、本自体は10年ほど前の本です)

 おいおい、今更「東電OL事件」かよ。それ、1990年代の話と違うんかいな。
 とか(笑)
 あとは、懐かしのフーコー・ドゥールズ・デリダ。とか。ポストモダンとか流行したのって、1980~90年代とちゃうんかいな…。

 あ。そういえば、上野千鶴子の本って、やたら性器の名前を連呼して下品、とか言ってるネトウヨおじさんとか居ましたけど、フーコーの「性の歴史」とか読むとそれこそ、フーコーが毎ページのように連呼しまくってたので、あれの影響ってことだったのかな?とか、この本を読んで、やけに納得しました。

 そんなわけで「女ぎらい」って本。どっかで聞いたような話と、大昔の話ばかりです。一般書で、ただの読み物なのかな?とか思いながら読んでいると、いきなり少し難しい話になったりして、ときどき教養のない人を振り落としています。
 ただ、ひとつ気づいたんですけど、現代の話のパートがどうやら今のフェミニストの研究とか本とかの紹介になってるようです。
 
 最近、よくリッキー・マーティンさんが今売り出し中のラテンポップの歌手たちとコラボして曲を出してるんですけど、これっておそらく、これらの歌手を世界に紹介する目的があると思うんですよね。
 同じようなことを上野さんもしてる、ってことなんじゃないのかな~?

 とか思いました。
あと、上野さんの本はもう読まなくていいかな。と思いました。

 

 

 

 

 

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