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The Esthetic Sense Column No゜1

昨日の事。

新年の挨拶も込めて、
僕はいきつけのカフェに居た。

打ちっぱなし建築の影響か
どこか寒さの消えぬ店内で
冷めきったラテを時折、口に含みながら、
AIで画像生成を楽しんでいた。

偶数しかない椅子を鑑みて、
できるだけ邪魔にならぬよう
窓辺の角の席に居座っていたが、
少し店内もざわつき始め、
このダブルのライダースにスキニー、
挙句、レオパード柄のスニーカーを履き、
何やら、女性の画像をいじくっている
如何わしさを所狭しと漂わせている僕の横にも
人が座らざるえない状況となっていた。

そこにやってこられたのは2名の女性。
なにやら、男性の話や整形のお話をされている。

「女性はこんな話をされているんだな」
と、少し恐怖にも似た感覚で
否が応にも聞こえてくる言葉の端々を
切り取っていた。

その断片から推測したのは
外観的「美」の話。
美容であったり、整形であったり。

たしかに外観的「美」も大切だとは思う。
しかし、僕が気になったのは、
そのお二方の発する言葉達であった。

お口(話す言葉)が凄まじく汚い。

この場には適さないトーンで
これが女性の発する言葉なのか?と、
耳を疑う言葉使いと
「キモい」「ウザい」「飯」など
女性的表現ではないものや、
品性のない言葉を乱発されていた。


少し話をずらす。

とある、アニメ化された漫画で
このような台詞がある。

「狼は美しい。
 無駄がない強い生き方だから、
 美しい姿になる。
 強さと美しさは一緒です。」

そこから僕が感じ取ったのは、
その凛とした姿勢や
美しい白銀の毛並みは
彼らの生きる姿勢や心持ちが
外見へと昇華されたのではないのかと。


話を戻す。

僕は言葉とは
その方々の心持に起因するのではと
思っている。

この方々は、外観の「美」を
めっぽう気にされている。
それはそれでいい。

だが、
その言葉が発されてしまう
心持にも目を向けるべきなのではないかと思う。

その方々を目に写した訳ではないが
外観を気にされているのだから、
きっと美しい面持ちやお姿をされているのだと
推測する。
だが、目に写す気にもなれなかった。
たとえ、そうだとしても、
僕には、もう、美しいとは思えないのが
わかっていた。


時折、こぼれる美しい気品のある言葉群に、
僕は「美」を覚える。

人を思い遣る姿勢に、
僕は「美」を覚える。

持って生まれたものなぞ、
付け焼刃にすぎない。
そんな方々は、
髪や瞳艶めき、美しく輝いている。
まるで、狼さながらに。


これがヘッダーの画像の全体です。
最近、「美意識」という題名で生成した画像にフォントを配置して、
勝手にファッション誌を作って遊んでいます(笑)

僕が美しいと感じた画像や日々感じた事を投稿しています。
よければ、ご覧ください。


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