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7歳、真夏の大冒険(旅をさせた可愛い子のその後 編)

「7歳、真夏の大冒険」のまとめとして、私が思っていることを書いてみます。

本編はこちらです。

そもそも、なぜ母は小1の私をANAの企画だったとはいえ、一人で石垣島に行かせたのでしょう。

私には、甥っ子姪っ子がいますが、彼らが小1の時に果たして、私と同じように「行く」と言っただろうか、親がそれをさせただろうかと考えると、答えはノーです。
なので、その辺を母に聞いてみました。

私「どうして、数か月前まで園児だった娘を、一人で石垣まで行かせようと思ったの?どう考えたってやってることクレイジーだよ。笑」

母「え?対象年齢がね、7歳からだったの」

えー、意図しない回答でした。
何か「思い」的なものが聞けると思いきや、捻りのない答えに、完全に肩透かしを食らいました。

でも、ネットもなく、飛行機とは縁のない家庭で、そんな情報が入るわけないのです。
すると、当時両親が働いていた会社の社長の奥さんが「まめよしちゃん、しっかりしてるから行かせてみたら?」と勧めてくれたことがわかりました。

まだ、「社員は家族だ」という文化が根強かった時代の、根強かった会社です。社員の家族も、みんなよく知っていました。

奥さんは、「あの子ならいける」と思ってくれたのでしょう。奥さんは何かにつけてかわいがってくれる方でした。

だから、それを聞いて、母は私を一人旅に出してくれたのです。

まだまだ飛行機が高級な交通機関だった時代でした。LCCなんかないし、たぶん7歳一人でも往復10万以上したかもしれません。

全く裕福ではない家庭で、ひとりにかける出費としては大変なものだったと思います。それでも行かせてくれた母には、今でもめちゃくちゃ感謝しています。

「可愛い子には旅をさせよ」をリアルガチで実践した、偉大な人物です。

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このひとり旅には、1年後の後日談があります。

翌年、年子の妹(7歳)を連れて今度はふたりで石垣へ行ったのです。ここで驚くのは、私(8歳)が1年前の自分の経験からしっかり学んでいたことです。

妹と無事に那覇空港に到着すると、空港のお姉さんにチケットを見せて、「もう1回乗ります」と伝えたのです。で、搭乗ロビーまで連れていってもらいました。

1年前に乗り換えを経験していたからこその行動でした。

この2度の旅が、自分の人生の中で、ダントツで成長した瞬間だったと思います。バキバキと音を立てながら自分が大きくなった感じがしました。

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もちろん、誰もができる経験ではありません。
これはn=1の経験談として話しています。

ただ、30年以上前のことなのに、これだけしっかり記憶として残っていて、体中で何かを感じた経験ができたことは、宝物以外の何物でもありません。

私の人生の中で、血肉となる経験はいくつかあります。
でも、始まりはここにあると確信しています。

当時の私に、まわりの大人がくれたものは、お金だけでは替えられない経験でした。

それは大人になってからも活きています。
私は、甥っ子姪っ子にはあまりモノをあげないようにしています。できるだけ経験という「コト」をプレゼントしようと考えることが多いです。

どうしても親の心配があって、実現しないこともありますが、自分が考えるだけでもすごく楽しいです。

親ではない、時々しか会わない大人だからこそ、提案できること、協力できることだってあるんじゃないかなと思います。
ひとり旅を勧めてくれた、社長の奥さんのように。

可愛い子には旅をさせたら、こんな大人になりましたとさ。

おしまい

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