道徳的思考①

道徳の収束方法が法であり、神である。
その原初の求め方は非認知領域の認識能力を高める事で他者理解を深めて意見を一致させる事。
(非認知領域の認識能力とは、物語の中の登場人物の感情を読み取る能力と仮定する。)

非認知領域の認識能力が高ければ高い程、多くの人達を集団中に入れる事が可能。

例えばトロッコ問題を考えてみると、もしレールを変えても変え無かったとしてもその集団内の全員が納得していれば(収束している)問題ありません。

しかし例えどんなに非認知領域の認識能力が高くてもしてはいけない事(欠陥)があります。
その欠陥は他者に対して“断定”は絶対にやってはいけない。
それは妄想であり、結果に重大な誤ちを生じさせる。

他者に対して分かっている“つもり”は“つもり”であって、貴方自身は他者と同一では無い。(完全な相互理解はあり得ない)
つまり完全な形で宗教を統一する事は不可能であるしやってはいけない。

もし無理矢理相互理解を推し進め様とすると、他者の排除に繋がり、やがて集団の崩壊に繋がる。(完全相互理解の不可能性)

認められるべき点は多様性であり、集団を適切に分ける事である。

集団内は個人が納得出来る法で構成されており、もし納得出来ない場合はその集団を出る必要がある。

集団の外側については法の範囲外であり、そこに自己の信じる神(法)を適用する事はできない。
しかし、論理的合意(法の普遍性)が得られる点についてはその限りでは無い。

この辺りの理解が現代社会・現在起きている問題に足りていない部分であり、私が補完を試みている部分でもある。

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