その時自分史が動いた__12_

弁護士という道を、波のためにあっさりと捨てた男。#8. パンチョ(ペルー)

#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら

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「勤務先のオフィスは、ペルーにしては珍しい高層ビルの22階にあって。
その日僕は支社長の部屋で、本人に向かってこう伝えたんだ。

『支社長、僕、この会社を辞めようと思っています。自分で起業をしようと思っています。とにかく、サーフィンがしたいんです』

彼には、止められた。自分がいかにこれまで実績を積み上げてきたか、そして僕の弁護士としてのキャリアにいかに期待しているか語られてね。

『あと10年ここで働けば、これが手に入るんだぞ』
支社長はそう言って、世界をモノにしたかのように両腕を広げた。
だから、その腕の先に何があるのか見てみたら、白い壁と、小さな部屋と、オフィス家具と窓だけだったんだ。そしてその窓の向こう側には、海が見えてね。その日は、特別に最高の波が来ていた。

『ありがとうございます。まさにそれが、僕のほしくないものなんです』

僕は、こっちじゃなくて、窓のあっち側にいたい。資料の山に溺れるよりも、波に乗っていたかったんだよね。
そう言い切った僕に、彼は怒鳴った。出ていけ、と。だから、その通りにしたんだ。」

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ペルー・リマでの最終日。おしゃれなライブバーの集まるバランコという街で、パンチョと待ち合わせをした。

元々は、久しぶりにビールでも飲もうか、という程度の予定だった。パンチョは、2016年にリマ駐在をしていた頃に夫・竜太郎が知り合った、「エル・ドラゴン」というライブバーのオーナーだ。
始めて足を運んだとき、お店の至るところに愛情が込められているのがすぐ分かったし、何よりも最高すぎる音楽が流れていたのだ。あまりに気に入りすぎて「オーナーは誰だ?」と聞きまわった結果、出会ったのがパンチョだった。
二人は、多くの有名アーティストがこぞってパフォーマンスをしに訪れるようなこのカルチャーベニューで、これからの夢や様々なアイデアについて語り合った。アジアにエル・ドラゴンをもっていきたいね、という話まで。「自分に素直に生きたい」という考え方で意気投合したのだろう。

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そんなパンチョと久しぶりに会い、色々と話を聞いていくうちに、気持ちを抑えきれなくなった。発信しないとあまりにもったいなさすぎる話だったので、とっさに「記事を書かせてほしい」とお願いしていた。
その結果実現したのがこちらの記事。パンチョの勢いある人生ストーリーから、是非元気をもらってほしい。

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「人生って、サーフィンみたいなもんだと思うんだ。
最初は、海に向かってパドリング。死ぬほどつらいこともあるけど、そうしないとそもそも沖に出れないんだ。波が良いときもあれば、荒すぎるときや何もないときもある。波に乗れた!やった!と思ったら、次の波では派手にこける。それでも、挑み続ける。絶対に止まりはしない。一瞬一瞬にしっかり向き合っていないと、波に飲まれるから。」

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初めての仕事は、トイレ掃除だった。母親は、泣いていた。

「18歳の頃。僕は、法律を勉強する大学生だった。でも、学費が払えなくてね。どうにかしなきゃいけないなーと思っていた時に、今度新しくオープンするクラブでのバイト面接に行ってみたんだ。クラブ界の神様みたいなアメリカ人の男性が経営しているところだった。彼は、もう60代のベテランだったんだけど、本物のプロだった。このビジネスについて、すべてを彼から教わったんだ。

ただ、バイトの初日、彼から言い渡されたのは『トイレをピカピカにしておく』という任務だった。かなり広いトイレでね・・・何時間もかけて、男女のトイレを隅々まで掃除する日々が始まったんだ。いやあ、辛かったね。

というのも、僕は、それなりに裕福な家庭で生まれ育ったんだ。小学校から私立の学校だった。で、このクラブは、僕の昔からの仲間がみんなこぞって集まるミラフローレス地区にあった。つまり、本来だったら僕だってゲストとしてパーティーを楽しむ側の立場だったはずなのに、なぜかそのパーティーの後始末をする側に立っていたわけだ。

僕は当時家族と一緒に住んでいなかった。家庭がかなりきつい状況になっていて、母に家から追い出されていたんだ。完全に見捨てられたわけではなく、ご飯を持ってきたりサポートはしてくれていたけれど、自分の生活費や学費は自分で払わないといけなかった。でも、そんな母や姉妹までも、知り合いづてで僕がここで働いていることを聞いたときには、泣きながら懇願してきた。お願いだからやめてくれって。」

ペルーの貧富の差は激しい。
人種差別をしたいわけではないが、往々にして、主にヨーロッパからの移民を祖先にもつ富裕層はものすごい豪邸に住み、先住民の祖先をもつインカ系の人々の多くはまだトタン屋根の家で生活をしながら、お金持ちのお手伝いさんとして働いていたりする。だからこそ、富裕層出身のパンチョの親にとっては、息子がトイレ掃除をしているだなんて、許しがたいことだったのだろう。

「でもね、ボスは、理由があってこの仕事を僕にやらせていたんだ。ビジネスで成功したいのであれば、どの裏にどんな仕事があってどんな人が関わっているかを知っておかないといけない。(ここでパンチョはおもむろに、テーブルの上の食べかすを拭き、残ったお皿を積み重ねながらこう言った:)こういうことを、自分でできるようになっていないと、ダメなんだよ。ゼロから始めないといけないんだ。

朝の5時までトイレ掃除をして、大学までのバスで睡眠をとって、8時からの授業に出席する。そんな日々を続けていた。バイトの給料は、月800ドルで、当時にしては高収入だった。友達の父親が泊まれる部屋を貸してくれていたから(代わりに20匹の猫の面倒を見ないといけなかったけど笑)、家賃はかかっていなかった。だから、なんとか生活をしながら、少しずつ学費をためていくことができたんだ。そして、同級生よりは何年も多くかかってしまったけど、25歳の時に、法学部を無事卒業し、弁護士としてデビューすることができた。」

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皆が憧れる人生のスタート

「就職したのは、PwCという会計系のグローバル企業。僕の世代にとっては、それがゴールだったんだよ。誰もが知っている大きな企業に入り、安定した仕事をしながら出世していくということが。だから僕も、ゴールを達成できたというわけ。

でも、ハッピーじゃなかった。

オフィスは22階にあってね。その高さは、東京では普通かもしれないけど、リマだと珍しいんだ。僕のデスクからも、リマ市内を展望できてしまってね。当然、サーフスポットもものすごい綺麗に見えたんだ。
だから、法律書とビジネス書が天井に届くくらい積み重なったデスクの上で、本当はパソコンと向きあわないといけないのに、どうしても横を向いて波の様子を確認しちゃってたね。そっちの方が気になっちゃってね。分かるだろ?

それである日、もういい、って思ったんだ。銀行や保険会社のことなんて、どうでもよくなった。誰のために働いているのかすらよく分からなかったしね。だから、支社長の部屋にいき、本人に向かって、こう伝えたんだ。

『支社長、僕、この会社を辞めようと思っています。自分で起業をしようと思っています。とにかく、サーフィンがしたいんです』

出ていけ、と怒鳴られた。だからその通りにしたんだ。すべてを会社に置いていったよ。仕事はもちろん同僚に引き継いだけれど、それだけじゃなくてすべての書類やお気に入りのペンまでも。
そしてその晩は、真っ暗になるまでサーフィンをしたんだ。」

「サーフィンがしたいから退職します」なんて言える人は他にいるだろうか。思わず、「本当にそんなこと言ったの?」と聞き返してしまった。すると、「もちろん。真実を伝えないといけないからね。真実を言えば運が返ってくるんだよ」と。思わず唸ってしまう答えだった。

それにしても、周りがみんな大企業の道を進もうとしている時代に、なぜ、そんなことを言える勇気があったのだろうか?

なぜかって?人生が短すぎるからだ。

「僕にとってのターニングポイントは、父親が亡くなった時だった。
僕が14歳の時に病気になり、18歳のときに死んだ。かなり衝撃を受けたね。それで学んだんだ、人生は短いんだっていうことを。何かを待っている時間も、無駄にできる時間もないんだっていうことをね。

その経験が僕の根幹にあるからこそ、会社にこれ以上長くいてはいけないと察したんだ。上司や友達がどんな風に『成功』を定義しようと、自分にとっては当てはまらないんだと気づいたし、それに気づいた瞬間に、行動に移さなきゃいけないと確信した。だからこそ、ああいう風に退職の意思を伝えるのは、別に怖くはなかったね。

そして、そこから、エル・ドラゴンをつくったんだ。

まずは、自分ができそうなことから始めようと思って。それが、イベントを開催することだったんだ。
かつて、大学時代に、友人と一緒にパーティーを開いたことがあった。音楽とお酒とダンスと。結果として、実はものすごい大損をこいちゃってね。そういう意味では大失敗だったのかもしれない。でも、あり得ないくらい楽しかった。あまりに盛り上がったもんだから、来てくれた人たちは皆、またやってほしい!と言ってきた。だから、自分たちにとっては、大きな成功体験になったわけ。
しかも、さっき言ったように、ミラフローレスの人気クラブで働いた経験もあった。「クラブ界の神様」がメンターとして色々教えてくれていたから、これだったら自分でもできるんじゃないかと感じたんだ。

最初の数年は、屋根のないバーだったんだよ(笑)。ちゃんとした建物にするだけのお金がなかったけど、だからといってやらないわけにはいかないしね!でもそれからスポンサーを見つけて、徐々に成長していって、次はビーチ沿いのプンタ・エルモーサにも拠点を作って。ブラジルにも展開して。
一歩ずつ、一歩ずつ、育ててきたんだ。
プンタ・エルモーサのベニューも最高だよ。色んなアーティストが来てライブをして、例えばあの有名なMatisyahuとかも良く来てくれていた。フードトラックとかキッズスペースまであるから、昼から楽しめるんだ。

そんなこんなで、エル・ドラゴンをはじめて20年が経つわけだけれど、今は僕も、夢だったプンタ・エルモーサの家を買うことができたし、いつだってサーフィンに行ける。結婚もして、かわいい子供が二人いる。4歳の息子は、サーフィンが大好きなんだよ。

僕の人生のモットーは、常に動き続けること。人生は、止まるには短すぎるからね。この次は、プンタ・エルモーサでまた面白いプロジェクトを計画しているんだ。そうだ、日本でも何か一緒にやらない?」

パンチョの目は、とにかく子供の目のようにキラキラしている。人生が楽しくて仕方ないんだというのが伝わってくるような輝きだ。でも、話を聞いていると、人生楽しいことばかりではないなんてことは、本人が一番分かっている。そんな彼の話を生で聞けたことは、インスピレーショナルだった。
どうしてこんなにキラキラしているんだろう。本人にも聞いてみた。

自分のパッションを知ること。そして、そのパッションを自分の人生のど真ん中に置くことだと思う。」

そもそも、パンチョにとってのパッションとは?

「サーフィンだ。間違いなくね。趣味を人生の中心に置くなんてどうなの、って躊躇する人も多いけどさ・・・なんでダメなんだ?一番大切なことなんじゃないかと思うよ。

僕は、いつでも好きな時にサーフィンができる人生がほしかったんだ。だからそれを実現できるように人生設計をしてきた。

僕の大学時代の友達は、今はミリオネア(millionnaire)になっているかもしれない。でも、僕はフォーチュネア(fortunnaire)だ。僕はハピネスという点でとても裕福だし、しかも、ビジネスだって上手く行っている。良い人生だよ。」

パンチョが言うと簡単に聞こえるなあ。思わずそう呟いてしまったら、私たちのほうをまっすぐ見つめて、ゆっくりとこう言った。

「You can do anything you can imagine. 頭で想像できることは、なんだって叶う。本当だ。

僕が今の仕事を全力でやっている理由は、周りの人が夢を実現できるように手助けをしたいからなんだ。今、僕の従業員はたくさんいる。バーテンもだし、シェフもだし、セキュリティスタッフやアーティストやミュージシャンなど、数百人くらいいる。例えば厨房の彼はナイジェリアから来ていて、向こうの彼女はベネズエラからこっちに来て頑張って働いている。彼らのために僕は何だってするだろうし、僕のために彼らは何だってすると思う。そういう関係性なんだ。想像できることはすべて叶う。だから、そのために僕はなんだって協力するということを、常に伝えているんだ。」

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編集後記

「人生は短いから、後悔しないように生きろ」
よく聞く言葉ではあるものの、それをパンチョほど体現している人には会ったことがないかもしれない。でも、一つ不思議なことに気づいた。
彼は全くもって、生き急いでいるという感じがしないのだ。人生は短いぞ、なんて言っているのに、なんだかのんびり生きている感じがするのだ。

その違和感についてちょっと考えてみたら、私なりの発見にたどり着いた。

きっと、パンチョは、未来ではなく今を生きているんだと思う
未来を生きていると、必死に「理想」に近づこうとただただ焦ってしまうだけで、のんびりしてる暇なんてない。早く頑張らなきゃ!って。
でも、短い人生だからこそ、一瞬一瞬の「今」を生きていくこと。この波に真正面から向き合うこと。そしてそれが過ぎたら、次の波に備えること。決して止まらずに、少しずつ少しずつ、前に進んでいくこと。

それがパンチョ流の人生なのではないかなと思った。

そして、それができるのは、自分が人生をかけたいと思えるパッションを中心に据えているからこそだろう。
ブレない軸があるから、未来を恐れずに今を生きられるのだろう。

私たちは、あまりにも、未来を見すぎているのかもしれない。
そしてそれは、今の幸せにつながる軸が定まっていないからなのかもしれない。

他の人にどう思われようと、僕にとってのパッションはサーフィンだ。そのためだったら、必死に勝ち取った弁護士という道を捨てたっていい。周りに何と言われたっていい。

「周りがみんな右を向いているなら、お前は左を向け。僕は子供にそう伝えているんだ」

そんな、自分の生き方に対する確固たる自信。
それが、パンチョのようなキラキラした目を手に入れるためのヒントなんだろうな・・・そう感じる時間だった。純粋に、ワクワクする時間だった。


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