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家系キャンディ #KUKUMU

人生で一番食べているお菓子は、不二家のポップキャンディだと思う。チャランポランだった4年間の大学生活で、少なくとも100本は食べているはずだ。特別に好きという訳ではなく、自分で買ったことさえ一度もない。では甘い物をあまり好まない私が、なぜそれほどに砂糖の塊を摂取していたのか。それは、一軒のラーメン屋のせいなのである。

通っていた大学の東門から徒歩3分、私には行きつけのラーメン屋があった。「武蔵家」という横浜家系ラーメンの店だ。

東京を中心に、埼玉、神奈川、千葉にも店舗がある関東のローカルチェーン店だが、店舗によってメニューや注文システム、さらにはスープの味まで違いがある。ひいき目で見てしまっているのは重々承知の上で言いたい。行きつけだった池袋店は他の店舗よりスープが美味かった。

昼にゆっくり店へ行こうものなら、列に並ぶのは必至。2限の授業が終わったら、急ぎ足ですぐに向かわないとダメだ。「今日は武蔵家!」と決めた日は、授業終わりに提出するリアクションペーパー(学生からはリアペと呼ばれていた)を早めに書いてしまって、チャイムが鳴る前に教室を出ていたものだった。ただ、混んでいるのも焦るのも嫌だったから、昼休みに行った回数は少なかったと思う。昼はスーパーの海苔巻きで済ませ、バイトの前にラーメンを一発キメるのが好きだった。16時から17時は客も少なく、店員さんとダラダラおしゃべりして時間の許す限り居座るのだ。

武蔵家に行くのは圧倒的に夜が多かった。サークルの練習終わりにバンドメンバーと食べる一杯、飯代を浮かせたいから飲み会の前に腹を満たしておく一杯、飲み会終わりシメで食べる極上の一杯。夜にラーメンを食べるときは、いつも隣に友達がいた。ありがたいことだ。

コロナ禍以前は、なんだかんだ週に1回以上は食べていたと思う。なんなら、1日に2杯食べる日もあった。どうかしている。サークルの人と顔を合わせれば「む」と唱える。「む」は武蔵家の「む」だ。ラーメンスープで脳が溶けた若者の略語である。単に食べたいときだけでなく、茶をしばく感覚で気軽に食べに行っていた。

そもそも私はかなりラーメンが好きなんだけれども、大学4年間ですっかり家系ラーメンに手懐けられた。それこそ、大学の授業より武蔵家のスープの味の方が頭に残っているくらいに。あの頃は、どんなラーメンを食べても「やっぱり武蔵家の方が美味いな」と思うほど武蔵家ジャンキーになっていたのだ。

レディースラーメンは550円。これを頼めるだけでも、女に生まれた価値がある。並(600円)より麺は少ないが、ご飯はおかわり無料。the 貧乏メシ、ラーメンをおかずに米をモリモリ食べていた。

大学で専攻していたドイツ語はろくに話せないまま卒業してしまった。でも、家系のカスタマイズなら脊髄反射で答えられる。

「お好みは?」

「濃いめ多め」

「ご飯は?」

「中で」

味は濃いめ、油は多め、麺は普通、ご飯は中くらい。最初から大盛りごはんを頼んで撃沈した経験があるので、中くらいをおかわりするスタイルに途中から変えている。大学3年の頃にはすっかり言葉もいらなくなって、「いつもの?」としか聞かれなくなった。

ラーメンより少し早く出てくるご飯に卓上の黄色いたくあんと胡麻をたっぷり乗せて、3分の1くらい食べる。こっちは食欲ムンムンで口が食料を求めてるんだ。ちょっとの時間も我慢できない。

さぁ、いよいよ主役の登場だ。ラーメンが来たらまずはInstagramのストーリーに写真をあげる。画角もブレも、なんだってよろしい。これは一種の生存報告なのである。

血となり肉となったラーメンたち

スープをひとくち。濃厚な豚骨醤油が脳に突き刺さって、全身に豚が駆け巡るよう。ブーブーブーブー!  何杯食べてもこの感動を味わえるんだからすごい。肩まで温泉に浸かったときのように目を瞑って天を仰ぎ、思わず「ん~」と、小さく声が漏れる。

ここから先はトランス状態だ。スープがよく絡んだモチモチの中太麺をすすり、米をかきこみ、にんにくをこれでもかというほど入れて再び麺をすする。麺を米にワンバウンドさせて食べる、米に胡椒をかけて海苔で巻いて食べる、ほうれん草にコチュジャンを乗せてスープと一緒にレンゲで食べる。あぁ、お腹が空く。書いていたら猛烈に食べたくなってきた。粗方食べ終わったら、スープに米をぶち込んでショウガと酢を入れてフィニッシュだ。脂肪がなんだ、塩分がどうした、健康なんてクソくらえ。最後の一滴まで最後の一粒まで美味しく食べなきゃラーメン屋にもこの地球にも失礼ってものだ。

どんぶりをカウンターに返すと、このお店はいつも決まって不二家のポップキャンディを差し出してくれる。ソーダ、グレープ、オレンジ、ストロベリーの四種類があるが、私はグレープ派だ。

「ごちそうさまでした!」

人間、腹と心が完全に満たされると自然と大きな声が出る。この時点で、もう既に鼻息までにんにく臭い状態だが、店先で煙草を吸って極限まで己を整えなければ気が済まない。1本の煙草を5分以上かけてゆっくり吸う。にんにく臭で強化された邪悪な副流煙が、池袋の空に消えていく。こうなった私は公害です。皆さま申し訳ございません。吸い終わる頃には頭がぼんやり、今すぐ横になりたいくらい眠くなっている。

豚骨・にんにく・煙草、このBIG3が揃ったとき、ポップキャンディの美味しさは最上級まで高まるのだ。意外と知られていないことかもしれない。ラーメンからの直ポップは、ちょっとくどい。煙草を1回はさむことで身体と心をリセットし、再び糖質をぶち込む。この快感がマジでヤバい。ついでに、自分の中ではなぜかにんにくと煙草の匂いが消える気がするのだ。周りからすれば悪臭を振りまくモンスターに変わりないのだけど、スッキリしてから帰宅する方が気分が良いですからね。へへ。

そんな思い出深いラーメン屋なのだが、私が社会人になってから従業員さんが次々と変わってしまったらしい。誰よりもスープを作るのが上手で、卒業祝いに瓶ビールをおごってくれた店長。「るなちゃん、いつもありがとね!」と、カウンターから威勢よく声をかけてくれるSさん。夜の遅い時間に行くと、いつもこっそりトッピングを増やしてくれたWさんとは2人で飲みに行ったこともある。

友人たちからの話によると、どうやら味も少し変わってしまったらしい。そして、店先の灰皿までなくなってしまった。変わらず店はあの場所にあるのに、店の前を通っても学生時代のときほど「む」を渇望していない自分がいる。なんだか入りづらくて、店長がいなくなったことを聞いてからは1度も足を運んでいない。

きっと食べたら美味しいと思うだろう。そりゃ思うさ、食いしん坊でラーメン好きな私のことだもん。でも、他の家系ラーメン屋に行ってみても良いじゃないかとも思う。社会人になって一番の変化は、「せっかく外食するなら、いろいろなお店に行きたい」と思うようになったことかもしれない。

思い出の味を再び覗きに行くのは、もう少し時間が経ってからにしてみようか。あのポップキャンディ、またくれるといいんだけど。

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文:よしザわ るな
編集:栗田真希

食べるマガジン『KUKUMU』の今月のテーマは、「お菓子」です。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくは下記のnoteをどうぞ。また、わたしたちのマガジンを将来 zine としてまとめたいと思っています。そのため、下記のnoteよりサポートしていただけるとうれしいです。