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文芸翻訳に出会うまで②

ロンドンに住み始めてすぐ、私はロンドン芸大(University of the Arts London)のオリエンテーションコースに通い始めた。

イギリスは文理と同じくらいの比重がアートに置かれていて(サッチャーさんのおかげだとか)、アートに進む学生は、高校の2年間でその課程を勉強するのだけれど、このオリエンテーションは、そんなアートのバックグラウンドを持たない外国人が、2年間で学ぶ内容を9週間に詰め込んで英語で学び、ロンドン芸大に入れるよう仕立て上げるというコースだった。

凄まじい内容だけれど、イギリスらしく門戸は広くて、アートに興味があるのに何から手を着けたらいいか分からなくなった私のような人には嬉しいコースだった。入口の課題を提出するために、日本にいる時からヌードデッサンに通ったりと、色々頑張っていたのを思い出す。すごく遠い昔だ。
留学エージェントのユニバーシティ・コンサルタンツさんには本当にお世話になって、たくさん背中を押して頂いた。

入ること自体は実はそんなに難しくはなかったけれど、ここを見つけて入るという実践にはそれなりのエネルギーが必要だった記憶がある。でも目標を見つけたらとにかく動くというのは自分の得意とするところだったし(常に動いていないと死んでしまう、お前はマグロかと学生時代の友人に言われたことがある笑)何よりもアートに必須なリサーチとコンセプトメイキングを学べるというのが、本当に魅力的でワクワクして仕方がなかったのだ。

このオリエンテーションには、ロンドン芸大(沢山のカレッジに分かれている。アレキサンダー・マックイーン等を輩出したかのセント・マーチンズは、名門中の名門)のファンデーション入学審査が含まれていて、どこかしらのカレッジに行ける確率は相当高いらしかったが、時間やお金や、その先どうなるのかは分からなかった。
最終的に私はアートの道には進まないという結論を得たけれど、これはこのコースに来てみないと絶対に分からなかったことだ。
本当に、やりたいことはとりあえずやったらいいのだと、今でも強く思う。

クラスには日本人も多くて、今まで出会ったことのないタイプの友達がたくさんできた。デートモダンにリサーチに行ったり、遠くの駅まで画材を買いに行ったり、さまざまな課題を出されてみんなで悪戦苦闘した。年下の子も多くて、学生時代に戻ったみたいですごく楽しかった。そしてアートを学んできた子は本当に絵が上手い。私は絵はそんなに得意ではないし、勉強もしていないから、凄いなぁと思って眺めていた。でもそんな楽しさの中に、ちょっとした違和感も感じ始めていた。

一人一人が頑丈なスケッチブックを持っている。アートを愛してやまない子たちは、そのスケッチブックの白紙に絵を描き、スクラップをし、ありとあらゆる素材や画材を駆使して何かを表現してゆく。特に課題ではなくとも、みんな常に自発的に何かを生み出そうとしている。すごく上手で感心してしまうし、自分にはできないなぁと思うのだけれど、それがどうやら技術だけの問題ではないことに気づき始めたのだ。

アートというのは、自分の内にあるものを深掘りして表現することだった。そこからコンセプトを生み出し、徹底的なリサーチを重ね、作品を組み立てていく。とりあえずのコンセプトメイキングも、リサーチも、気合を入れれば出来る。でもそこには0から生み出される、自分自身が表現したくてやまない何かが必要だった。周りの子たちにはその情熱があふれていた。身の内から湧き出て仕方ないものを、表現したいのにまだ形にならないものを、形にしようと必死で闘っている。アーティストとは、こういう人たちのことをいうのだ、そして自分はそうではないのだと、どこかの時点で気がついた。

ああそうか、と思った。前に書いた通り、学生時代、私は『星の王子さま』の世界観をアパレルブランドにしたいという謎の夢を抱いていた。試しに面接にいった服飾デザインの専門学校の教官に、「キャラクターものの服を作りたいんじゃ無い。この物語の精神や美しさを抽出して、その世界観を服飾に落とし込みたい」というようなことを、私は燃えるように語っていた。それは要するにアダプテーションだった。自分が心を突き動かされたコンセプトを、もっと目に見える別の媒体にして、美しく広く伝えたい。あんなに夢中になった演劇だって同じことだ。そこには確かなコンセプトや世界観がもとから存在していて、それをいかに伝えるかということに私は夢中だったのだ。

生み出すこと、創ること、コンセプトメイキング自体に才能がない、自分は0から1を全く作れない、作りたいものが無いと気づいた私は、自分はアートの道では生きていけないのだと、生まれて初めて悟った。アートの世界、人の心を打つものに憧れて、いつかは自分もそこにいくのだと信じて生きていたけれど、ロンドンという、アート教育が充実した場所で感じたこの事実は、もう絶対的なものだった。悲しかったけれど、受け入れざるを得なかった。いつの間にか服飾にも興味はなくなっていたし、無理をしてその先の課程に進む気持ちも持てなかった。

だって、人が生み出した芸術を自分の手でどうにかしようだなんて、学生時代のサークルならともかく、傲慢もいいところではないのか?

結局私は迷って迷って、でもこの先に進む気持ちがない、という自分の心に正直に生きることにした。それは商社をやめた時と同じ、色々思うところはあっても、迷いのない決断だった。
たくさん相談に乗ってくれた友達、翻訳っていいな……なんて言い始めた私の話を不思議そうに聞いてくれた友達。何より妊娠7ヶ月に突入していた私に椅子を出してくれたり、ミュージアムで車椅子に乗せようとしてくれたり(笑)、重い荷物を一緒に運んでくれたみんな。すごく大好きだったし、あのオリエンテーションで過ごした現実離れした日々は、今では良い思い出でしかない。

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