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【こえ #24】一年近くのどがいがらっぽかったが、「薬局で売っている、のどに吹き付けるスプレーで済ましていた」と笑われた…

真柄 定夫さん


 経営者は常に忙しい。自分の会社をされていた真柄さんの生活の中心は仕事だ。当時、一年近くのどがいがらっぽかったが、「薬局で売っている、のどに吹き付けるスプレーで済ましていた」と笑われた。「そのうち痰が出るようになり、痰に血が混じるようになって」、大病院に行って検査したら「喉頭がんのステージ4」と宣告された。すぐに入院。まずはのどを切開して喉頭(声帯)を摘出せずに、抗がん剤での治療を始めた。


 入院期間中、何回か病室を訪れた人がいた。群馬県で喉頭(声帯)を摘出した方が発声訓練に集う「群鈴会」の副会長さん(当時)。ご自身も喉頭(声帯)を摘出されたその方がお腹から空気を押し上げるような声で「手術しても声は出ますから」と熱心に説明してくれた。それまで聞いたことがない声に、最初は「どこから声が出てるんだ?」と不思議な感じがした。その時に初めて、食道に空気を取り込み、食道入口部の粘膜を新たな声帯として振動させ発声する『食道発声法』を知った。喉頭(声帯)摘出手術をすると、食道から気管が分離され、のどに新しく穴(気管孔)を造設して呼吸することになる。その穴も見せてもらったが、正直「最初は嫌だなと思った」。


 しかし、病室を訪れた「群鈴会」の副会長(当時)がくれた安心感のおかげで、抗がん剤治療を継続して進めつつも、喉頭(声帯)を摘出する決意が固まっていった。「摘出手術を終えて御礼がてらにのぞきに行っただけ」の会に入ってから、もう20年近くが経つ。今や真柄さんご自身が副会長だ。


 これまで多くの当事者を見てきた。「一文字出せるまでが大変。そこまでポジティブに頑張れればかなり早く声が出せるようになる。周りを見てネガティブになるとどんどん置いていかれる」。

 真柄さんご自身もその最初のステップを超えるのに、毎日3時間汗をかいて練習し、半年かかった。その後は臆せず外出して話す機会をつくった。「話さないと仕事にならない」から、早く筆談を卒業しようと必死で練習した。

 例え抑揚のついた声を取り戻せなくても「スナックにも行ってカラオケも歌った」。例えマイクでも小さい音量でしか出せない声はちゃんと拾われない。「普通に持つと声が散っちゃうから、必ずマイクは顔に対して直角に持つようにするんだ」という工夫も教えてくれた。ちなみに、同じ理由で無線マイクを携行される当事者も多いそう。


 副会長として、「昔みたいに簡単に病室とか行けない時代」であることを残念に思う。「ボランティアの任意団体だから、会員の確保や会を次につなげていくのも大変」だそう。82歳の今でもお仕事を続けておられ、若々しい。当事者の会もまだまだ続けていただきたい。


▷ 群鈴会


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