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高野山で

以前綴ったメモ
ここに置いておいてみます。
乱文で申し訳ないです。

今から遠い昔、日本の人々は大自然の中に社や祭壇、寺院などを設け、Structure、つまりは構造、規律、秩序など枠組みを建てていった。するとそこに思想や文化、人の営みが生まれる。感情や意思、祈り、こころざし等、ひいては経済、争い、秩序というものも含めて、その枠組みの中ではなく、枠組みがあることによってそれを取り囲む余白の部分にこれらが芽生えていった。

そういった意味では、西洋のそれは自然から逃れる拠り所であったり、人が自然を律するないし、そこに割り込む形で建設された強固な人工物であり、そのヒトが作った数々の主張と主張の間の空間に生活圏が形成されていったように思われる。

例えば、古の荘厳な神殿や、城壁に囲まれた都市などがそれにあたるのではないか。
弘法大師空海は、高野山という山深い平地に、地の神を祀る社を建て、そこに溶け込むように寺院を建立していった。

いつの日か、AIは合理性を追求し、最適値という意味で相性の良い、型、つまりは解像度や経験値の部分を補ってくれるでしょう。それならば、その人類の発明は有効活用すればいい。そして、私たちはさらにその先、人間の意識が処理できないほどの膨大な情報量から無意識のうちに読み取ることの出来る、直感や気と呼ばれる様な深層心理に耳を傾け、無限の余白に漂い、そこに流れるものを掴み取っていく様な、人間的な行動を起こして行こうではありませんか。

今いる空間が、クリエイティブな対話や、論理的な思考に適しているかは、AIが導き出してくれるでしょう。

この瞬間、脳内思考回転速度を上げるには何をするべきか、それぞれのタイプの人間を、どう組み合わせれば良いのか、ジョーカーのようなノイズもちゃんと含めることも考慮して、AIは座組を決めてくれるでしょう。

今日この気温と湿度で、この時間帯、それぞれがどの様な距離と移動環境を経てやって来ているかによって、それに最適な事前情報を提供してくれる日も来るかもしれません。

ここまでが、叡智である型の部分です。

そこまでお膳立てがなされた上で、私たち人間に求められることは、恐れることなくその無限の余白にダイブして、感覚を研ぎ澄ませ、エゴを出さず、その空間に溶け込む様にしながら、皆でひとつの流れを掴むのです。

それは合理的でも、画一的でもなく、人間的な思慮に富んだ無意識の集合体の、ひとつの解となり、その蓄積が私たちの生活をよりスリリングで楽しく幸福なものにしてくれると、手を合わせ、私は願っています。

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