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“止まれ”に物思う26時の23歳たち


大学院生の筆者は、物心ついたときから良い住宅街に住んでいる。
一行目から、かなり嫌味な話である。
地元の幼稚園・小学校に通い、中学受験を経てそこまで遠くない中高に進学し、大学もそこまで遠くない。
このように、地元からあまり離れない生活を十数年送ってきた弊害が、最近発生している。

本来、一般社会人になっているはずの23歳という年齢においては、新宿や銀座等、大人な金銭感覚で気になる店に出向く楽しみを覚えるはずが、
地元の店にお金を落とすという、60代くらいから始めればよい楽しみを覚えてしまっている。
言い換えれば、自宅から20m先に友人の家があり、当日夜中に待ち合わせて最寄り駅付近へと飲みに繰り出せる。たいそう立派な大人になったものだ。

そんなこんなで、バイト終わりの23時過ぎからその友人と2人で飲み始めることが多い。

いつものように、当日連絡で最寄り駅に待ち合わせ、駅近くの飲み屋へと出向く。

学生生活の話や就職の話等、たわいもないけど、どこか心地よい。旧知の仲で語り合うというのは、心に平穏をもたらす。

酒も進み店を出て自宅へと戻る。もちろん、両者の家が20m先にあるわけだから、帰る方向は全く同じ、コンビニで缶ビールを買い足し、帰路につく。

自宅間近に迫った交差点 僕らはふと 立ち止まった

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誰も何も邪魔しない深夜26時の交差点にしゃがみこむ。

夏の生ぬるいビールが喉元を通り過ぎた。

15年近く変わっていない僕らの通学路
そんな自分たちの生きてきた道          深夜の少し色褪せた止まれは、今までの人生を、一旦止まって考えてみなよ、という投げかけのようにも感じた。

友人は来年度に就職し、地方へ行ってしまう。
筆者はまだ大学院生

周辺にある”止まれ”の白地は、目黒区の予算によって、風情もなにも取っ払った真白へと塗り替えられ始めている

我々が出会ったこの”止まれ”も、いずれ真白な止まれへと生まれ変わるのだろう
その新しい止まれが、新しい世代の住宅街の子供たちの未来に、なにか問いかけるのか
はたまた、止まれに物思う人間など、普通はいないのか
一度立ち止まって考えてみる

そんな大学院生活である。

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