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『サープレ!』コラムのメイキングストーリーをお届けしたい件

先々週のこのnoteブログで書籍『サープレ!』の製本版(ペーパーバック)リリースについてのご案内を、
そして先週のブログでは、その書籍の巻末近くに私が寄稿したコラムを転載させていただきました。

思いがけず3週目となります今回は、そのコラムに関して筆者として裏話と解説を添えさせていただければと思います。
軽妙洒脱を目指したコラムでしたが、そこに至る背景をちょっと深掘りしてみます。
いわば、メイキング映像ならぬメイキングドキュメントですね。
よろしければお付き合いくださいませ。

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そもそも、オファーいただいた時点での発注文字数は600~800文字でした。
日頃のブログから、800文字では到底書き足りないと確信あったので(苦笑)、
『少し超過しても大丈夫ですか?』と懇願し、結局1,820文字となりました。
納期は守っても、文字数条件を守れない時点でモノ書きとしては失格ですね。
著者代表・編集長の坂本智子さんには本当にご迷惑をお掛けしました。

さて早速ですが、書き出しです。
マスターである私が経営するサロン(フィクションですよ〜)のドアを開ける音、カランコロン…なのかギィ~…なのかまで悩みましたが、結局そこは割愛して、主人公が中を覗き込むシーンから始まります。

『こんばんは…。1人ですけどいいですか?』
『いらっしゃい、久し振りだね。』
星場さんは40代半ばの紳士で、システムエンジニアとしてこの近くの大手企業に駐在しているらしいが、それ以上のことはよく知らない。

主人公は星場さん。
どんな名前でも良かったのですが、元ミュージシャンであることを彷彿とさせる小洒落た響き、本名なのに芸名にも見える文字面に拘りました。そしてさりげなく隠されたダブルミーニングにも…

スターバックス社公式サイトより

実は星場さんの星はSTAR、そう、星場はSTAR場=スタバなんです。スタバ即ちスターバックスコーヒーは、日本進出当初から『サードプレイス』を標榜しており、『サードプレイスと言えばスタバ』と想起される方も多いかと思います。

うちの店の名前は Music & Wine Salon『The 3rd Place』。
仕事に疲れたミドルシニアのサラリーマンが、自宅に帰る途中に立ち寄って音楽やワインで癒されてくれたらと、定年退職を機に開店した。
定年前から準備してきて、ずっとやりたかった店。
3年目を迎えて、ようやく少しは常連もついてきた頃である。

これこそが、私がオファーを受けてからものの2~3時間で一気に書き下ろせた背景となります。
何も私が『筆が早い』とか、『(天から)降りてくる』というタイプではありません。
舞台として描かれているMusic & Wine Salon『The 3rd Place』は、実際にこの私が65歳(7年後)の定年後に開店したいサロンをイメージしており、『こんなお店をやれたらいいなぁ』という理想像でもあります。

私がSNSで使っており将来的に開業した時の看板にも使うアイコン!

あちこちのSNSで使っていますが、既にアイコンというかロゴマークというか、もっと言えば開店した時の看板のデザインも完成しています!(スキルサイト coconalaココナラで作ってもらいました(笑))

この方にお願いしました!多少の追加料金は掛かりましたが格安!

ミュージックバーとして、或いはワインバーとしてお手本となるようなお店は、福岡市や広島市、或いは名古屋市にも何軒か実在します。これにコンサルティングサロンみたいな要素が加えられればもっと良いのですが、それはまた今後の課題です。
いずれにせよ、イメージは明確になっているものの、その準備が進みません。設備投資や開業資金の課題も避けられません…。
加えて、この春の社外出向によって自分の中でのスケジュールが2年ほど遅れた感じです…

星場さんは他の常連客の弾き語りに耳を傾けながら、1人でハイボールを飲んでいる。
『ホシバさん、次、歌う?』
と声を掛けると、彼は壁に掛かっているマーチンD35を手に取ってステージの椅子に座り、チューニングをしながら曲のタイトルを呟くと、いつもの優しい声で自作の曲を弾き語りし始めた。

ギターの話になりますが、マーチンD35というギターは、ちょっとクセのある品番です。
いわゆるアコースティックギターの世界的スタンダードは、アメリカの Martin社の D28 というモデルであって、世界中のギターメーカーの多くがその D28 の模倣からスタートしています。
1960年代になると D28 のボディに使われる木材(ハカランダ=ブラジリアンローズウッド)が枯渇し始め、Martin社ではその資源保護の為に今まで使わなかった幅の狭い端材を用いて有効活用。本体裏側が2ピースではなく3ピースのモデルを発表して、これが D35 と呼ばれました。

ナルガッキさん 2016/6/2より

低音が豊かでドンシャリと鳴る D28 と較べて、ボディ構成の異なる D35 は中高音がキラキラと響き、それが1970年代に日本国内で流行していた『叙情派フォークソング』の伴奏にぴったりハマり、当時のフォークシンガー達はこぞって D35 を使い始めたのです。

イルカさん所有の3本のD35(左から'72年製・'67年製・'67年製)

どこかちょっと湿っぽい、メロウな感じのジャパニーズ昭和フォークに欠かせない音の多くが、このD35から生み出されました。
従って、その時代に思春期を過ごし、昭和フォークを聴いて、或いはコピーして育った星場さんにとっては、D35 は自身の楽曲を奏でる上で最適のギターでした。

Gibson派だった吉田拓郎も楽曲によってはMartin D35を愛用

ただ、Martin社のギターはそれなりの値段もしましたので、果たして星場さんが自身の D35 を所有していたのか、それとも若い頃からの憧れの D35 をこの店で自由に弾けることを楽しみに通っていたのかは、ここには書かれていません…
実は、レコード会社との契約金を手にしてすぐに購入したものの、地元に戻って就職して結婚してという中で手離してしまったという設定は如何でしょうか?

ある時、他に客が居らず星場さん1人だったので思い切って話し掛けてみると、意外な過去を語ってくれた。
いわく、彼は若い頃に一度プロデビューして東京に移り住んだものの、鳴かず飛ばずの末に引退して地元に戻り技術系のサラリーマンに。生来の人見知りな性格で、会社でも心許せる仲間は居らず、駐在先で黙々と仕事をしているという。

こんなお話しを、福岡の音楽居酒屋や京都のフォーク喫茶で幾つも耳にしてきました。
例えばヤマハのポプコン(ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト/1969~1986年)の歴代優勝・入賞者で、今なお第一線で活躍しているアーチストも居る一方で、いわゆる一発屋で終わったりデビュー作すらヒットしなかった人が、ヤマほどいらっしゃるわけです。
挫折が早い方ほど、若いうちに地元に戻って実業家として成功されている方もいらっしゃいます。コンテスト優勝の副賞として『カップヌードル1年分』を貰ったものの、その夜に宿泊ホテルのバスタブにぶちまけてお湯を貼ってラーメン風呂を楽しんだ!等の『武勇伝』を笑いながら聴かせていただいたこともあります。

中村行延さん facebookより

アリスの堀内孝雄さんの親友で(笑福亭鶴瓶の親友でもある…)、同時期にデビューして『4人目のアリス』とまで呼ばれながらもメジャーには成れず、楽曲提供者として京都でフォーク喫茶『cha-ku! cha-ku』のマスターをしていらした中村行延さんにも、何度かお話しを伺う機会がありました。
この星場さんと同じように、いつも何処か寂しげな笑顔でした。
(70歳を超えた今は喫茶店オーナーも引退されています…)

『それにしても、来る度に違う曲を唄えるんだね』と訊くと、
『レコード会社から、デビューするまでに200曲は作っておけと言われたもので…』と作り笑いしながら答えた。

松山千春さんが北海道足寄町から札幌市でのオーディションに臨んで、そこでSTVラジオの竹田健二ディレクターに認められて、レコードデビューの前からラジオ番組を持たされたのですが、毎週2曲の新曲を披露するようにとノルマを課されました。
『厳しかったが、1年間で100曲のレパートリーが蓄積された』と回顧しています。

デビュー当時の松山千春(右)と彼の恩人であるSTVラジオ局の竹田健二ディレクター

同じ北海道出身の中島みゆきさんも、大学のフォークサークル時代に200曲を作り貯めていて、デビューしてからもそのうちの何作かをアルバムに入れていきました。
長渕剛さんもデビュー前に鹿児島から福岡市のフォーク喫茶『照和』のステージに立ってはタイトルすらない自作曲を歌っていたし、ゆずにしてもコブクロにしてもみんなそんな感じなのでしょう。
だから、結果的に売れることがなかった星場さんですら、200曲くらいのストックがあったことは不思議ではありません。

ここで、書籍『サープレ!』をお持ちの方でお気付きの方がいらっしゃるかどうかは分かりませんが、一箇所、表現を変えています。

『…と作り笑いしながら答えた。』の部分、
発売された最終稿では、『…と寂しそうに答えた』となっています。
一気に書き下ろしたコラムではありましたが、唯一ここだけ、『微笑みながら』か、『寂しそうに』か、『哀しげに』か推敲に悩んでところでした。

最終稿では、挫折から20年ほどを経て未だに哀しさ、寂しさを引っ張っている星場さんとして描いてみましたが、一周回って今は『作り笑いしながら』が正解であって星場さんらしいのではないかと思っています。
だから、もし『サープレ!』の第2版が出る機会があれば、内緒でシレっと書き換えておきたいと企んでいます(笑)

『今日はラグランジュの2005年が手に入ったんで、みんなで試飲するんだよ。それが1人、ドタキャンになっちゃってさ、よかったら参加してみない?』
『え、ラグラン・ジュ…?』
『あれ? ワイン好き? シャトー・ラグランジュとか、知ってるんだ?』
『いや、妻がラグランなんとかって言ってたのを思い出して…』

一転して、ワインのお話しです。
シャトー・ラグランジュは、フランス・ボルドー地方のサン・ジュリアン地区にある、メドック3級に認定されているシャトー。優雅でエレガントなタイプの赤ワインが有名です。

シャトーラグランジュ2005

ラグランジュの歴史は17世紀頃から始まり、19世紀には当時最先端の醸造設備が整えられ生産量も大きく拡大し、1855年のメドック格付けで3級認定を得ました。
しかし1925年以降、時の所有者が世界大恐慌や戦争によって没落。畑は切り売りされ、醸造設備の状態も悪くなってワインの品質は大幅に低下し、3級とは名ばかりに。
1983年には日本のサントリーがラグランジュを畑・シャトーもろとも取得。
一般にワイナリーでは、カネは出しても栽培・醸造には口出ししない(できない)オーナーが多い中で、サントリーはシャトー・マルゴーの再生で実績あるペイノー博士を招聘。畑・醸造所など全てを一新する改革を行い、その結果、ラグランジュは息を吹き返し、再び世界で高く評価されるワインへと生まれ変わりました。

メドックの1級から5級まで61あるシャトーの中でも、日本人にとって馴染みの深いシャトーの1つと言えます。

星場さんは、2005年がメドックの当たり年だとかそういう事は知る由もなかったが、それが妻と結婚した年であることに何かしらの縁を感じた。

ワインは100%天然素材で仕込みますので、品質の良し悪しはその原料葡萄の出来不出来によるところが大きく、気候条件によって左右されます。
尤も、気候に恵まれない年の葡萄を上手に仕上げるのが醸造家の腕の見せ処だという説も間違いではありませんが、気候に恵まれ理想的に熟した葡萄こそが上質なワインになるだろうことは容易に想像がつきます。上質なワインは得てして長熟でもあります。
そうした数年に一回の素晴らしい気候に恵まれた年を、『当たり年(Vintage Year)』と呼んでいます。

メドックの当たり年は(業者や評論家によって多少異なるものの)、1989年・90年・96年、そして2000年・05年・09年・10年・15年・16年・18年…と言われており、格付けワインが長熟型であることを考慮すれば2000~2010年頃は垂涎のヴィンテージかと思われます。

ヴィンテージチャート(ファインズ)
メドック地区はボルドー赤左岸です。

2005年のラグランジュ…
葡萄はカベルネソーヴィニヨンを主体(65%)にメルロー(28%)、プティヴェルド(7%)のフルボディタイプ。
実勢価格15,000~25,000円(完売店多し)
ワイン会で出会えたら、是非試してみたい1本です。

『ホシバさん、次いってみよか!』
珍しく微笑みながら頷いた星場さんは、いつものマーチンを手に取ってステージに向かい、慣れた手つきでチューニングをしながらマイクを口元に向けると、少しはにかみながら口を開いた。

ギター弾き語りで必須となるルーチンが、演奏前のチューニング(調弦)。
今やマッチ箱(死語?)程度のサイズのチューニングメーターが安価で普及しているので、中学生からプロまでほぼ全員がLEDのインジケーターを頼りにチューニングしているし、ライブでギターヘッドにメーターを取り付けたまま演奏するプロも多くなってきました。

クリップ型チューニングマシンの一例

しかしながら、星場さんが育った時代は『耳チューニング』です。
若い頃は音叉も使いましたが、今はピアノからAの音を貰えば、あとは自分の絶対音感を頼りに耳だけでチューニングします。
だからこそ、今までは他の常連さんからの話し掛けにも応じずひたすらチューニングに没頭していましたが、この日を境に星場さんから常連さんに話し掛けるようになりました。

『皆さん、こんばんは! ホシバと言います。
昔、ちょっとだけ音楽やってました。よかったら、お仲間に入れてくれませんか!』

そしてこの日から、星場さんが弾き語りする楽曲に変化がありました。
今までかたくなに自身の自作の楽曲しか演奏せず、常連さんが拍手しながら『何という曲ですか?』と尋ねても無愛想にタイトルを答えるだけだった星場さんが…
今では流行りの楽曲や懐かしの名曲を気軽にカバーして演奏し、常連も喜んで盛り上がっています。
あの頃、一方的なライバル心を抱いて絶対に口ずさむ事もなかった他人のヒットソング。
ようやく気持ちが吹っ切れて、常連さんのリクエストにも応えるようになってきた。
そんな風に星場さんを変えたのは、間違いなくこのMusic & Wine Salon『The 3rd Place』が、彼にとっての真のサードプレイスになったからでしょう。

『昔、ちょっとだけ音楽やってました…』
プロの世界も垣間見た経験がある星場さんですから、ちょっとどころじゃない。四六時中、音作りに明け暮れた日もありました。でも今、100年とも言われる自分の人生を俯瞰して、音楽やってた時間なんてほんのちょっとだったということに星場さんは気付いたのです。
そしてこれからも音楽、音を楽しむ時間を『ちょっとずつやっていこう』と思えたのだと思います。

過去の自分を振り返り、自分が輝いていた時代を確認する為のMy 3rd Placeしか持たなかった星場さんは、
仲間と一緒に楽しく過ごし、その中での自分の居場所を確立していくOur 3rd Placeを手に入れたのでした。

さぁ、皆さんも勇気を出して、新しい仲間との心地良い時間と場所を探してみませんか?

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