語り
語らないとなかったことにされる。時には本人すら感じたことの存在を忘れることもあって。でもそこには確かにあったはずで。
この話を聞いて、鈴虫が鳴かなかったら、鈴虫の存在はなかったことになる。語ることは鳴いて存在をあらわにする鈴虫と同じなのではないかと思った。
「声をあげろ!」「なんでも曝け出せ!」と言いたいわけではない。語るリスクもある。
それでも語られることで、そこにあったものに気づくきっかけになる。思ったことや、感じたことをなかったことにせず、その場に置いておくきっかけとなる。
だからこそ、語る人はとても尊いと思う。
不条理やどうしょうもなさに、語りが叫びになることがある。一見とても感情的で、見るに耐えないときもあるのかもしれない。聞いている側も反応してしまうかもしれない。
でも語りを聞く者は、語る者が時に感情的になったとしても、事実やその奥にあるものを観ようとすることは、少しでもできるのではないか。一方的に押し付け合うものではなく、相手の話も聞いて、自分の意思も表示すること(なかったことにしない)を大事にすること。それが対話へ繋がる。
これを書いていて感じたのは記録することは、わたしにとっての語りであり、なかったことにしないことであり、素直であることなんだと。
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