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よか家族7

もう、どっか行こうよ。こまか子は恐ろしがって

もう、どっか行こう。

こまか子供は恐ろしがって、
皆んなやまの脇のくぼ地に入り込んで、
一緒に寝ましたと。

夜通し街は燃えて飛行機がしょっちゅうきよりましたとですよ。

朝起きて浜びらさんいこうか
どうしようかと思うたですばってん、


とにかく家ばみてこんばて
またぞろぞろ下りたとです。

もうきれいに焼けてしもうて
あちこちにタンスの引き手が散らばって
のこっ取った、だけです。

其処に残って火を消した人のはのこっとたばってん
うちのはもう何もなかったです。
焼けたり盗られたりしたとでしょうね。


水槽に入れたお釜でんなんでん、
しずんどったばってん
木のふたばっかり上に浮かんで焦がれとったですよ。

それからまた上がって浜平の親元に行ってみたら、
そこも家が吹き飛ばされてしまって
一時そこの防空壕におりました。


食事は大村へんから握り飯のきよったとばもろうたり
自分たちで炊いて食べたり。

握り飯はもうネマリ(くさり)よりました。

飛行機が飛んできて、
こまか子供どんは
(ほら、泣かすな飛行機にきこえるからってよういわれよりました。

一度は子供ばおんぶして飽の浦まで行ったことがありました。

瀬崎のへんでは軒下に馬が馬車ば曳いたまま死んどったり、
稲佐橋からなわさがっとっとに死骸のひっかかってぶらぶらしとったりねー、

カン詰め会社からはぽっぽって缶詰のとんできて
危ないし、歩かれんやったです。

電柱柱も上の方まで、燃えよるしねー翌日か翌々日
翌日か翌々日位やったでしょうだいねー。
何日間かくすぶとったです。

死骸ば焼匂いの聖徳時の所からずうと上のほうまできよりましたと。

浜平の壕に何日かおりましたが、
電気もなし、夜は真っ暗で、

子供が、(もうどっか行こう)っていうもんですけん、
熊本の姉のところへ行くことにしました。

電気の会社人でしょうかね。
駅前に出張してきた人からお金ばもろうて
長崎駅から乗りましたもう満員で止まり、止まり行ったとですよ。


続きは第8話で


スキしてくれたらおばあちゃんから私の孫まで5世代が喜びます。
スキしてくれたらもちろんスキ返し行きます。


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