見出し画像

心の太陽

意を決して、屋上への階段を上る。

ドアを開けても、もちろん誰もいない。だからこそ決意できたのだ。

目の前の柵へ近づき、視界に広がる景色を目に焼き付けた。

もう二度と見ることはない景色だ。

柵を乗り越えようとした、まさにその瞬間———————————

_______________

「なにしてん?」

いつの間にか、屋上のドアの前には1人の女性が立っていた。

「だ…誰だよ!」

「え、今そこ重要?絶対ちゃうやろ」

その人はためらいもせず、真っ直ぐ僕の方へ向かってきた。僕の方が身を固くしてしまう。

「く、来るなよ!」

「ほんまにそんなこと言う人っておるんやな。まあまあ一旦落ち着いて」

そう言うと、

「シナモンロールっ!」

唐突に謎のポーズを繰り出してきた。

「え………?」

さっきまでは清々しい気持ちだったのに、今の方がむしろ混乱してしまっている。

一体何者なんだ、この女性は。

「は、嘘やろ?そこは『か、可愛い…』ってなるやつやん」

「マジで何言ってんだ?あんた」

斬新な漫才の入りだとしても納得できない。M-1で審査員にこき下ろされるのが関の山だ。

「どうせろくでもないことしようとしてたんやろ?止めたんやから感謝してや」

「勝手に止めるなよ」

震える声を、僕は抑えることができなかった。

「どうしようと勝手だろ!ほっといてくれよ!」

「あー、そういうスタンスね」

大声を出す僕の前でも、彼女は嫌に冷静だった。

_______________

「何があってん?話なら聞くで」

至極自然に、彼女は僕の横に立っていた。そして手すりによしかかると、

「ええ天気やなぁ」

のんびりとそう言った。

「天気のことなんて、しばらく考えたこともなかった」

「え?」

気づけば、僕は自然に口が開いていた。

「毎日曇り空だと思ってた。…そんなことないはずなのに。だけど僕にとって、世界は暗かったし、冷たかったし、居場所がなかったんだ」

「随分詩的な言い方やなぁ」

にこっと笑うと、それでも続きを促すかのように、彼女は僕の顔を見た。

「そう思っちゃうくらいに辛かった。悪いことばっかり重なって、どんどん追い詰められて、そうなると僕の中でも、嫌な方向にばかり物事を考えちゃって…」

「…何度も逃げようかと思ったけど、それじゃだめかなって。必死に耐えてた。なんとかしなきゃって思ってた。けど、もう僕には無理だった。だから、これは僕の問題なんだ」

「…僕が弱いから、仕方ないんだ」

_______________

「なるほどなぁ」

見ず知らずの第三者に、僕は何を告白しているのだろう。今すぐにでもここから逃げ出したくなる。

だが行動に移るより、彼女が口を開く方が早かった。

「逃げてもええんちゃう?」

「え?」

「嫌やったら、無理やなぁって思ったら逃げればええやん」

「それは…」

「逃げるのが恥ずかしいとか、ダサいとか、そんなん固定観念に縛られすぎやって」

「で、でも…」

「大体さぁ」

僕に反論の隙を与えず、彼女はこちらを見た。

背は僕より小さいが、その視線ははっきりと僕の顔をとらえていた。

「勘違いやって。嫌なことから目ぇそらして、逃げてって、それが『無責任や』とか『弱い』って言われんねんなぁ」

「もちろんそういう場合だってあるかもしれんよ?そら」

「でも、どうしようもなく辛くて、嫌で、耐えられへんことを我慢するのは『忍耐力』とか『根性』とはちゃうねん」

「……そういうもんかな」

不思議と心が動かされる言葉だった。

「何事も諦めるのは簡単やで。でも———」

「あんたの今の命は、諦めてもうたらもう二度と戻ってこーへん」

「せっかく今までやってきたことも、沢山の人との出会いも、全部消えてまうねん」

「それがいちばん辛いことやん。せやろ?」

その言葉に、僕は膝から崩れ落ちてしまった。

「ぐっ…うう…っ…」

嗚咽をあげるというのは、まさにこういうことなのだと思う。涙はとどまることを知らず、目から溢れ続けていた。

_______________

いつの間にか日が暮れ、屋上にも夕日が斜めに差し込んでいた。

ようやく顔を上げると、陽の眩しさに思わず目を細めた。

「あ、やっと落ち着いた?」

「あ…」

「いやぁ、綺麗な夕日やなぁ」

のんびりと言ったそのセリフは、なんだか聞き覚えがあるように感じた。

「ほな、うちはそろそろ行くわ」

「あの…あ、ありがとう…」

「ええって、そんなん。明日からもまた、がんばろな〜」

颯爽と彼女が去っていく後ろ姿を見送ると、また屋上には僕だけが取り残された。

もう迷いはなかった。

「今度はあの人のために、僕が力になりたい」

そして、彼女を慌てて追いかけるようにして、階段を勢いよく降りていった。

その背中に、夕陽が鮮やかに差し込んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?