就活の話。(≠参考)
「就職活動」
その言葉を毎年聞くたびに、自分のことを思い出すわけでして…
本当にクソだったなあ。
1 顛末
正直に言おう。就活をなめていた。
そこそこの地方国公立大学に進学し、就職率も良いというのが有名だった。
「北海道内じゃなくて、道外で働きたい」
漠然とそんな思いは持っていた。特にうちの大学に来る人にはそう考える人が多かったような気がする。
そして迎えた大学3年生。
僕は全力で乃木坂のオタクだった。
………????
周りの友人たちが夏のインターンに参加したり、公務員試験に向けて対策を始める一方、僕は握手会やライブで全国を飛び回っていた。
あとはバイト。
まったく「就活」というものをやった記憶がない。というか「そんなの4年生からでいいだろ」と思っていた。
年が明けた。
さすがに危機感を覚えた僕は、企業の合同説明会なんかに参加するようになっていた。
ちょうどそのころ、秋頃に始めた塾のアルバイトにも慣れてきて、だいぶ心にも余裕が生まれていた。
「さすがに今年はイベントに行くのをやめよう」
例によって握手券の応募が始まっていたが、思い切って全部スルーした。その当時から考えたらあり得ない‼️(朝青龍)ではあった。それくらいモチベが高かった。
そんな中、3月22日(絶対に忘れない)。大好きな伊藤かりんちゃんの卒業が発表された。
その時発売されていたアルバムの握手券を、僕は迷わず購入した。
5月1日に幕張、5月11日に名古屋。その間どうしたかというと、関東にある友人宅に泊めてもらった。
就活も一応した。…ような気がする。1週間近くいて面接を2回くらい受けただけだったような気がしたが。
6月、7月とぼんやりと様々な企業の面接を受け続けて、気づけば8月。
内定は1個もなかった。
その時初めて、自分がいかに愚かだったのかを知った。
周りの友人たちがSNS上で「内定貰いました!」と投稿しているのを見る度に吐き気がした。
オタクのタイムラインにすらそういうやつらが現れて、僕は逃げ場を失った。
その年、毎月飛行機に乗っていた気がするが
4月 就活
5月 上記
6月 就活
7月 ライブ
8月 ライブ(台風で中止になった。翌日USJに行く予定があったからいいけど)
9月 握手会(写真見返したらなぜか熱海に行ってた。なんで?)
オタク過ぎないか?????
10月、意を決して教授と両親に相談。(でも10月に握手会行ってるんだよなー。幕張と仙台。)12月に院試を受けてなんとか合格…
しかし…
2 なぜ僕がだめだったのか
・その1 なめてた
正直これに尽きる。後に述べることもこれが原因であるのは間違いない。
3年の夏に遊んでる場合じゃなかった。情報収集、業界研究、志望動機つくり、全てが足りなかった。
自分の学歴を過信していた。実際に就活を始めてからそんなもの「カス」だったとまざまざと感じた。
・その2 準備不足
漠然と「道外がいい」「金融系がいい」としか思っていなかった。
当然志望動機なんか思いつかない。面接自体は苦手ではなかったが、話すことに困った。
「でもそれって、うちじゃなくても良くないですか?」
そんなよくある質問に、上手く答えられた記憶がない。
説明会やインターンにも行っていなかった(周りと比べて、ということは付け加えておく。なにもしていなかったわけではない)ので、顔の利く企業なんてものはない。熱心さが足りなかった。
色々手は出したが、こだわりはなかった。
・その3 大学時代に「何をしたか」
思い返すと、本当に大学3~4年は遊んでいたかバイトをしていた記憶しかない。
サークルには入っていたが、あくまで「遊び」だったし、勉強にも熱心ではなかった。自分の希望した学科に進むことができたにも関わらず、だ。
稼いで、その金で遊んで、大学の講義を時にはサボってライブや握手会に行ったり…
「大学で特にがんばったことを教えてください」
答えられるわけがない。
参考までに言っておくと、こういう時の「バイト」は全く武器にならない。「学生の本分を忘れてる」という印象を抱かれてしまう。よっぽど成果を上げたとか、違う方面にも生きた、なんて言えればいいのかもしれないけど…
・その4 結局は「自分のこと」
「周りはうまくいってるみたいだ」
「あいつは遊んでるっぽかったけど、実は就活をちゃんとしてた」
「みんな受けてるしとりあえず受けよう」
「自分だけ取り残されている」
僕は結局「周りのこと」しか見えていなくて。
でも、就活は「自分の将来のこと」だから。周りがどうとか果てしなくどうでもいいのだ。
どんな手を使っても、自分さえよければいい。
就職活動は「戦争」だ。
さいごに
くれぐれも、これから就活を始める人、あるいは就活中の人には後悔してほしくない。僕のようになってはいけない。
そんな思いで筆をとった。
応援しています。
気が向いたら公務員編も書きます。