隣のアイツは変化球
気づけば、あっという間に扇風機の季節は終わっていた。
外で鳴くセミの鳴き声が、騒々しいアブラゼミから物悲しいヒグラシに代わっている。
季節の変わり目にどこか感傷的な気分になってしまうのは、自分だけだろうか。
夏の終わり―――――――――
「ふふ~~~ん♪一番すっきだとみんなに言っていた~~~~♪」
…感傷的な気分は、隣の席から聞こえるのんきな歌声で一気に冷めた。
またか……と思いながら、僕は声の主の方を振り向く。
上機嫌な顔で、その子—上村ひなのは、なにやらノートに落書きをしているようだ。
まったく、授業くらい真面目に受けてほしいものだ。
…と、感傷に浸っていた僕が突っ込む権利はない。
「ん?」
視線に気づいたのか、不意にひなのが僕の方を向いた。
「どしたの?ちゃんと授業聞かなきゃだめだよ?」
「お前が言うな……」
流石に突っ込まざるを得なかった。
「歌いながら何してんだよ。ってか、なんでそんなに機嫌いいわけ?」
「ふふ!よくぞ聞いた!新しいお友達ができたのだ!」
なにやら不敵に笑うと、ひなのは手元のノートをさっとこちらへ向けた。
そこに描かれていたのは、
「………………なにこいつ…」
「書いてあるでしょ!『もちまる子』だよ!」
ひなのは自慢げな顔をしているが、僕は既に、つい話を広げてしまったことを後悔していた。
「へ、へぇ…」
「可愛いでしょ?さすがに天才だと思ったよね~これは~」
「そんなの描いてて、ノート取れてんのかよ。授業ちゃんと聞けって」
「え~?でもそっちも外眺めてたから、同類だよ?」
「ど、同類じゃねぇし!一緒にすんな!」
不毛なやり取りをしていると、ついに、
「こら!お前らうるさいぞ!集中しろ!」
案の定、先生に怒られる羽目になってしまった。
「は、はぁ~~い…」
「怒られちゃったね~」
ひなのは何も気にしていないようだ。
…こいつと隣の席のせいで、僕の平和な日常にはなにかと横槍が入ってしまう。
______________
ひなのは本当に不思議な奴だ。
何を考えているのか全くわからないし、急に上機嫌になったり、予想もつかない発言をしたりする。
別に悪いやつではないのだが、周りの女子たちからもなんとなく距離を置かれているようだ。
それでもひなのは、いつも楽しそうに過ごしている。
あいつが落ち込んでいたり、憂鬱そうにしている所は見たことがない。
さっきの授業中のような一幕も、実は初めてではない。というか、ほぼ日常茶飯事だ。
怒られたことも一度や二度ではないので、僕たちも段々と耐性が付き始めてしまっている。よくないことだが。
「お前らさ、仲いいよな」
クラスの友達に、ある日不意にそう言われた。
「お前らって?誰のことだよ」
「とぼけんなよ!お前とひなのだよ」
「はぁ…??ひなの…?」
あまりにも唐突すぎたので、思わず僕は大声を出してしまった。
廊下で話していた僕らの方を、教室で一人座っていたひなのがちらっ、と見る。
「バカ!声でけぇよ」
それに気づいた友人がすっと声を落とす。
「あ、いや…ごめん。急すぎないか?」
「だってさー、なんか2人で話してるのよく見かけるし、見てて楽しそうだし」
「それは…席が隣だから…」
「いやー、絶対それだけじゃないだろ。まさかお前…ひなののこと…
……好きなのか?」
「は、はぁ……???」
全く考えたことのない話だ。考えたことはないのだが。
「好き…なんて思ったことないな。まぁただ…」
「ただ?なんだよ」
「……なんとなく、気になるっていうか…?」
恋愛感情とは別で、なにかと目に付くというか、つい興味を持ってしまうというか…
なかなか人に言うのは難しい。
「それって好きなんじゃないの?」
「うーん…いや…違うんだよなぁ…」
そう言いながら、教室のひなのをちらっ、と見た。
もうこちらには興味がないらしく、なにかをじっと見つめている。
…ぼーっとしているだけか?
やっぱり、よくわからないやつだ。
______________
ある日の放課後。
玄関で僕は途方に暮れていた。
昼頃まではとてもいい天気だったのに、それから段々と雲が増え始め、空模様が怪しくなり始めていた。
「まじか…傘なんて持ってきてないぞ…」
僕が下校する頃には、外はすっかり土砂降りになっていた。友人は皆部活動に行ってしまったし、まさかタクシーを呼ぶお金など持ち合わせていない。
「仕方ない…駅まで走るか…」
僕がそう覚悟を決めたとき、
「あれ?どうかした?」
いつの間にか、僕の横にひなのが立っていた。
「お、おお…お前かよ…」
「そんなところで突っ立ってどうしたの?雨を眺めてうっとりしてたの?」
「いや…」
どういう状況だ、それ。
「それとも…あ!雨の日にしか現れないお化け待ちだ!」
「…………」
こんな時にまでこいつに付き合わされていたら、多分二度と家に帰れない気がする。呆れつつも僕は、ロッカーの靴を手に取る。
「これから帰ろうと思ってたんだよ」
「おー、この雨の中?傘は?」
「…ない。走って駅まで行くよ」
すると、ひなのはやっと腑に落ちたような表情をして、
「な~んだ、そういうことか。傘がなくて困ってたなら~、私の傘に入れてあげるよ~」
そう言いながら、立てかけてあった傘をひょいっと取って、それからにっこりと僕の方を見た。
「よし!帰ろう!」
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真夏の雨と違って、この時期の雨は肌寒い。
夕暮れと雨音の中、僕とひなのは駅への道を歩いていた。
……あれ?
…なんでこんなことに?
ひなのの傘を持つ僕の手が、彼女の肩に触れてしまいそうになり、僕はそこで現実に戻された。
一方のひなのは、相も変わらず鼻歌を歌いながら楽しそうだ。
「トゥールトゥットゥットゥットゥルットゥットゥッ~」
きっとこいつにとって、楽しくない日なんてないのかもしれない。
「楽しそうだね…」
「晴れの日も好きだけど~、雨の日もなんかいいよね~」
「…ってか、傘、ありがとな」
「いいってことよ!」
至近距離で見るひなのの笑顔は、いつも隣の席から見るそれとはまったく違って新鮮だった。
そうか、こいつって案外可愛いんだな。
「困ってるお友達は助けてあげなきゃね~」
「高校生にもなって『お友達』って言うなよ。小学生か」
「え?んっとじゃあ…『マイフレンズ』?」
「英語にしたら余計胡散臭いわ、それなら『お友達』の方がまし」
でも、やっぱりやり取りはいつも通りで。
この前友人に言われたことを、僕はこのタイミングで思い出した。
『なんか、2人で話してるのよく見るし』
『見てて楽しそうだし』
『好きなのか?』
確かにそうなのかもしれない。
僕は、ひなののことが好きだ。
……上村ひなのという人間が好きで、興味を惹かれる。
「ん?なにニヤニヤしてるの?」
「いや…やっぱお前、おもしろいなーと思って」
「ふふ。それが私の魅力なのだ」
まだまだ謎は多そうだが、それでこそ接し甲斐があるというものだ。
奇想天外な発想力、いつでも明るくマイペースで、友達想いな、笑顔の可愛い女の子。
他にどんな魅力が見つかるのだろう。
これは、隣の席の僕だけの特権だ。