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白日

ある朝目を覚ますと、そこは無機質な部屋。

白い壁と天井、そして最低限の家具。

無機質な部屋pg-1

ベッドの上で体を起こすと、僕は大きく伸びをした。

…もう何度目の景色だろう。

顔を洗い、用意された服に着替えると、ドアをノックする音といつもの声が聞こえる。

「朝ごはんの時間ですよ~」

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この人の顔も、もう何百回と見たかわからない。

名前は確か…潮紗理奈…さんだったか?ちょっと変わった名前だからなんとなく覚えている。

いずれにせよ、名前などどうでもいい。僕には関係ない。

「今日の朝ごはんはパンとサラダ、ベーコンエッグに、牛乳もあるよ!美味しそ~!」

食事を受け取り、僕は何も言わず食べ始める。

その間も、潮さんは僕の食べる様子をじっと見つめている。これもいつものことだ。

食べ終えた食器を持って、潮さんは出ていった。

…また、変わり映えのしない同じ日常が始まる。

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運動の時間には外に出て、昼になればまた食事。毎食後に決まった量の薬を飲み、昼食の後は昼寝をする。午後は読書の時間、医師の診察、治療…

もう、何度同じことを繰り返しただろう。

「は~い、もう寝る時間ですよ~」

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そして、起きたときと同じように、一日の終わりに見る顔もやはりこの人だ。

「今日もいい夢、見れるといいね!おやすみ~!」

陽は落ち、また繰り返す。

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大人たちからは当然何も言われないが、僕の状態は快方に向かっているわけではないようだ。

こんな生活からいつまでも解放させられなければ、流石に状況は察する。まあ最も、「早くここから出たい」なんて少しも思ってはいないのだが。

「早く、終わらないかな……」

何をするにも、考えていることはそれだけだ。

「もー!本はちゃんと集中して読みなさい!」

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そばにいた潮さんに注意されてしまった。

…どうやら、脳内での呟きのつもりが声に出てしまっていたらしい。

僕は小さくため息をつくと、仕方なく読書の続きに戻った。

空想に身を委ねれば、この無色な世界から逃避できる、と考えていた頃がもはや懐かしい。今この時間に僕がやっていることは「活字の羅列を眺める」という行為でしかない。

すると不意に、潮さんが僕に話しかけてきた。

「どう?その本は面白い?」

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そんなことを聞かれたのは初めてだった。だが僕は何も返事をせず、そっと本を閉じる。

「…そっかぁ。もっと面白そうなの探しておかなきゃな~…」

今の今まで知らなかったのだが、僕が毎日読まされている(と言い切っていいだろう)本は潮さんが選んでいたようだ。

何を与えられても、さしたる影響などないが。

「ねぇねぇ、今日の晩御飯は何がいい?せっかくだから食べたいものつくるよ~!」

…今の今まで、食事も潮さんが用意してくれていたという事実も知らなかった。

多分、他の身の回りのことも、潮さんがやってくれているに違いない。そう思うと、僕は少しだけ彼女のことを気の毒に感じた。

終わりの見えない僕の生活に、彼女は自分の時間をほとんど費やしているということになる。

…早く、終わらないかな。

「ねぇ~聞いてる~?なんでもいいよ!男の子だから、やっぱりカレーとか、ハンバーグとかがいい?あ、オムライスもいいよね~、それともお洒落にパスタとかにしてみる?」

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なのに、この人はなぜこんなにも明るくて、嫌な顔一つ見せず僕のために尽くしてくれているのだろう。

…そんなことを考えてはみても、また一日が終わっていく。

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ある日の午前の運動の後、部屋に戻ろうとドアに手をかけたとき。

「…なんで、そんなことが言えるんですかっ」

中から、潮さんの甲高い声が聞こえてきた。そういえば、僕が体を動かしている最中に屋内へ戻っていくのを見かけた気がする。

「いや、誤解はしないでもらいたい。ただ、これが彼にとって最善の選択ではないか、という私の見解だ。」

もう一方の声の主は、僕が毎日診察を受けている医師だ。

僕は耳をそばだてた。

「彼がここに来て、もう何年も経つ。状態は一向に回復傾向にはならない。だが私たちも、日々の投薬や診察、健康管理といった業務を怠ったことはない」

「それは君だって同じだろう?」

「…そう…ですけど…」

「このまま治療を続けても状態は良くならない。良くても現状維持、というところだろう。」

「…いや。はっきり言おう。このまま続けて、いつまで現状維持できるかという段階だ。」

…ん?

…それって…つまり…

「…彼の体には、そろそろ限界が来ている。病状の進行具合や、治療で体にかかる負担を考慮すると、現状ですらかなり厳しい。むしろ、ここまで良く耐えていたよ」

…自分の体のことをあまりにも把握していなかったが、まさかそれほどの状態だとは思ってもいなかった。

そうか。僕の「終わり」は意外と近かったのか。

「このまま続けても一向に好転しないどころか、治療の負担がどんどん積み重なっていくことで、今以上に容態が重くなる危険性の方が高い」

「…それでも、彼の治療を続けることが最善と言えるだろうか」

「彼には両親がいない。だからこそ、ずっと世話をしてきた君には話したんだ」

潮さんは、しばらく無言だった。そして、

「…私…私っ…!」

こちらへ向かってくる足音が聞こえたので、僕は慌ててドアから離れた。

「…!」

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ドアから出た潮さんと目が合ったが、彼女は見たこともない悲しげな表情をしていた。

そしてその眼は、うっすらと湿っていた。

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その日の夜、僕は珍しくなかなか眠りにつけなかった。

決して「死への恐怖」ではない。

「…潮さん、泣いてたな」

この前から、僕は彼女に対して、これまでとは違う感情を抱くようになっていた。

それは「憐憫」なのか、それとも「愛情」なのか、この数年人に対する感情を失くして生きてきた僕にはよくわからない。

ただ、「誰かが自分のことを考えてくれている」ということは、案外気持ちのいいものなのだとわかった。

…もう少し、頑張ってみようか。

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いつも通り昼食を食べていると、急に視界がぐるぐると回り始めた。

耐えきれず、僕はベッドから落ちてしまった。

どさっ、という音に、トレーとスプーンの金属音、食器の砕け散る音が合わさる。

「大丈夫!?」

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潮さんが慌てて駆け寄ってきたが、僕は体を動かすどころか、返事もできない。

呼吸が苦しい。

…そうか。ついに来てしまったんだな。

受け入れる覚悟はあったが、本当に突然のことで流石に頭が真っ白になる。

「しっかりして!ねぇお願い!起きて…起きて!ねぇ!」

潮さんは必死に僕の体を揺さぶり、声をかけ続けている。すると不意に、僕は目じりから熱いものが流れ落ちるのに気づいた。

「な……んで……」

「なん…で…僕…の…こと…」

僅かな意識の中、自然と僕の口からは言葉が漏れていた。

「大切…だからに決まってるでしょ…!」

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「ここに来た時から、ずっと面倒見てて…そりゃあ、愛想ないなぁとか、無口すぎるなって思ったよ!でも…でもそんなの関係ないくらい、ずっと一緒にいて…」

「…そう。家族みたいに思ってたの。お父さんもお母さんもいないから、尚更…ね…」

「だから、私にできることならなんでも助けてあげたいし、治療も大変だけど早く良くなってほしいって…!もっと…生きていてほしいって…」

「…そう思うのって、変じゃないよね…?」

潮さんは、そう話しながらボロボロ泣いていて、少しも隠そうとしない。

「…あ…り…がと……う…」

薄れゆく意識の中、僕は彼女の前で初めて、自分の意思を言葉にできた。

「僕……潮さん……に……会えて……よか……った……」

そう。間違いなく、これは僕自身の答えだ。

不変の世界の中で、やっと僕がたどり着いた答えだ。

…でも、少々遅すぎたかもしれない。

「…やっと、名前呼んでくれたね。初めてじゃない?」

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そう言って、潮さんはいつものように笑った。

泣きながら笑っていた。

僕もつられて、力なく笑った。

「……って、違う違う!今…今先生、呼んでくるから…待ってて!」

そう言って行こうとする潮さんを、僕は最後の力を振り絞って止めた。

「もう……いい……よ」

「……疲れちゃった…から…寝たいんだ……」

潮さんはそれを聞くと、寂しそうにまた笑った。

「……そっか」

「じゃあ……ゆっくり、お休みしてね?」

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潮さんは、まるで母親が子供にそうするかのように、ゆっくりと僕を抱きかかえた。

……いい匂いだ。安心する。

いつまでも、気持ちよく眠ることができそうだ。

……神様。無味無色で孤独な人生だったけど。

……最後くらい、誰かと一緒にいてもいいよね?

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不意に、開いた窓から強い風が吹き込み、部屋のカーテンを膨らませる。

それと同時に、彼の体からふっ、と力が抜けた。

最期に残したその表情は、これまで誰も見たことのない幸せそうな笑顔だった。



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