人生の転機となった10の音楽

おはこんばんちわ
thanのキタだよ

最近になって巨星が天に召される事も多く、ああ、私はいろんなものに出会ってからこんなにも時間が経ってしまったのかと少しだけ遠い目をしています。

小学生の頃、
Dr.スランプの単行本を何の気なしに読んでいると、アラレちゃんの入浴シーンの顔の部分にブルーザーブロディの顔を切り抜いた写真が貼ってあり、ページをめくった瞬間からハラがよじれるほど笑った事を思い出しました。高校生の兄の仕業で、私が知る彼の所業でおそらく一番面白かった出来事です。

さて最近とある縁で「人生の転機となった10の音楽」という記事を書かせていただきました。

FREEZINE
https://freezine.jp/feature/feature004/2024/03/11954/

人生の転機となった音楽を10個選び自分なりに紹介していくという記事なのですが、それはもう楽しく書かせていただきました。とはいえ10個選ぶという作業はかなり難航しましたよ。収まりきらない。いや逆にこれは果たして転機なのか、、みたいな自問自答もありいろんな意味で難航したものの、その悩みすらめちゃくちゃ楽しかったす。

内容はリンクから見てもらうとして、情熱や関心や喜びや悲しみの大きな範囲を音楽で占める人生を送ってしまったが故の今の状態を自分で認識するにもとても良い機会になったし、今の自分の音楽は産まれてすぐに身についていたものではなく、育ってきた環境やことあるごとに選んだ道筋によって作られているという事をあらためて思い知るという機会にもなりました。

思い返せばたくさんのものに影響を受けて今があるなあと、コーヒーで例えるとブレンドだし酒で例えるとチャンポンであるなあと。しかしまあこうして思うのは、音楽に限らず様々な事象においてその歴史や文化の多くはブレンドでありチャンポンだなあと思います。なにかしらが歴史の延長線上に現れては消えていくのですが、そのなにかしらの残したものが後の時代にどんな形であれ混ざって「現代」というものが作られているという事を私たちは現代において認識する必要があるなあと。そして大なり小なりなにかと残していくのですよ。これは名を残すか残さないかとか偉いとかそうじゃないとか、そういう事ではなくて、仮に自分の残すものがフンみたいなものだとしてもそれが土に還って肥沃な未来を作るのだろうと。

云うて過去も現在も未来も面白いものだなと思います。せめて何かが残るのであれば上質なフンでありたいし、そのためには分相応といった生き方をしなくてはなあと思います。名を残すために無理するような事をすると不純物が混ざりまくった肥料になりそうやしね。

ああ、なんか少しセンチな感じになりましたな。お恥ずかしい。

そういやブロディの入場曲って移民の歌だったな。あれ? ブッチャーの入場曲ってなんやったけ、そうだフロイドだ。

少し自慢ですが猪木ボンバイエの冒頭の「ファイッ」の部分、割と似た感じに歌えますのワタシ。

そう、記事読んでね、えへへ。


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