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蕎麦変人おかもとさん #9

第九話 京都蕎麦維新の会

(第八話 蕎麦屋と共に「三たて」総本山詣で)

 一九九七年、四月のある夜。東心斎橋『かしわぎ』で岡本さんと待ち合わせる。そして店主の柏木さんと三人で、先日毘沙門堂で開催された「野だてそば会」の話題で盛り上がる。まずは岡本さんから。

「まさか柏木さんが来られるとは思いませんでしたよ。電車でっておっしゃってましたよね。お疲れじゃないですか」

「いや、電車は慣れっこでね。ただ、あの山科ってところは同じ京都でも中心部からけっこう離れたところなんだね。毘沙門堂は駅からけっこう遠いし。大勢の人が歩いてたよ。ありゃ全部イベントの客っぽかったなぁ」

「そうなんです。二〇分くらいは歩かなきゃいけません。だから車で来られた人も多かったみたいで。毘沙門堂の駐車場に入りきらなくてパニックをおこしたらしいです。河村が日経新聞に書いたのが大きかったってみなさんおっしゃってました」

「ええっ、ちょ、ちょっと待ってください。柏木さん野だてそば会に行きはったですかっ。それに岡本さんも」

「あ、そうですよ。僕はお手伝いに行ってました。すると柏木さんいらっしゃって。みなさん本当に河村に感謝してましたよ。でかしました」

 実は僕は、『味禪』日詰さん率いる今年の野だてそば会についての記事を、三月一一日付けの日本経済新聞関西版夕刊に書いたのだった。紙面の四分の一近くのスペースを使わせてもらった。写真は『拓朗亭』前川さんの蕎麦を切る姿を一点。大まかな内容は次のとおりである。

●見出し 「京都で食べ比べ会 新鋭4人衆腕比べ」

●リード 四月二〇日、京都・山科区の桜の名所として名高い毘沙門堂門跡で、「野だて蕎麦」と題するそばの味比べ会が行われる。うどん文化圏である京の街に、うまいそばの文化を浸透させようと、京都府下でそば店を営む四人の”そば打ち衆”が主催。午前二時頃から約九時間をかけて、四人で五百人分のそばを用意する予定だ。(前回までは『拓朗亭』『じん六』『味禅』の三店。今回は京都・南区『たくみや』職人の中村一臣さんも参加) 

●小見出し「粉・ゆで方・水にこだわり 真のうまさ求め 日夜研究重ねる」

以下、四店の取材記事。

●詳細  第三回野だて蕎麦会 四月二〇日、午前十一時から午後三時まで。入場料 前売り二四〇〇円(定員五〇〇名)当日券二六〇〇円(定員一〇〇名の予定)。

 昨年の第二回目が日刊ゲンダイでイベント後の味比べ企画だっただけに、この第三回目については前もってニュースとして書けたことで、僕としてはようやく任務を果たせて一安心という思いだった。

 岡本さんはいつものぼろぼろの紙袋から、僕が書いたその日付の新聞を取り出してその場で広げる。ちらっと同じ新聞が何部も入っているのが見えた。

「飲み屋の若マスターがいつのまにか日経新聞にまで記事を書くようになったんですね。河村さんもほんとよくここまで頑張ってきたもんだ」

 柏木さんも購入してくださっていて、狭い延し場の片隅に山積みとなった雑誌や本の隙間から、くしゃくしゃになった日経新聞を取り出しあらためて見てくれる。

「岡本さんと柏木さんのおかげです。こんな風に僕の書いたものまで持ち歩いてくれてるのも嬉しいです。同級生は信じてくれないんですよ。バイク乗り回してばかりで、まともに授業なんて出なかったお前に文章が書けるわけがない、絶対誰かに書かせてるやろって。ほんま自分でも信じられません」

「いつかこの蕎麦屋さんたちの本でも出せるといいですね。蕎麦と言うとどうしても関東が中心になるでしょうから、関西が中心となった蕎麦本ができたら、それはそれでまた出版業界のルネサンスですよ」

「そうだねぇ。今や東京よりも関西の蕎麦屋の方がレベルが上じゃないかと思うんだけど。やっぱうどん文化圏だったことの反動と、元々食に貪欲な性格がハイレベルな蕎麦を実現させるんだろうね。だってほら、うちなんて一茶庵(本店:栃木・足利。教室:東神奈川)の流れをそのままやってるだけだから。そこからまったく進化してないし」

「いやいや柏木さんの店は別格やないですか。味はそこそこ、肴と酒がだらだら飲める店。それが大阪ミナミにあるだけで革命的やと」

「しっ、河村さん、失礼ですよ」

 岡本さんが人差し指を口元に立てて僕を止める。

「ふむぅ、一茶庵と言ってもこちらからお金を払って教えてもらうただの趣味教室だよ。ま、何十万円も払ってるんだけどね。うちはナニワのB級蕎麦屋。その表現が一番しっくりくるかな」

 そう言って柏木さんは計量カップでちびっとやってにんまりと笑った。

 岡本さんが話を戻す。

「実際には前売り券を当初より一〇〇枚増やして六〇〇枚、当日券を一〇〇枚、でも想定以上の人が集まってきちゃったもんだから急きょ一〇〇人分追加、お世話になった方や関係者を合わせると八〇〇人以上の人で溢れかえったそうです。

 結局会場に入れなかった車や歩いてきても入場できなかった人もかなりあったようで、驚異的な大成功だったとみなさんおっしゃってました。河村のおかげ、日経新聞のおかげだちゃんと伝えてくれって言われました」

「日詰さんから直々にお電話いただきました。開催前と後の二回。あんなふうに喜んでもらえるとは思いませんでした。ほんまに書かせてもらって光栄です」

「さすがに八〇〇人はすごかったですよ。毘沙門堂周辺の道路が大渋滞を起こしているのもそうだけど、会場の各蕎麦屋の釜も止まっちゃって。湯が沸かないんですよ。想像以上に時間がかかってしまって。お客さんがようやくブースの前に到達できても、そこでまた渋滞を起こしちゃってる。そうやって待っている間もどんどん車が来ちゃうし」

「むふふ、店で使う大きな湯がき釜を持ち込んでるのを見て驚いたよ。あんなの普通の火力じゃ追いつかないって。いやぁほんとすごかったねぇ、人人人で。京都の蕎麦業界は大阪よりはるかに盛り上がってるんじゃないの」

「そうそう、でもね、皆さんさすがお店で鍛えていらっしゃる方ばかりで、うまくお客さんと会話しながらその場の空気を和ませておられました。今回は『たくみや』に勤める期待の若手職人、中村一臣さんもこられてましたし。あれだけの役者が揃うことってちょっと考えられないですから。毘沙門堂の桜を舞台に見事な蕎麦会でした」

「うわぁ、あの四人の蕎麦を毘沙門堂の桜の下で一度に味わえるなんて、もう二度とないかもな。僕も行きたかった」

「あ、そうだ、中村さんが来月、京都伏見で『なかじん』という店を開業されるそうです。河村さん、一緒に行きましょうね」

「絶対行きたいです」

「『拓朗亭』や『味禅』によく通ってらっしゃった山吹さんが昨年九月に京都・京田辺で『やまぶき』を開業しましたが、こちらも石臼自家製粉。中村さんも石臼自家製粉の予定だそうです。

 こうして『拓朗亭』『じん六』『味禅』の次世代が続々誕生してるわけです。これはもはや京都石臼の役ですね。その起爆剤となったのが、野だてそば会であることは言うまでもないでしょう」

 岡本さんの才能が羨ましい。実に説得力があってキャッチな言葉がどんどんと出てくる。

 夜九時時半頃。『かしわぎ』は夜七時頃から八時頃までと、一〇時頃から終電までの二回のピークがある。岡本さんは肴のネギネギ小鉢とご飯を、僕は蕎麦焼酎お湯割りとそば団子を平らげ、そろそろ〆の二八蕎麦を注文する。

 しかし、ほろ酔い状態の柏木さんは、にんまりと笑ったままスルーしてこう口を開いた。

「日刊ゲンダイ、日経新聞、ときたから次はいよいよ雑誌だね。特集だよ。大阪にもいくつか雑誌があるんだからきっとどこかやってくれると思うよ」

「ええ、今までぜんぜん相手にしてもらえませんでしたからね。そろそろ動いてもらわんと。今回の京都のイベントで完全に証明されましたね。関西にもこれだけの蕎麦ファンがいるんや、というのを」

「むふふ、そうだね、東京だとこちらから仕掛けていくことも多いんだけどね。関西はやっぱり市民のほうが強いというか、雑誌側が慎重になって様子を見てる感じがある。でも、今回で実証されたわけだからきっとできるよ」

 岡本さんが足を組み替えてこういった。

「あの、柏木さん、お話し中に申し訳ないのですが、お蕎麦をお願いします。そろそろ第二派が来られる頃だと思いますので」

「あ、いけね」

 一〇時過ぎ、蕎麦を平らげた我々は店を後にした。

 いつものように角を曲がってすぐの自動販売機で冷たいお茶を買う。一茶庵流の『かしわぎ』のもり汁は辛口なので毎回必ず喉が渇くのだ。岡本さんはぐびぐびと一気飲み。僕はゆっくりと飲む。

 二人で飲み屋のカラフルな看板が乱立する東心斎橋から駅のある西の方へと歩いていく。

「柏木さん、次はいよいよ雑誌だって言ってましたけど、あまから手帖(大阪の老舗グルメ雑誌)なんかはどうなんでしょうかね。ほら、柏木さんところでたまにお会いする住吉さんて女性はあまから手帖の編集長でしょ。あの方、以前は東京で柏木さんの直属の部下だったそうだし、話伝わりやすいんじゃないでしょうか」

「あぁほんまですね。そういえば僕ついこの間、あまから手帖の中国料理特集号の片隅に若手料理研究家として出してもらったところです。女性の料理研究家との二人構成で、僕んところは何かとスパイスを使った創作中華ばかり。あれっ、もしかしてそろそろ発売とちゃうかな。いや、違うっ、先日もう出てますわ。あぁ柏木さんに言うの忘れてたっ」

「なに、河村さんっ、ご自分のことなのに忘れちゃだめですよ。今から買いに行きましょう。アセンスならまだ開いてるんじゃないかな」

 アセンス(2018年閉店)とは心斎橋筋商店街にある有名な書店だ。『かしわぎ』からものの五分で行ける距離にある。足早に向かったがすでに店は終了していた。

「また今度見ておきますよ。今日は帰りましょうか。お、十一時〇二分の千里中央行きに間に合います」

 地下鉄御堂筋線は大阪で最も混雑する線だ。まだ春だというのに蒸し風呂のような車内で我々はまた汗だくになっていた。

「河村さん、もし雑誌で蕎麦特集できそうならご協力しますので、その際は声をかけてください。蕎麦屋のネタや「三たて」や石臼のことなどもわかる範囲でお伝えしますから」

「それは心強いです。その時はぜひお願いします。とにかく、あまから手帖の住吉さんに相談してみます」

「ええ、もしかしたら、もうだいたいのことはご存じかもしれませんよ。柏木さんから聞いてるかも」

「ほんまですね。まぁしかし、いつ見てもあの編集長べろべろやからなぁ。どうやろ」

「ま、構成としては京都蕎麦維新組の面々が核となって問題はないと思います。そして大阪の面々、兵庫がなぜか少なめですけど『ろあん松田』さんや開業してけっこうな時間が経ってますけど『堂賀』さんなんかもいいんじゃないですかね。奈良だって『玄』はもとより『よし川』さんもいい味出しておられます。

 あと、やっぱり長野レポートもあったほうがいいと思いますね。おいしい「三たて」が関西だけでなく、全国的な現象であることを伝えることが重要。その流れに関西はけっこう早くから乗っているし、しかも全国的に見てレベルが高いことをわかってもらえるチャンスだと思うなぁ」

「さすがです。岡本さん編集を担当してもらいたいくらいです」

 心斎橋駅から約二〇分、九駅目の緑地公園駅で岡本さんは電車を降りた。僕が降りるのはそこからさらに二つ向こうの終点、千里中央駅だ。ここからさらにバスに乗って十五分ほどの豊中・西緑丘に自宅がある。

 排気ガス臭い千里中央駅のバスロータリーの一つの列に並び僕は考える。

 あれだけ、虚仮にされてきた蕎麦屋の話をちゃんと真面目に聞いてくれるだろうか。関西で関西の雑誌が蕎麦の特集なんて前代未聞である。値段はうどんと比較にならないほど高い。やはり一蹴される気がして不安だ。

 しかし、蕎麦は実はおいしいものだ、ということを関西人に何とかして伝えたい。食いしん坊揃いのこの町ならきっと喜んでくれるはず。どの店も国内産の素材にこだわり、より鮮度のいい蕎麦を出すことに努力しておられる。そのことが伝われば関西人はきっと面白がってくれるはずだ。

 不安と期待がぐちゃぐちゃになり、また汗が額をゆっくりと流れ落ちた。

 数日後、僕はあまから手帖編集部に電話をして、喉をカラカラにしながら住吉編集長に蕎麦特集についての提案をした。すると住吉さんはするっと一言。

「そういうのを私は待ってたんや。あんた、打合せするから編集部においで」

 やった、まさかの快諾だ。

 僕は日刊ゲンダイと日経新聞のコピーと、自分の知る限りの店情報のメモをもって打ち合わせに出る。他に若手編集者一人と営業部の方が一人加わる。そしてあれこれと関西の蕎麦屋の状況を伝えてから、これらはすべて「歩くコンピュータ・蕎麦変人」の岡本さんが、身銭を切って食べ歩き、蕎麦屋と信頼関係があるからこそ入手できた情報なので、今回の特集の相談役として紹介したい、ということも話した。すると住吉さんはこう言った。

「その人、私が会ったことある人やろ。柏木さんところでよく見る眼鏡をかけた人や。えらい蕎麦のこと詳しいなと思っててん」

「いや、でも住吉さん、いつもべろべろなんとちゃいますの」

「私は酔うても大事なことは忘れへんのが特技やねん。そうかいな、あんたあの人と蕎麦屋探検隊やってるんやな。よっしゃ、ほな今回の企画は紹介者をたてることにしよう。岡本さんには今回の特集の相談役として協力してもらって、さらに紹介者としても顔を出してもらう。他にも蕎麦好きがどっかにおるやろう。ちょっと探してみ」

 編集者、営業の方がうんうんと頷きながらメモを取る。

 そして僕はもう一つ付け加えた。

「それと、蕎麦界のカリスマが長野におられまして。先日、京都の蕎麦屋さんに連れて行ってもらったんですよ。黒姫山麓に『ふじおか』という店があって、東京の老舗の職人もこっそりと食べにくるような名店で。アマゾンみたいな僻地なのに全国からお客がやってくるから凄いです。

 ほかに戸隠と松本にもそれぞれ伝統的な蕎麦、東京のような飲める蕎麦屋と多様なスタイルの店があって、まぁ関西からはちょっと距離があるんですが、現在の日本の心臓部という意味でここらを取材できたらもっと広がりと深みが出るんちゃうかなと思いまして……」

「ん、それもめっちゃおもろいな。どや、それくらいの予算あるやろ」

 快諾の上に快諾してくれた住吉編集長が営業担当の顔を一瞥すると、営業の男性はペンを走らせ数秒黙った後「ええ、まぁなんとか」と応えた。

「決まりや。長野ページも入れる。そこもあんたが担当するんやで。この特集は今年の九月号でやるから。ほな」

 なんとなんと、あれほどの難産企画が、怖いくらいにスムースに決まってしまった。しかも今年の九月号で特集を組むなんて、月刊誌なんだからきっと予定していた企画が他にあったに違いない。それを動かしてまでやってくれるとしたら、これほどすごいことはない。

 編集部を後にした僕は興奮しながら岡本さんに電話を入れ、ついに特集が決まったこと、岡本さんに相談役として協力してもらいたいので一度編集部に来てもらいたいこと、さらに紹介者として立っていただきたいことなどを矢継ぎ早に伝えた。

 岡本さんは声を上げて喜んでくれた。そして一言。

「住吉さん、やっぱり柏木さんからすでにいろいろ聞いてたんでしょうね。なんだったら元々今年中に特集を組むつもりだったとか。もちろん河村にやらせる前提で」

 もしや住吉編集長も蕎麦変人か。

「第十話 岡本さんと柏木さんの石臼研究会」

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