タイの老人に見られる軽さ
モーチットのバス停での事であった。
私はベンチに腰掛けながらバスを待っていたのであるが、私のすぐ近くにはルンペン風の老人がいて、その老人は隣にいた若い女性と何やら話をしていた。
老人の風貌からその若い女性の身内であるわけではなく、単に知らない人同士で話をしているだろうという事は何となく窺い知ることができた。
すると、私の予想通り、しばらくすると老人は女性と別れを告げるようにしてバスに乗り込んでいった。
たまに、タイでそうした労務者風、ルンペン風の小汚い格好をした老人が若いタイ女性と道端で話をしているのを見かけることがある。老人によるナンパなのだろうか。
そして、その老人のナンパを受け入れるだけの寛容さがタイ人女性にはあるということか。あるいは、老人には若者に見られるようなガツガツとした野心というか劣情が感じられないので、安心して相手できるということもあるのか。
真相はわからないが、私はそうしたタイの老人たちの人格の軽さに少しばかりの嫉妬心を感じてしまう。彼らの人生はひたすら軽い。そして、社会生活を営む上で、重さや真面目さ、常識、気配り、思いやりなどなど、各種の感情や考え方が要求される日本とは違って、人生に対するどこかしらあっけらかんとした態度がタイ人には垣間見られるようだ。どこまでも軽い。
またこれはずっと過日のことであるが、タイの地方に行った時のことだ。たまたま入ったガソリンスタンドの併設のカフェから出てきたのは、タイ人の老人たちの男女のグループであった。
彼らは仲良く手を繋いでいた。彼らの表情はとてもリラックスしていて、幸せそうに見えたのが印象に残っている。
これらは私が見たタイでの一コマ、二コマに過ぎず、これらの情景と日本における老人社会の(筆者が勝手に想像した)心象風景というものを比較し、タイの老人の方が幸せそうだと結論付けるのはあまりに短絡的過ぎるきらいはあるのであるが、そうであっても、少なくともタイには人をストレスに追いやらない独特の雰囲気というか空気があるらしいというのは、感じざるを得ないのである。
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