野草石けん仕込みましたー。
石けんを使う暮らしについておもうこと。
ここ3年ほど、石鹸を使わない生活をしておりました。
もちろん洗濯も水洗い。
お風呂は湯シャン、塩浴、重曹。。
それでも暮らしていけないことはないのだけれど、やっぱり頭がふけっぽくなったり、食事で油をとったあとはべたっとしたりするし、洗濯物も黒くなっていくんですね。
これが先進国でなければいいんだと思うんです。
いつでも明るい照明が、必要以上に身なりを照らすので、日本で暮らす以上、それなりに身だしなみを求められていったんだとおもうんです。
そして隙間風のない密閉された室内になったこと。
北国は半年近く室内で洗濯となるので、室内干しをしたら匂いが発生することもあるので、そこのところも手間をかける必要が出てきちゃうんですね。。
なのでちょっと石鹸を使うことにしました。
自然の恩恵をいただきながら暮らす。
左 、白樺の樹液石けん。右、よもぎ石けん
春先は白樺の樹液を混ぜて樹液石鹸を仕込みました。
そして昨日はヨモギを煮出してヨモギ石けんを。
少しずつ自然の恵みを足していくのが我が家の暮らし。
感謝しながら恩恵をいただきます。
だからそれがどれくらい大地に影響を及ぼすのかも観察します。
幾らかでも使う限り、大地を変えてしまうけれど、なるべくそれを穏やかにしたいと思うから、観察しながら使う量を決めていく。
排水の先にある植物の成長を観察する。
ライフラインのない山岳地帯に暮らしていた頃、私たちは石鹸を使っていなかったけど、ほかのオーガニック石鹸を使っている人の土地を観察しておりました。
排水の先には果物やちょっとした植物が生えていたので、それらにどう影響していくかを知りたくて、みていたんですね。
みなさん、さほど大量に使うわけでもないので排水の際の草もその先の緑もしっかり育っていたんですね。
そんなことを自分の目で見て感じて、我が家も無添加石鹸を必要な量だけ使わせてもらうことに決めました。
自分の目で見て考える。
近頃、私が大切にしていることがあります。
それは自分の目で見て感じて「自分ごととして」考えるということ。
この石鹸の観察を見て気づいたのです。
私はたくさんのことを耳で聞いた情報だけで決めてきたのかもしれないな、と。
温暖化だって実際どんな生活がどれくらい影響を与えているかなんて目に見えないのでわからなくて、そもそも環境汚染に対して私は大方そうだったのかもしれない、って。
自分ごととして感じたのは、山岳地帯の暮らしをしてから。
私たちがどれだけ車に頼り、便利な製品を使い、それを安易に捨ててるか、ということも見えてきてハッとしたんですね。
日本でスーパーに行かない実験をして、プラを使わない暮らしが自分にとってどれくらい心地いいかも感じています。
「環境に良くないから。」ではなく、自分ちの庭で燃やしたくないようなものを使いたくはないよね、と感じ、自分の行動が変わってくる。
ミツロウラップならエコだ、ではなく、地球にはエコかもしれないけれど、ミツバチの暮らしに手を出すのはどうかな、と考え、自分の行動を決める。
「自分ごととして考える」というのは、自分の日々を観察し、自らの行動がかわらさって行くんですね、
石鹸実験をとおして情報ではなく、「自分の感覚で、自分ごととして考える」ということを経験しました。
それがなんとも筋が通っていて気持ちよくて。
「自分の感覚で、自分ごととして考える」
それは、環境問題だけではなく、私の日々のすべてにおいてそうなのだといまはおもいます。
そしてそれは繰り返し経験していくことで自らを育ててくれる。
そうして今の私の暮らしはできています。
手作りの暮らしは、一つずつ自分が納得いく心地よさを生み出してくれます。
石けんを作る、野草を食べる、車を運転しない。そんな私の日々は、小さな私にとっての納得が積み重なって出来上がっています。
そんな暮らしが心地よくて好きです。
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