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ALUMNI STORY エンジェル投資家 福田 和博(情報科学研究科卒)さん

東北大学の出身者や関係者でスタートアップ界隈で活躍されている方、そして官公庁や大手企業などにいるこれから東北大発のスタートアップに関わっていきたいと思われているOBOGの方々をご紹介する「東北大学スタートアップアルムナイ100人カイギ」このイベントで収録された東北大学OBOGの講演内容を「ALUMNI STORY」として記事化してお送り致します。
※東北大学スタートアップアルムナイの詳細についてはコチラをご覧下さい。


自己紹介:横浜・仙台で経営者・起業支援家・エンジェル投資家として活動

※こちらの収録は2023年3月に行われたものです。
福田と申します。私は、東北大学大学院を出た後、東芝に入り、ソニーに入り、色々やって、その後、横浜を拠点に色々な事業をやったり、それを売却したり、その資金を求めに、非常に小規模ですが、エンジェル投資家っぽい活動をしていたりします。仙台では、まだ展開できていなくてごめんなさいですが、傘シェアリングサービス「アイカサ」なんていうのも割と深く関わった事業で、あとは、神奈川ワーケーションNaviというウェブサイトもやっていたりします。

これは、私がスキューバダイビングが趣味で、いろんなところに潜りに行く中で、ソニーの仕事を持って、いろんなとこに潜りに行く社畜な感じだったので、その分、長く休んで、いろんなところでテレワークができたらいいな、そういう時代になったらいいな、と思って、今も道楽というか、ボランティア的に活動しているものになります。その中で日本ワーケーション協会のメンバーだったり、最近だと官公庁の仕事のアドバイザーもやっていたり、iU(情報経営イノベーション専門職大学)の仕事もやってたりします。

東北大学大学院卒業後、東芝、ソニーを経て、起業

大学入学前:NHKの「電子立国日本の自叙伝」に感化されて東北大学へ

まず生い立ちからザッとお話させていただくと、生まれた後、千葉県の、今は柏市に合併されている小さな町で育ちました。高校は、柏駅前にある東葛飾高校というところで、「自主自律」「人と違って良い」ということを、15歳から18歳ぐらいまで学んで、そうか自由にしていいんだということで、県立高校では珍しく、私服の学校だったりして、とても自由な高校でした。

その時に見ていたのがですね、我々の世代ならみんな見ているNHKの「電子立国日本の自叙伝」に西澤潤一総長がスーパースターとして出てて、仙台が生んだこの天才がいる街に是非行ってみたいということで、私も多少理系少年だったことがあり、東北大学を目指して、なんとか現役で合格して入ることができました。私の同世代はみんなこんな感じでとんぺいを選んでる工学部生が多かったかなと思います。

大学入学後:留年を活かして家庭教師会を起業

大学から仙台に行ったのですが、7年いて、なんと滞在中に6回も引越しをしました。太白区から始まって、青葉区、若林区、泉区だけ住んでいないのですが、結構幅広く住んでいたので、この頃から不動産大好きお兄さんだという片鱗を示していると思います。その中で、実は大学2年生から3年生の進学の時に1年留年しました。色々とあったのですが、ちょうどこの時、教養部と学部の改革の時期で、色んな言い訳になるのですが、制度の狭間に落ちてしまって、英語2単位だけ落として留年するという悲劇に見舞われました。

とはいえ、じゃあそれを活かそうということで、実は2回目の大学2年生の時に、仲間たちと一緒に小さな家庭教師会を起業しました。この21歳の起業が、一番最初のスモールビジネス起業だったので、そういう意味では、割と起業が早かった方かなと思っています。もちろん大したものではないので、別に株式とかそういう概念もなく、みんなの個人事業の集約みたいな形でやっていたので、卒業する時は自分が抜ける形で終了したというか、後輩たちが、とある大きな家庭教師会に合併される形で消えました。

その後、無事に工学部機械知能系を卒業させてもらっているのですが、なぜか機械知能系なのに半導体プロセスの研究をしていました。実は当時、多分コストがなかったのか、電気系の中に西澤先生の流れの先生がいなくて、機械系の中に何人か、半導体系で西澤先生の流れを汲む先生たちがいらっしゃったので、私は学部としてはそこで半導体の勉強をしていました。

そこからまた少しキャリアチェンジをして、当時、情報科学研究科というのが割と新しくできたばかりで、文理融合の新しいあの世界を作ろうという概念に非常に憧れまして、また、青葉山から仙台の街中に降りていきたいというあの願望もあって、それで片平の情報科学研究科で、人工知能やネットワークなどの研究をしました。これも実は25年まわって今につながっていて、この辺にいろんな伏線があったなと思いますね。

西澤潤一総長を知り東北大へ、半導体や人工知能の研究、家庭教師会の起業などを行った

現在の仕事内容:東芝、ソニーを経て独立、現在はスタートアップ起業に挑戦

その後、東芝に入りまして、かな漢字変換を発明した、言語処理などををやっている知識メディアラボに配属になりました。そこで3年半やってみて、あまり研究者向いてないな、もっといろんなビジネスをやりたいなと思って、ソニーに転職しまして、色んな調達、企画、戦略など部署を幅広く経験させてもらいました。

スライドにはちょっと恥ずかしい写真がいっぱい並ぶのですが、一番左上が、東芝に入った時の新入名簿の写真になります。さっきSNSにあげたら、いいねがいっぱいついて、特に髪型について突っ込まれたのですが、こんな若い頃もありました。ソニーに転職して、写真に写っているのが当時の部長さんになるのですが、いろんな海外出張にも連れていっていただいて、非常にグローバルな経験を積ませていただきました。ソニーさんは本当にありがとう、と私の心の中で思っている会社です。

その中で商品企画をやったり、スピーカーにNFCを使ってBluetoothとかWi-Fiを接続するような、ユーザー体験の設計などをさせてもらったことは、割と爪痕を残せたかなと思っています。ちょっと変わったところだと、皆さんは「Rolly」っていう商品はあまり知らないかもしれないですが、両側にスピーカーがついていて、踊り狂いながら、光りながら音を奏でるダンシングスピーカーという狂った商品をソニーさんが出していて、商品企画1代目の方が結婚でアメリカに行ってしまったので、私が引き継いで、2代目商品企画をしていました。とても面白い商品だったので、こういうことがやれるのも、ソニーさんにいたからだったなと思っています。

また、ソニーは東北に関わる人々が多かったので、2011年はボランティアバスを沢山出していて、毎週末のように仙台、岩手と東北地方に通っていました。あとは、ダイビングが好きなので、ソニーダイビング部のメンバーとよくダイビングに行っていました。

東芝からソニーへ、特にソニーでは幅広い業務を経験した

そんな楽しい会社員生活を過ごしていた中で、ちょっと暗い話になるのですが、私としては、世界中のお客さんの欲望を刺激しまくって、沢山の商品を大量生産・大量消費して、地球環境に非常に負荷をかけながらやっていることに、結構ずっと悩んでいて、電機メーカーの宿命だとは思うのですが、そういうことも色々考えるようになりました。あとは課長になって、海外出張が増えたことから、体調というか自律神経を乱してしまいまして、今は完全に寛解しているのですが、2014年からちょっとメンタル不調になり休職して、その休職している間に色々と人生を考え直して、ソニーは大好きだけど、そろそろもういいかなと思って退職することにしました。そこから、横浜で経営者としての新しい人生をスタートしたというのが、今から8、9年前ぐらいになります。

そこで始めた事業として、2011年の震災の直後ぐらいから、区分マンション投資を始めました。やっぱりサラリーマンというのは、与信力があるので、銀行がお金を貸してくれますし、それまでコツコツ貯めていた自己資金と、新築のマンションは絶対に買っちゃいけないのですが、中古の区分マンションというのは割と当時利回りが良くて、かつ値段が上がればキャピタルゲインも取れるということで、サラリーマンにとっても副業にならない、一番いい投資というか事業だったなと思っていて、結果的に区分マンションが十何個まで増えました。そういう感じでメガ大家に向かっている中で、次は一棟ものにチャレンジしまして、まあアパートを建売で買うというのもあるのですが、自分で設計してアパートを建てるという、1人デベロッパーをやっていました。

私の大学時代の不動産の間取りを見るのが好きという投資がここで回収できて、当時はバイト代を貯めては引っ越して、引越し貧乏とみんなに揶揄されていたのですが、1人デベロッパーとして、工務店と一緒に土地を仕入れて、建物を建てて、満室にして売るという1人事業を、サラリーマンをしながらやっていました。私は不動産投資ですと言いながら、実際事業だと思うのですが、1人デベロッパーをやって、これが一応大成功で、資産を築かせてもらいました。今は、不動産はほとんど卒業しています。値段も上がってしまって、会社員じゃないとなかなか融資も受けられないので、あまりやっていません。

ということで、次に手を出したものとして、実はマッサージ屋さんを経営しました。この時はもう会社員を辞めていたのですが、私自身も制服を着てやっていました。横浜の中華街で、フランチャイズのマッサージ店をやっていたのですが、大失敗して、累積2000万円の赤字を超えて、3年で事業売却、撤退を余儀なくされました。ただその後、雇用している人々を使った、キャリアアップ助成金などを、社会保険労務士の皆さんと一緒に経営者にアドバイスするコンサル事業で、3000万円ぐらい稼いだので、一応赤字は補填して、リベンジしたかなと思います。

あとは、私の家族に着物が好きなものがいたので、関内で着物のレンタル屋さんをやったりもしました。私自身もサロンでは失敗したのですが、サロンをやる中で、エステティシャンやセラピスト、整体師の人たちが独立するときに、なかなか場所がないという問題があったので、時間貸しできる個室のレンタルサロンを作ろうということで、横浜駅前でテスト的にやってみたら非常にうまくいったので、当時流行り始めていた、スマートロックという、スマホで鍵が開け閉めできるやつを使って、ソニーのQrioというロックを改造して、オンラインで予約管理システムと連動するようなシステムを作って、最大10店舗まで増やして、その予約管理システム丸ごとを事業売却するということで、次のオーナーさんに引き取ってもらうことができました。

結果的には、コロナに入る直前の2019年末に売却したので、多分一番いいタイミングでイグジットできたのかなと、この事業に関しては思っています。 こんな感じでビジネスを立ち上げては売却する、とここに書いてある以外にも幾つかトライしていて、こういったことでエンジェル投資家としての種銭を得ることができたかなと思っています。

1人デベロッパー、マッサージ店、着物レンタル、レンタルサロンなど幅広い事業に挑戦

最後のページになるのですが、24歳の時、大学院で、人間とソフトウェア・エージェントの間で自然言語の会話をするという研究をやっていて、ライフワークとして、私はこの領域に非常に関心があって、東芝でもやってたし、ソニーに行ってからはちょっと変わりましたが、これが25年経って、今回新しい事業を起業することにしました。

何かというと、皆さんが大好きなChatGPT絡みで、ChatGPTをバックエンドのエンジンとして使って、フロント側にいわゆるプロンプトという、ChatGPTに投げる指示の言葉を上手く作るための、SaaSの仕組みを作っている個人の開発者の方がいて、その方と2人で、50歳にして新しくスタートアップ企業を立ち上げることにしました。

もうすでに活動を始めていて、明後日法人登記になります。そんな感じで50歳にして、何回目かの起業になりますが、初めてのスタートアップ企業をしますので、先輩の皆さん、ぜひご指導ご鞭撻をよろしくお願いします。

50歳にして、スタートアップ起業に挑戦!

今後貢献していきたいこと:興味のあることを学び続ければ、未来に繋がる!

最後に私からのメッセージとしては、特に若い方々に向けてになるのですが、私は人生は思った通りにはならないと思っていて、私自身もこんな人生を歩むなんて最初は全然考えていませんでした。でも、歩んできた道のりと、自分自身がどんな興味関心があって個性があるかというのが巡り巡って、25年後に繋がったりするので、不動産もそうだし、ソニーを選んだこともそうだし、私からすると、とにかく興味のあることに学びを続けるということで、私も毎日新しいことを勉強しています。今でもそれを続けていて、今この瞬間にフォーカスしながら楽しんで進んでいけば、多分後で振り返ってみたときに今日のように私は何の後悔もなく生きているので、そういう人生の軌跡を描けるんじゃないかなと思っています。何か相談とかがあれば、いつでも福田にご連絡頂ければと思います。以上です。 ありがとうございました。

[東北大学スタートアップアルムナイ-コミュニティについて]

「東北大学スタートアップアルムナイ」コミュニティは、ハッカズーク社提供の「https://official-alumni.com/」を活用し、有志が運営しております。

現在本コミュニティへの登録は、招待/承認制とさせていただいております。東北大OBOG(および関係者)であったかなどの在籍確認や、本コミュニティへの貢献意思、スタートアップ業界でのご活躍状況などを登録の際に確認させて頂いております。その為、ご登録までにお時間がかかる場合がございますので、その旨あらかじめご了承ください。
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