老子の格言『授人以魚 不如授人以漁』について。ここに居たくない理由。
老子の格言『授人以魚 不如授人以漁』について。
飢えている人が目の前に居る時、すぐ食べれる魚を与えるべきか、魚の釣り方を教えるべきか。
老子は「人に魚を与えれば一日で食べて終わるが、釣り方を教えれば一生飢えずにすむ」と説いている。
釣ってる最中に餓死するなど、小学生レベルの指摘は論外として…
捉え方は人それぞれ。
大切なのは学ぶ姿勢であって、言葉そのものではない。
目の前にある簡単な二択問題について。
①今すぐ魚を食べますか?
②この魚の釣り方を覚えますか?
この二択であれば②を選択する人間は少なくない。
ところが
①今すぐ魚を食べますか?魚は毎日届けます。
②この魚の釣り方を覚えますか?
この二択ではどうだろう?多くの人が①を選択すると思う。
あなたは毎日魚を供給される保証がある人だろうか?
目標を決められない人々。
目標が無い人は今すぐに決めるべきだ。
頑張っても目標に届かなかったと言う人はいるだろう。
スポーツの大会やコンテンストの入賞など、明確な結果に対して挫折する事はあるが、順位など目標とする基準が設定されていない場合は勝ち負けすら無い。
目標を決める事ではじめて努力が可能になる。
意外な事にそれを知らない人が多い。
そして必ず「努力しても報われない人も居るよね」と言う。
小さな目標に最大限努力すれ必ず達成出来る。
子供でも理解できる事なのに。
しかし、SNS社会では他人の人生を生きる“モブ”になっている人が多い。
そう言う人間の考えはこうだ。
"他人と同じ事をした方が叩かれないし効率が良い"
しかし、良く考えてみて欲しい。
実力で目標を達成した人間の実力まで真似出来るだろうか?
チートで突破した者を真似る事は本当に出来るのだろうか?
永久にクリア不可能なメインクエストを彷徨いながら老いて行くのが関の山である。
この人たちは魚の供給が止まった時、きっと奪い合い、殺し合い、死骸を食べてでも生き残ろうと足掻く。
だから、僕らは今は未だここに居るが、数年後はここには居ないだろう。
「魚の釣り方を教わる事を選択した人間としか出会わない道」と言うのが間違い無くある。
今は別々の場所にいるかも知れないけれど、目的地でお会いしましょう。
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