【短編】お酒は二十歳になってから…。【今日は何の日 : 0625 生酒の日】

 たまに、無性にお酒が飲みたくなるときがある。
 部活で失敗したときや、テストで赤点ギリギリをとったときとかがそうだ。
 もちろん、法律的に私は飲酒が許されている年齢ではない。
 そして、私は、お酒を飲んだこともない。
 でも、ドラマとかで、「これが飲まずにやってられるか!」と言って、嫌なことがあったときにお酒を飲んで、楽しそうに笑ったり、ワンワン泣いたりしているシーンを見ると、思わず飲んでみたくなるのだ。

「はぁ……マスター……きついのをお願い」
「いや、俺はマスターではないし、ここはバーでもないし……」
「ノリが悪いぞ、お兄ちゃん!」

 私は、ダイニングから、炊事場で食器を洗うお兄ちゃんに、くだをまくように文句を言った。

「……はぁ、……お客様、どうされたんですか? 今日は随分と荒れてますね?」

 深い溜息をついてから、それでもこうしてノってきてくれるお兄ちゃんが、私は大好きだ。

「聞いてよ、マスター……私今日、テス……じゃなかった、仕事の書類で、ちょっとしたミスしちゃってさ……ミスって言っても、本当に些細な計算ミスなんだよ? なのに、せんせ……じゃなかった、上司は『そんなんだから、お前はいつもダメなんだ!』って説教してきて……」
「なるほど……些細なミス、ですか……私には、それがどんなミスなのかまではわかりませんが、小さなミスを一つ取り上げて、くどくどとお説教というのは、確かにシンドいものですよね……」

 私なんかと違って、一度役に入ると、完璧に演じられてしまうのは、多分お母さんの血なのだろうと思う。
 サラリーマンなんてやっているが、高校と大学のとき、お兄ちゃんはちょっと名の知れた舞台役者だったらしい。演劇に詳しい友達が教えてくれたのだ。お兄ちゃんが演じる舞台……ちょっと見てみたかったなと思う。
 私は、ちょいちょい役になりきれていない瞬間があるので、お兄ちゃんのそういうところは、素直に凄いと思う。

「でしょ? せんせ……上司のやつ、『どうせ、数学の勉強をろくにしてないから、こんなミスをするんだ』とか決めつけて話をしてきてさ……私だって、計算苦手なの克服しようと、しゅくだ……仕事も毎日しっかりやってるし、結構色々やってるんだよ? でも、むいてないんだからしょうがないじゃん? 計算とか数字とか見てると、眠くなっちゃうんだもん……」

 昔からそうなのだ。
 私は、勉強が苦手だ。
 国語とか、文章を読むのは嫌いじゃないのだが、計算とか暗記とか、そういうのが全般的に苦手なのだ。
  一言で言うと、楽しくないのだ。
 なので、どうしてもサボってしまう。
 勉強というのは厄介で、ちょっとでもサボると、もうあっと言う間についていけなくなってしまうのだ。私の場合は、小学5年生のときに出てきた、割合ってところで、算数はもう挫折した。分数の通分でダメ押しだったっけな? そんな感じだ。

「うーん……難しいところですね。ミスと努力は、恐らく明確な関係性はないですからね……でも、評価する側からすれば、やはり、過程を評価するのが難しい以上、出てきた結果で、その過程も含めて評価せざるを得ない……だとすると、結果が悪い=努力していないという判断をしてしまうのは仕方がないとも言えます……」

 そう言いながら、おしゃれなグラスにまんまるい氷の入ったうす茶色の飲み物を差し出してくれるお兄ちゃん。
 ドラマで見た『水割り』みたいだと思って、口に運ぶと、烏龍茶だった。
  でも、その雰囲気だけで、なんだかちょっと酔っ払った気になった。

「結果が全て……かぁ……なんかそういうの楽しくないなぁ……」
「良い結果が出ないときは、そうですよねぇ……」

 いつの間にか、我が家の食卓が、バーカウンターのように見えてくるから不思議な話だ。
 飲んでいるのも烏龍茶のはずなのに、お酒を飲んでいる気分になるし……
 ああ、いや、バーにも行ったことがなければ、お酒も飲んだことがないので、雰囲気だけなのだが……。

「マスター、おかわり!!」
「……お客様、あまりご無理をなさらない方が……」
「いいからぁ!!」

 溜息を吐いてから、またもう一杯、同じ水割り(烏龍茶)を出してくれるお兄ちゃん。
 手馴れた手つきなのは、昔バーで働いていたからだろう。
 行ってみたかったな、お兄ちゃんの働くバー……。

「でも、お客様が頑張ったことは、きっとその上司の方にも伝わっていますよ」
「えぇー、絶対にないと思うけどなぁ……」
「いえ、きっと伝わっています。だって、お客様は今、『頑張ったのに評価されなかったことを悔しがって』らっしゃいます。本当に頑張っていなかったら、そうやって言われたときに、そこまで悔しがりません。その気持ちは、確実に上司の方にも伝わっている……だとすれば、その上司の方にも、お客様が『頑張らなかったわけではない』ということは、伝わっているはずです……」
「そうなのかなぁ……」

 私には分からないけれど、お兄ちゃんがそういうのなら、そうなんじゃないかと思えるから不思議だ。

「でも、上司の方から、そうやって『出来ない奴』だと思われているのは、悔しいですよね……」
「うん……ムカつく」
「でしたら、できるようになって、見返してやればいいんです」
「……それができたら、苦労はしないんだってば……」
「大丈夫ですよ、お客様ならきっとできます。……なんでたら、私が少しお手伝いをして差し上げましょう!」
「え? ほんと? そしたら、英語の課題と数学の課題をやって――」

 不意にお兄ちゃんが宿題を手伝ってくれるっていうから、思わず演技も忘れて返答をすると、

「こら、全部やらそうとするな。俺はあくまで手伝いだ。お前が自分でやらなきゃ、それこそ先生の言う通りになるだろ?」

 お兄ちゃんは、私のオデコに軽くチョップを入れて、呆れたように笑った。

「手伝ってやるから、さっさと終わらせて、少し数学の勉強をしよう。なに、俺の自慢の妹なら、きっとすぐにできるようになるさ」
「わかった、宿題持ってくるから、待っててねお兄ちゃん!!」

 私は、水割りを一気に飲み干すと、バーカウンター(食卓)にグラスを叩きつけるようにしておいて、リビングのソファに置きっぱなしになっていたカバンに宿題を取りに戻った。

「……ごっこなら構わないけどな、酒は二十歳になってからだぞ?」
「うん! いつか私が大人になったら、お兄ちゃんが作ったカクテルをご馳走してね!!」
「……はぁ、ああ、お前が二十歳になったらな」

 そんな些細な約束、きっとすぐにお兄ちゃんは忘れてしまうだろうけれど……。

 私は、その日が今から楽しみだった。

 いつか、お兄ちゃんと一緒に飲むお酒は、一体どんな味がするのだろう?
 甘いのか、辛いのか? それとも苦いのか……。
 生酒とか、冷酒とか、いろいろな種類があるお酒を、私は好きになるのだろうか?
 そんな風に色々考えながら、私は、手をタオルで拭きながら食卓につこうとするお兄ちゃんの前に、自分の宿題を広げるのだった。


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