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【短編】小瓶に込められた優しさ――。【今日は何の日 : 0703 オロナミンCの日】
「今日は、お前がいくら泣いても俺は何も感じないからな!」
朝一で、俺は妹にそう宣言した。
というのも、今日が、『涙の日』だから。
かれこれ数日、『今日は何の日』が我が家でブームなっていたので、毎朝一応調べるのが俺の日課になっていた。
今朝もいつものように調べてみたところ、ドライアイの研究促進・治療の質の向上と普及を目的に活動を行う「ドライアイ研究会」が制定したこの『涙の日』を見つけたのだ。
これを妹がフューチャーしてきたら非常に厄介だと考えた俺は、先手を打ったのだった。
「ん? 何を言ってるの、お兄ちゃん。朝から、私が泣くとか? 意味不なんですけど?」
しかし、その反応からして、どうやら妹はもう、『今日は何の日』には興味を失っているようだった。
まぁ、いつものことだ。
こいつは基本、熱しやすく冷めやすい、海よりは陸地のようなやつなのだ。
「いや、別に、お前に心当たりがなければそれでいい。今朝は何が食べたいんだ、お姫様?」
「んー……今日はご飯かな? 焼き魚よりは卵焼きとお味噌汁と……って感じ?」
「OK、んじゃ、和系卵朝食ね」
リクエストを聞いてすぐ、冷蔵庫から材料を取り出して、朝食を作り始める俺だった。
「……っち、流石はお兄ちゃん。私が狙いそうな『今日は何の日』は調査済みかぁ……事あるごとに泣いて、お兄ちゃんを困らせてあげようと思ってたのに、あそこまで完璧につぶしに来られると、もう、どうあっても私の涙には動じないだろうしなぁ……」
朝一でお兄ちゃんが繰り出してきた先制パンチは、予想の範疇だったけど、やっぱりちょっと困った。
あれ以上に面白い『今日は何の日』を私は考えていなかったのだ。
「うーん……参った」
一応、改めてスマホで『今日は何の日』かを検索してみる。
すると……
「お……これいいかも?」
7月3日。
結構面白い『今日は何の日』を見つけたかも知れない……
「帰りに買えるだけ買ってきて……あとで、お金は請求しよう……」
見てろよ、お兄ちゃん。
びっくりさせてあげるんだからな!!
「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
職場に残り、帰る同僚に挨拶をして、俺は大きく伸びをした。
明日の会議資料を任されていた後輩が、体調を崩してしまって欠勤。
会議について情報を共有していた同僚も、嫁さんが倒れたとかで急いで帰ることになり、動けるのは俺しかいなかった……とか、そんな感じの理由で、残業を余儀なくされた俺だったが、今日は確か、妹も友達と外食の予定だったし、残業の件もわかってすぐに連絡した。多分、問題ないはずだ。
「んー……っかぁ―――っ! 背中いてぇ!!」
そこそこ広いフロアに、自分ひとりという状況は、経験した人には伝わるだろうが、謎の開放感があるのだ。
妙に響く声、自分以外の誰もいない空間は、なんだか悪いことをしているような、奇妙なドキドキ感がある。
不思議と独り言が増えてしまうのは、俺だけではないと思う。
「あと、ざっと1時間くらいかな? いや、それより早く終わらせて帰りたいな……」
誰に言うわけでもなく、勝手に口が声を発するのは、なんとなくだが、寂しさを紛らわせるためなのかもと思う。
俺の場合、普段が普段なので、こういう静かな状況は落ち着かないのかも知れない。
「……あいつ、そろそろ帰ってきてるかな? 俺が帰らないのをいいことに、門限超過して遊んでるって可能性もあるか?」
俺は、妹のことをある程度信頼しているので、本当は門限なんてものを設けるのは嫌なのだ。でも、妹ではなく、その周囲の若者を信頼できるかというと、残念ながらできない。思った以上に、ハメを外してバカをやる若者は少なくないのだ。
なので、妹の安全のために、門限は守って欲しいというのが、兄心だったりする。
「それがなかなか伝わらんからなぁ……」
パソコンのキーボードで文字を打ち込んでいきながら、俺は独り言を続ける。
『親の心子知らず』と同じで、『兄の心妹知らず』なのだ。
まぁ、同様に、『妹の心兄知らず』なので、お互い様ではあるのだが……。
「いい子にしてるといいんだけどな……」
全速力で作業を進めていたが、やはり当初の目論見通り、仕事を全て終えるのに、一時間ちょっとかかってしまった。
印刷とホチ止めは、明日後輩たちに任せるとして、出来上がった資料を上司に送って確認してもらうと、俺はもろもろを片付けて、やっと家路につくのだった。
時計を見ると、もうすぐ針達が一箇所に集まりをそうな感じだ。
下手をすれば、もう妹は夢の中の可能性もある。
そんなことを考えながら、そっと鍵を開けると、すぐに玄関の電気が点いた。
母は今日は帰る日ではないので、間違いなく扉の向こうには妹。
どうやら、起きて待っていてくれたらしい。
俺は、第一声でどんな謝罪をしようか考えながら、ドアをゆっくり開けた。
玄関でお兄ちゃんの帰りを待つこと十数分。
律儀なお兄ちゃんは、キチンと会社を出るときにメールをくれるので、大体何時に帰ってくるかは分かっていたが、予想通り今日のうちに帰ってきてくれて良かった。
勿論、こんな感じになる予定ではなかったのだが、結果的にいい感じのサプライズになりそうだ。
ドアの向こうで鍵を出す音が聞こえたので、私は電気のスイッチに指をかける。
そして、鍵が開くのと同時に、スイッチを押した。
これで、察しのいいお兄ちゃんのことだ、私がここにいることが伝わっただろう。
そして、ドアが開くまでに時間があったのは、多分私にどんな言葉をかけようかと考えていたに違いない。
その辺が分かるくらいには、私もお兄ちゃんのことはわかっているつもりだ。
でも、その用意した言葉は言わせない。
私は背後に持ったそれがまだ冷たいのを確認して、開いていくドアに合わせて息を吸った。
「遅く――っ」
「元気、ハツラツゥ?」
俺が口を開くより早く、俺の言葉をかき消すように、妹は元気いっぱいな声でそう言うと、俺に向かって、見慣れた小さな瓶を差し出してきた。
やられたと思った。
確かに、朝確認した『今日は何の日』の一覧の中に、それもあったのを思い出す。
しかし、この状況、このシチュエーションで、それを繰り出してきた妹は、我が妹ながらあっぱれだった。
これほどまでに、この炭酸栄養飲料がマッチする状況もそうそうないだろう。
俺は、思わず笑顔になって、その差し出された瓶を受けった。
すると、妹は、もう一方の手に持った、もう一本の瓶の蓋を勢いよく開けて、その手を軽く前に出してきた。
それを見て、妹の意図を察することができた俺も、瓶のフタを開けて、手に持った瓶を、妹の手に持たれた瓶に向かって突き出した。
カキンッ! と小気味の良い音がなって、俺達の手の瓶が、優しくぶつかる。
その音を聞いた俺達は、目を合わせて、息を合わせて、示しを合わせたように同時にこの言葉を叫ぶのだった。
「「オロナミンC!!」」
7月3日。
そう、今日は、「オロナ(7)ミ(3)ンC」という、強引極まりない語呂合わせで決められた、大塚製薬株式会社が制定した『オロナミンCの日』なのだった。
仕事に疲れた体に、ビタミン豊富なこの飲み物の独特の味が口いっぱいに広がった。
妹の優しさとともに飲み干したそれのおかげで、仕事の疲れが全部吹き飛んだ俺だった。
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