女の子が戦車に乗って戦うアニメについて

ガールズアンドパンツァーという作品をご存じだろうか。どういうアニメなのか説明すると女子高生が戦車に乗って戦うアニメということになるのだが、どうして女子高生が戦車にのるのかという理由については戦争で学徒出陣とかそういうことではない。まずこのアニメの世界観では女子学生が戦車にのって安全に考慮された戦車砲(?)で砲撃戦を行う、いわば「スポーツとしての」戦車同士の戦い、「戦車道」が確立されており、彼女らの高校でも授業のようなクラブ活動のような形で「戦車道」が行われている。主人公たちは初心者ながら悪戦苦闘して戦車道の全国大会に出場し、負けたら廃校というちょっとありがちな展開の中で次々強豪校に挑戦していくわけである。

さてこのアニメ、小学生時代から一番好きな教科が社会(歴史)(と理科)で機械が出てくる戦記アニメが大好きな僕としては戦車の小隊1対1同士が戦うというそれだけでもう見る理由には十分だったのだが、2013年放送のこのアニメを全編通して初めて見たのは去年2019年になってからのことで、視界の隅に捉えながらも6年も放置した理由としては単に僕がそこまでアニメ好きではないということもあるが、僕にはガルパンというアニメを見ようと思ってもどこか自分の中に抵抗があり、あえて見るのを避けていたふしがある。

まず僕は戦記アニメが好きなのである。戦記アニメに描かれるのは戦争、殺し合いだ。しかし、例えば「ガンダム」や「銀河英雄伝説」などは決して戦争を肯定するものではない。むしろリアルな戦争を描き、戦争の悲惨さ、様々な悪、その中で懸命に生きる人間を描くことで、人間というものの本質を描こうとするのが戦記アニメだ。ガールズアンドパンツァーで女の子は戦車に乗り、戦うのだが、それは戦争においてではなく部活動、戦車道においてなのである。戦う相手は殺す対象の敵国人ではなく、ライバルたる他校の生徒。主人公たちは確かに真剣に戦っているのだが、それはスポ根アニメ的な真剣さであって、命のやり取り、という感じは一切なく、明るく元気に戦車を操縦し、相手校の戦車に向かって砲弾を放つ。戦車はあくまで人命を奪うことを目的として開発された殺人兵器である。実際に先の大戦でも使用され、当時の若者の沢山の命を奪った。兵器に乗ってハイテンションな女の子が戦いを繰り広げるという構図にはどこか違和感があった。

それから僕はどんな作品でもリアリティがあるものが好きで、世界観があまりに突飛というか説明不足だと嘘っぽい感じがして楽しめない。たとえ安全に考慮した砲弾だとしても戦車砲で撃ち合ったら死人が出るような気がするし、「戦車道」って名前もちょっと狙いすぎだろ、とか思ったし、まず「女の子が部活で戦車に乗る」という設定があまりにも突飛すぎる、のでガルパンは作品の世界に入っていけそうな感じが全然しなかった。

それから僕は歴史を勉強していく中で、これまでに人間はあまりにも殺し合い過ぎていると思った。小学校6年の時祖父の死から身近な親族の死を体験してから、死の産み出す悲しみについて思うとき、やっぱり人が殺しあうなんて間違ってるんだという意識をとても強く持っていた。高校までに僕は戦争や軍隊への強い反対意識があり、女の子が楽しそうに戦車に乗ってる世界観はやっぱり好きになれそうになかったし、このアニメによって戦争や軍事的なものが肯定される価値観が生まれてしまうんじゃないか、とまで思っていた。

さて、ここまではガルパンを見る前のわたしについての話である。去年、つまり大学に上がってから私は初めてこのガールズアンドパンツァー全話と劇場版を見た。一気見した。面白かったのである。

まずこのアニメは思想やら戦争やらリアリティやらは置いといて頭の中を空っぽにして秋山優花里の可愛いところだけ考えながら見る必要がある。まあ何も考えないでおもしろいーかわいーと見るのが正しいアニメの鑑賞法というものだろう。

戦争は良くない、戦車も殺人兵器だ、でも戦車はかっこいいのだ。戦車はかっこいいけど人殺しの道具だし、あんまり大っぴらにかっこいいと言うことができない。だからガンダムとかはかっこいいロボット殺りく兵器を登場させながら、戦争反対をメッセージとして発信する。ただしガルパンは、「戦車かっこいい!」「女の子可愛い!」だけである。かっこいい戦車がキュラキュラ動いてボンボン砲弾を発射する。かっこいい。

「戦車同士の戦い」というかっこいいものがあって、でもいろいろな問題があって、「そんなものかっこいいとか言っちゃいけません!」的な風潮が世間にある。だからかっこいい戦車は描けない。そういうのを無視してひたすらかっこいい戦車を描いてしまったのがガルパンである。戦争の悲惨さは無視できない。でももう一方に、戦車のカッコよさも無視できない。「人の命と戦車のカッコ良さじゃ釣り合わない」という声もあろうが、これは良くも悪くもアニメなのである。アニメの役割というものはあくまでアニメ然としてあることで、アニメは役割なんて負わなくていいのだ。むしろこのアニメを見て、戦争の悲惨さについて議論が起こり、みんなでそれについて考えられれば、とても良いと思う。アニメは、アニメとしていて良いのだ。まずガルパンの良さはこの、「戦車かっこいい!」にある。

次にガルパンに出てくるライバル校の話。戦車道の大会に出場し、アニメ版で初めに対戦するのは聖グロリアーナ女学院である。聖グロリアーナの戦車はすべて第二次大戦でイギリス軍が使用した戦車となっており、この高校の戦車道チームの登場シーンには実際の英国軍の軍楽、ブリティッシュ・グレネディアーズが流れる。チームの隊長はやたらと奇妙な格言を言いたがり、一日中紅茶を飲んでいる・・・。と、つまりライバル校はすべて第二次大戦下を戦った連合国、枢軸国を擬人化したような形をとっており、高校毎にその国柄をいささかステレオタイプに描いている。他にアメリカ、ソ連、第三帝国・・・などがモデルの高校が出てきて、これはもう小中学校で社会の時間が好きだったような男子にはたまらないであろうポイントである。どの高校も魅力的であり、本物の英国とかソ連とか好きになっちゃいそう(というかなっちゃった)人も多いことだろうと推察する。イギリス人とアメリカ人の違いなんて興味なかったような人も、イギリス人は一日中紅茶を飲んでいて斜に構えた性格。アメリカ人は豪快で陽気でフェアーで金持ち、などという特徴を捉えて見てみると面白く思えてくるのだ。

それから、登場人物達の素直さ、健気さもこのアニメの魅力だ。ともすれば落ち込みがちな主人公が、仲間と協力し、前向きに一致団結して目標へ向かう、これはもう感動してしまう。最初は烏合の衆みたいなチームメイトがそのそれぞれの個性をそのままに徐々に団結していくのがいい。いや、実際わけわからないくらいバラバラな人たち(元戦車道選手、普通の女の子、生徒会長、ミリオタ、歴史好き、バレー部、自動車部とか)がチームメイトなのである。本当にこのアニメは登場人物それぞれの個性が生き生きとしていて、彼女ら一人一人に背負う何かがあり、それでいて一致団結して一つの目標にむかって努力していく彼女たちの姿は、見ていると心から応援したくなるものである。現代の人間がともすればうんざりするような価値観である、「一生懸命やることの大切さ」を真正面からまっすぐに描いていて、いや、これはもう「カッコイイ」アニメである。

上でリアリティの話をしたが、確かに世界観は荒唐無稽だが「学校」「部活」「友達」など、そういうものが意外にリアルに描かれていて、平成の男子中高生には大いに共感できる学園ドラマになっていると思う。そう言った意味でもうまくできていると感じる。

戦争の悲惨さは語られなければならない。でも語られるには、まず「興味を持たれる」必要があるのだ。小学生が一番興味を持たない教科は社会であると、大学の教育学の先生から聞いた。依然若者は政治に興味がなく、国政選挙、地方自治体選挙の投票率は低い。まずは好きになる所からだろう。戦車のカッコ良さからでも、英国人の紅茶からでもいいが、このアニメで少しでも政治や社会や外国に興味を持った人が居たら万々歳だと思う。ガルパンは良いぞ。

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