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陰と陽

昔から本が好きだ。
特に漫画。
小説やエッセイも読むが、それらは勉強という側面があって、ずっとは読んでいられない。
そこいくと漫画は違う。
時間を忘れて没入できる。
漫画を読んでいる時は余計なことを考えなくていい。
その上「漫画は落語の勉強になる」と志の輔師匠がラジオで仰っていたのでいくら読んでも罪悪感がない。

好きなジャンルというか傾向があって、『目標だとか夢に向かって努力なり修行なりする漫画』が好きだ。
一人でコツコツ頑張って、その成果で取り巻く世界を変えていくようなもの。
中で、【ブルージャイアント】は最高だ。

最新刊。明日、いよいよ映画公開だ。

主人公が世界一のジャズプレーヤーになる話だ。
世界一を目指すんじゃない。
世界一になる話。
その為の努力の量、自信、アグレッシブさ、貪欲さ、時に非常さ、そういったものが「そら世界一になるわな」という説得力で描かれている。
これを読むとちゃんと感化されて、自分も頑張ろう、なんて思う。

──と、オススメ漫画紹介をしたいわけじゃない。
先日、元お笑い芸人仲間とブルージャイアントの話題になった時に、

「俺もう読んでないんだよね」

そう言われた。
あれ? あんなに面白いと言っていたのに。
一緒にジャズバーにまで行ったのに。
聞けば「色々諦めた自分にはエネルギーが強すぎる」というのだ。
ほぉー、となんだか感心してしまった。
絵が嫌いとかストーリーがつまらないから読まないなんてのはよく聞くが、活力とか熱量とか、人間にとってプラスのはずのものがマイナスになることもあるのか。


先日、人生初のプラネタリウムを観に行った。(観るという表現で正しいのか?)
知らないものを知るというのが経験上一番の勉強になる。

私が観たのは『ヒーリングプラネタリウム』というやつで、アロマを炊いて、ソファーに寝っ転がって、波の音やヒーリングミュージックを聴きながら星を眺めるというもの。

いや、ドーム状の天井に映像を映してるだけじゃねーか!

というのが率直な感想で、同じ『映像を映す』なら映画がいいな、と全く自分には合わなかった。

合わなかった理由はわかっている。
これは、勉強をしに行っているから。
勉強しようと活力漲る自分に、癒しが合わなかったのだと思う。
「寝たって構わない」くらいの気持ちで癒されに行けばまた違ったのだろう。


閑話休題。
【風姿花伝】という世阿弥の書いた能の理論書がある。
成立は15世紀の初め頃だそうで、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。(ほぼWikipediaから引用)
これが能の芸道論とはいえ全ての表現者に通づることが記されてあって、最近ではビジネスにも応用できる、なんて言われている。
ウチの師匠の本棚にもあった。

私もこの風姿花伝を読んで概ね納得したのだけれど、一つ引っかかっていることがあって、それは『陰と陽』について。
だいぶ砕けた言い方をすると、

「お客が静かな時には明るい能を、お客が明るい時には静かな能をすると良い」

とのこと。
私のこの解釈が間違っていたらこの記事はもう成立しないのだけれど、お笑い芸人のオードリー若林さんも「騒がしい客の前での営業で、やる気なく小さな声でやったら上手くいった」と風姿花伝の『陰と陽』について話されていた。
なるほど、お客が静かな時には明るく、お客が明るい時には静かにやると良いのか。

──いや、そうか?

寄席で長く前座修行をした身としては、師匠方は、お客が静かな時には静かな噺をやって、お客が陽気な時にはウケる噺をやっているように思う。
これは師匠方が間違っているのだろうか。
それとも時代が変わって人も変わったのか。
それとも風姿花伝はあくまで能の芸道論で落語には当てはまらないのだろうか。

陽のブルージャイアントが陰の元お笑い芸人に合わなかった。
陽の自分に陰のプラネタリウムが合わなかった。
立て続けにそんなことが最近あったので、概ね参考になった風姿花伝ではあるが少し引っ掛かった。

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