私にとってしゅぎょうとは

私にとってしゅぎょうとは?ということを、ここ何ヶ月か折に触れて考えている。楽をしない生き方。楽観的にのほほんと生きることもできるけれど、敢えて大変な方、負荷がかかる方を選ぶ。選ぶその瞬間はつらく苦しいこともあるが、その先に必ず「快」の感覚があることを私は知っている。すぐにこっちで良かったと思えることもあれば、進んでいってやっとじわじわと快がやってくることもある。

普段は、一人でいるときも仕事をしているときも楽しいことばかり考えて笑って過ごしている。むしろ自分を放っておくと、楽で楽しい方に自然に頭が行ってしまう。でも、あぁ生きてるという実感が湧いてくるのは、何かしら負荷がかかりその状態で真実に触れたときなのだ。それがなぜ自分にとって厳しい方を選んだときなのかわからないけど笑、そうなのだ。

それに気付かせてくれるのが、他人である。(他人とは、近しい人であり、子どもでもあり、仕事で関わるお客様である)人と深く関わることは自分に負荷がかかることだけど、逃げずにしっかり向き合うとその先に快がある。それに取り組み続けることが自分にとってしゅぎょうである。

自分の状態が悪いときや違う何かに引っ張られそうなときこそ、負荷がかかる楽ではない方を選択する強さを持っていたい。そして、自分の為だけではなく自分以外の人の為に力を出したい。

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