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柔術デビューから今現在(手術前)

2013年3月の柔術デビュー戦ガロカルナヴァルの白帯トーナメント1回戦で、開始4秒で左肘からバキバキバキという爽快音が鳴り響いた。我慢して試合続けたけどあえなく撃沈。

パスされ際に横三角に捕らえたが私の腕はパンパンカーニバルとなってパニックになり頭を抜かれバックを取られ絞めで終わった

翌日病院行ったら左肘剥離骨折という診断だった。
約1ヶ月ギプスで固定。その1ヶ月は休会せずにほぼ毎日朝と夜に道場に行き見学していた。それで有名になってしまい私のアダ名が独り歩きしていたアレが数年あった。
そして1ヶ月経ちゴールデンウィーク明けくらいだったと思う、筋肉もごっそり落ちていたと思うのにろくにリハビリもせず練習を再開してしまった。
そして練習復帰から2週間くらいの5月下旬、スパーしていたらなんでもない展開の時に左肩からゴリゴリゴリゴリという鈍い音が鳴り響き肩が外れた。
私は肩が外れたことを深刻に捉えてなかった。何回も外してしまいもう手術しか治る術が無い状態まで来てしまった。しかし手術するお金なんて無かった。しかもその時は約2畳しかない池袋のシェアハウスに住んでいた。そしてそれと同時に無職になった。
全て書くと長編小説みたいになるのでここから簡単に書きます。

ノービスオープン1回戦負け(アダルト)

肩も外れうずくまる私

ドゥマウボコボコにされ1回戦負け(アダルト)

ボコボコにされ過ぎて試合後台東リバーサイドスポーツセンターのトイレに30分くらいこもっていた。

デラヒーバカップ1回戦負け(アダルト)

クローズに閉じ込められて終わった


ドゥマウ1回戦負け(アダルト)

レフ判負けだった

2015年4月練習で左腓骨筋腱脱臼というわりと凄まじい怪我をしてしまった。スパーは全くできなくなった。
2016年7月、手術

2017年5月復帰戦
東日本マスター1回戦負け

5-0からまさかの逆転負けした


6月東日本選手権1回戦負け
中学生にボコられた

7月アブダビグランドスラム東京2017
巴戦負け勝ち負けの銀メダル

初めて勝って泣きそうになった


8月青帯になった

9月アジア選手権1回戦負け(アダルト)

青帯になって3週間くらいで出場した。大会3日前くらいにまた肩外しちゃって炎症で全く動かなくなっていたけど痛み止め飲んでなんとか試合した。0-5だった


2018年アジア選手権1回戦負け(アダルト)写真無し

ここから色々あった。練習もほとんどできずルースター〜ライトフェザーの私が78kgまで激太りした。そして数年後…

2022年2月橋本知之杯1回戦不戦勝2回戦敗退

2018年アジア以来に大会出場。相手の身体のキレが凄まじくてこりゃダメだと笑った

4月全日本選手権1回戦敗退

絶好調だったし緊張もしていなかったけど、組んだら腕に力入らずスカスカで笑った。そしてボコられた。対戦した青木選手は決勝まで行っていた。


©JIU-JITSU NAVI
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大阪国際1回戦負け

足関で秒殺された。対戦選手は決勝も秒殺して優勝していた。この間の関西選手権も優勝していた。


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九州選手権1回戦負け

出だし10秒でガス欠して終了した


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動きをかなり制限すれば練習もできたし大会にも出れた。しかし年々左肩は悪化していた。外れなくても激痛だったし年々肩関節も緩くなってる感じもあった。そして1回戦負けばかりでさすがに悔しくなってきた。肩を治せば…という思いはこの約9年半ずっとあった。
そして遂に11月22日に左肩の手術する事が決まった。
26歳だった私も36歳になった。
復帰する頃はもう37歳だ。
しかしやっと来年、私の全力が解禁されるとあって楽しみしかない。誰も楽しみじゃないと思うけど私は楽しみしかない。どこまで行けるのか。
肩治したくらいで…と思った人は、私がこの9年半どれだけ動き制限して我慢してやってきたかわかっていない。

押忍。

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