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猫の思考実験を用いて”観測”を考える 結城 悠木

新宿ばるぼら屋 牛すじ豆腐煮込み


あるYOUTUBEチャンネルで”状態の説明”に”多世界解釈”を用いていて、それがとても楽しかったので先ほどもらったビールを自宅で飲みながら少しだけ四方山話を。

有名すぎるこの”猫の思考実験”とはエルヴィン・シュレディンガーというオーストリア生まれの天才物理学者の用いた例え話でこれは”シュレディンガーの猫”と呼ばれている。

このお話のあらすじは、
・健康な猫を箱に入れて蓋をする
・30分以内に50%の確率で猫は死んでしまう(毒ガス装置が50%の確率で始動)

 
 なぜ彼がこういったことを考えたのか。これは表のテーマとしては酒の場に丁度良く、多くの飲み屋で重宝されているらしい。

 20世紀初頭、アインシュタインボーアシュレディンガーなど天才的な学者が古典力学を基礎にこの世界の物理を暴きました。
 宇宙論や光量子仮説、相対性理論は現代を以て主流であり多くの物理技術として実際に利用されている。
 しかしひとつを暴けばまたひとつ、とテーマが増えてしまうのは世の常であり、すぐに物理学者たちは”量子力学”を論じ、説き始めるようになる。

 とはいえ多くの学者は量子力学の持つ、どこかオカルトな、もはや運任せのようなその物理学理論(解釈)を嫌った。
 アインシュタインもそうで「神はサイコロを振らない」と量子力学に対し否定的な立場をとった。
 そしてこれはシュレディンガーもそうであった。

 シュレディンガーが猫の思考実験を話す前、物理学界隈では量子力学について”コペンハーゲン解釈”というものが主流になっていた。

 ここでコペンハーゲン解釈を猫の思考実験に当てはめてみる。

 ・箱が閉まっている状態では猫は”生きている状態”と”死んでいる状態”の両方が混在している(見えないからわからない)

 これは”可能性”という話ではなく、実際にどちらの状態でもあるということ。これが量子力学の考え方。(重ね合わせの状態)

 そしてコペンハーゲン解釈では、

 ・観測(蓋を開けて見る)することで初めてどちらかに決まる

 という。(波動関数の収縮)

 この解釈に異を唱えたのがD.C出身の若き天才理論物理学者ヒュー・エヴェレットだった。

彼の量子力学の解釈では、

 ・箱が閉まっている状態では猫が”生きている状態”と”死んでいる状態”の両方が混在している(見えないからわからない)

 この重ね合わせの状態はコペンハーゲン解釈と同じであるが、

 ・観測(蓋を開けて見る)することで、どちらの世界も始まる(枝分かれする)

 というもの。
 これをエヴェレット解釈とし、多世界解釈と呼ばれている。

 つまり、
 ・コペンハーゲン理論では箱を開け観測した瞬間にどちらかの世界に収束する
 ・エヴェレット解釈(多世界解釈)では箱を開け観測した瞬間に世界は枝分かれする(並行世界)

 ということ。言い換えれば、

 ・コペンハーゲン解釈では観測することで世界はひとつになる
 ・エヴェレット解釈では観測することで世界は無限に分かれる

 なので”見る”ということが重要である。

 では”見る”とは何でしょう? ということが気になった。
 光が瞳孔から水晶体、網膜から電気信号として視神経を通じ脳へ。というものも”見る”だが、味は舌で見るし、他人の機嫌は目や耳、経験や感性で見る。
 こういうものは屁理屈というが、では夢はどう見ているのか。
 明らかに映像として記憶に残っている”夢”は瞼と脳に遮断された状態で見ている映像。
 
ここで猫の件をもう1度取り上げてみる。
コペンハーゲン解釈でもエヴェレット解釈でも、箱を開けて猫ちゃんの状態を見ることで次のシーンへ移行する。
この”見る”は視覚である必要がないので、つまり観測とは目で見ることという意味ではない。ということが言えます。

さて我々はアインシュタイン博士の言う相対性理論で証明された”光速度不変の原理”を利用し、その物理の常識を以て便利な生活を手に入れました。

 この理論によると光の速さは常に一定、そして絶対にその速度は越えることが出来ない。
 でも私は越えることが出来ます。例えば月面の映像を見たことがあるからです。
 ここから月までの平均距離38万km、光の速度は約30万km/sec、つまり地球上から見る月面は1秒ちょっと前の月面だが、人間が月面を思い出すのに1秒も必要がない。
 つまり脳は光よりも早いという屁理屈が成り立つというお話。

 なぜ屁理屈であるかと言えば、私が今1秒以内で思い出した月面は今この瞬間の月面ではないかもしれないので、もしかしたら今この瞬間では月面で兎が跳んでいるかもしれないし、悪い宇宙人がいるかもしれないから。

 この”かもしれない”を量子力学の”重ね合わせ”で考えるとこの”かもしれない”は可能性ではなく全て事実

 もしその瞬間に兎がいたのであれば、
 コペンハーゲン解釈では兎がいた事実だけが残った世界に収束し、
 エヴェレット解釈では兎がいた事実と、悪い宇宙人がいた事実と、いつも通りの月面であった事実の世界へとそれぞれ分かれる。

 それだけのことなので我々の生活には何の意味もなくどうでも良い話。
 物理学者さんたちがこういったものを使ってパソコンやスマホ、飛行機やロケットを開発し一般化してくれれば我々は楽しい。

 ちなみに猫の思考実験で結局猫は死んでいませんでした。シュレディンガーは猫好きだからです。

 四方山話が過ぎるので終わります。
 次はかわいい猫ちゃんのお話を画像貼りまくりで書くので、また次回。
 では以上です。

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