警察 - 現実性の最後の砦

前回の記事の続き。香港人Mがくれた小冊子から、今回は「警察」と題された散文を私訳する。前回と同じく、広東語原文を参考にしながら英訳から重訳したものを、匿名の著者に無許可で掲載する。ではどうぞ。

警察 - 現実性の最後の砦

香港の人々は待っている。香港警察隊(HKPF)が独立した調査を受け、処罰され、解散させられ、再組織される日を。

警察は何を待っているのだろう?警察隊のなかに光はあるのだろうか? 警察が法規則というベルトを外し、政治的任務という制帽を被るとき、彼らから光は失われる。この瞬間には人々に暴力をふるい、次の瞬間には彼ら自身が打ち捨てられる。あらゆる方向から圧力がある。社会から。行政府から。党-国家から。メディアから。国際社会から。自分たちの家族から。友人から。そして自分自身から。警察は世界に対立している。世界の中で生きているというのに。

警察力が執行される時空には4つのものしかない。戦略(分散させて逮捕する)、武器(警棒と弾丸)、目標(暴徒)、闘争(攻撃)。このように内閉して完結した時空でなされる警察官の思考は、自分のあらゆる行動を合理化してしまう。世界観を欠落させた人にとって、バタフライ効果、ファクトチェック、普遍的正義、理想、自由と民主主義…これらは暴徒の言語に聞こえる。

服従は自覚されず、忠誠が奴隷を鍛える。信念なき邪悪、際限なき邪悪が徹底され、警察官は道具に変わってしまう。

今年の六月から今日に至るまで、香港人は反送中運動を闘い、逮捕者は既に四千人を超え、死傷者、自殺者は数え切れない。今年の六月から今日に至るまで、警察がなしてきたことの全ては、体系的に記録され、一冊の厚みのあるファイルにまとめられ、香港社会によって保持され、世界各国の法廷と政府機関に届けられている。

警察は、大地を力いっぱい押さえつけて、地球が回転することを禁じようとしており、自らを頼むあまり地球は必ず回転するということを理解することができず、あらゆる種類の武器で地上の人間をすべて打ち倒せば、地球は回転を止めるであろうと考えているのだ。

われわれの社会の集団的無意識にとって、警察は現実性の最後の砦であり、物事をいまそうであるがままに留めようとする力である。彼らは、現在の秩序の防衛に自らの生を基礎づけることを選んだ者たちであり、したがって、秩序を改変することを望む者たちに対して共感することがもっとも少ない者たちである。治安を維持すること、これが警察の任務であり、彼らの本分である。

しかし、法の執行という本分、警察について言えることはそれだけではない。抵抗するそぶりのない市民を地面に押し付けて強く圧迫すること。警棒で市民を殴りつけて頭部から出血せしめること。胡椒スプレー、催涙弾、放水銃を警告なしで市民に使用すること。銃を市民に向け、救急車の救護活動を妨害すること。社会運動に対する、完全に無法かつ無意味であり、しかし権力に支持されているこのような警察力の執行を、一体誰が公正に調査し審判しうるだろう?

特区政府と警察隊が治安に対する自身の権威を確保するために市民の生命と財産を傷害し犠牲にするとき、市民はまどろみの中から驚愕して目覚め、生存と自由のために、生命を惜しまず反抗をはじめる。

給料を得ていることは、逮捕権濫用の言い訳にはならない。手当たりしだいに胡椒スプレーを撒き、催涙弾を投げまくる言い訳にはならない。警棒で市民を殴りまくる言い訳にはならない。その給料は、良心に背いたことをさせるために、警察の良心を買い上げるために支払われているのではない。現在では、あの「法執行において良心に背かず」という美徳は空虚になってしまった。現実性の最後の砦の下から、血の河が流れはじめ、空気にはダイオキシンとシアン化物の臭いが瀰漫し、拭い去ることができない。

社会運動において、警察の重武装と戦争のごときふるまいを違法化することは、彼らに標的にされる者だけに有益なのではない。警察官の家族、また警察官自身にとっても有利なことである。他の多くの社会階層と比較して、警察の任務は心理的後遺症をもたらしやすいことが知られている。抑うつ、家庭内暴力、自殺の傾向などがそれである。

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