社会人大学院のススメその4~通信制大学院へようこそ!~
前回は、日本の戦後教育史をおさらいした。日本の大学施策は他国並みの大学院への誘導の考えがあってプランニングされ、その大失敗によって我が国は何故か学部入学を競い合うガラパゴスな偏差値ランキング制度が発達してしまった。しかもその歪んだ制度は1990年~2021年の間、実に30年もの長期間にわたって蔓延してしまったことはわかっていただけたかと思う。結果、我が国は長期間の停滞を余儀なくされ、震災や原発事故のダメージも重なり、今や先進国から凋落しつつある(多くの災害が人災で拡大され、その人災の元が偏差値ランキング制度による人材ミスマッチであることを思うと、そうした災害ですらも偏差値ランキング制度に原因を求められると筆者は考える)。
今回はこうした状況への一時的なカンフル剤であり、また個人でも出来る個人キャリアの保護対策でもある「通信制大学院」のススメを書き記したい。
社会人大学院の究極、通信制大学院
自分の体験を振り返ると、学部卒者と博士取得者との間には、大変に大きな知的ギャップがある。その差は文字にすると学部卒→修士取得→博士取得の2段階に過ぎないが、中卒→高卒→学部卒の2段階よりも、その知的能力の差は比べるべくもなく大きい。これは、単にその学問の初学者と免許皆伝者の差というだけでなく、偏に、修士審査、3回の査読論文(あるいは公的技能審査)、そして博士審査という公的審査が複数回入るためである。公的な審査を受けるというのは大変な知的挑戦であり、人の知的能力を格段に向上させるのだ。
こうした知的鍛錬は当然に社会人にとっても大きなプラスだ。また、そうした審査にはその道の第一人者が呼ばれる。そのため、いきなりその分野トップの人達に名前と顔が認識されるのもとても大きいメリットだ。
とはいえ、いきなり社会人に5年間、前・後期博士課程に在学して、公の審査を5回以上(博士前期修了、D1、D2、D3、博士審査の計5回の公の審査)経て博士を取れ、と言うのはいくらなんでも無茶苦茶だ。そもそも筆者の経験上から言っても、社会のシステム上から見ても、博士は特異な才能が無ければ取る事は困難であり、現実的には2年で修士、あるいはとりあえずの博士前期課程修了を目指すことになるだろう。修士であれば通常は最後の修論段階で1度審査を経れば学位取得ができる。
とはいえ、修士は修士で、膨大な一般単位を取りながらたった2年間で専門家の目に耐え得るだけの論文を書き上げ、学位を取得するのだから、これは社会人には大変だ。修論の文章量はせいぜい20000~60000文字程度(通常は40000文字前後)だから2週間もあれば書き上げられるが、問題は内容だ。その調査・研究にかける時間が、修士で過ごす時間の大半だと言える。
また、単位については、これも負担が大きい。修士課程は「①二年以上の在学(優秀な学生は一年以上)、②30単位以上の修得の他、③修士論文又は特定課題の研究 成果及び試験への合格(平成18年3月の院設置基準の改正で、特定課題の研究成果及び試験の合格が追加。)(文部科学省HPより)」と定められており、通常30単位前後の単位数を必要とする。文科省通達によって修論や修士研究を別途計算しているため、これに修士研究4単位、修士論文4単位の合計8単位が加わって、計38単位で終了とする大学院が多いようだ。大学院を含む大学の学修単位は「1単位あたり45時間の学修を必要」と文科省通達により定められているが、自宅学修時間を勘案して2単位=半期18回2コマの講義+同時間自宅予習+同時間の自宅復習=90時間とする大学が多い。修士2年目(M2)はほぼ研究と修論に使いたいため、M1の内に26単位を目指すと、半期12~14コマの講義を入れることになり、2コマ連続講義である事を勘案するとどんなに詰め込んでも週のうち3~4日通学する必要が出てくる。これでは社会人を続けながら修士を取るのはどう考えても不可能だ。
そこで、社会人向け大学院では、土日に開講を集中させ、そこで連続6コマの講義を行うスタイルが多い。そうすると、半期12コマの対応が可能となる。これにさらに、夏期・冬期特講で2~4単位のフィールドワークを入れてM1で26単位取得を実現している。平日の通勤時間の電車の中や帰宅後に毎日5時間程度の学修を行い、20時間の自宅学修を行っている計算だ。
しかしそれでも正直多くの社会人にはしんどいだろう。特に週末とはいえ往復の時間が2日分取られるのはなかなかに重たい負担だ。特に東京や名古屋、京都など、社会人大学院が盛んな地域に住んでいるのならともかく、その他の地域在住者には通学はしんどい。さらに、もし同地域に幸運にも社会人大学院があったとしても、新人や、現在の仕事で余裕が取れる人ならともかく、普通の社会人に毎週2日の通学はなかなか困難だ。
そこで筆者がおすすめしたいのが通信制の大学院だ。事実、筆者も仕事の多忙さでいくつかの大学院を通いきれずに諦めたあと、通信制である旧京都造形芸術大学(現京都芸術大学)で修士を修め、現在のキャリアのベースとなった。
通学パターンのある通信制大学院
通信制大学院には、実はいくつかのパターンがある。
代表的なものを下記に記す。
・一般単位のみを通信とした事実上の軽量版週末修士
これは、筆者が出た旧京都造形芸術大学の修士が採用していたハイブリッド制度だった。該当分野の歴史単位やレポートの単位はビデオを見ながらチェックポイントでテストを行う従来型通信で行い、ディスカッションや共同レポートは専用のネットシステムで行った。その上で、制作単位やゼミ単位をスクーリングで行った。また、ワークショップに旅行で参加し、それをグループワーク単位とした。おかけで2年間の通学日数は20日を切るくらいであった。一日の平均学修時間は4時間程度であった。単位のほとんどを通信で取りながらもゼミや制作では通学と全く変わらない(むしろゼミ回数は通学よりも多い)という、非常に優れた制度と言えた。スクーリングが最低限のため、学費も年80万円弱と比較的安い。ただし残念ながら京都芸術大学への改名とともにこのハイブリッド制度はなくなり、最後に記す完全通信制になってしまった。
・従来型、原則通信で行いスクーリングにて各科目の試験や実技・ゼミを実施
これが、最大の通信大学院である放送大学を含む、最も一般的な通信制修士であろう。上記の事実上の軽量版週末修士との違いは、全専門教科で原則一度はスクーリングして、そこでの現場試験で単位を出すところだ。筆者が経験したところだと、日本大学の大学院総合社会情報研究科がこれにあたる。しかし、このやり方は多忙な人間との相性が極めて悪い。どんなに日常点を頑張っても、テスト期間に仕事が入ると該当ゼメスターの全単位を落としてしまう。筆者の場合、新興宗教にハマった社員によって会社乗っ取りをかけられていたタイミングだったため、嫌がらせからか、試験日の度にトラブルを起こされ、結局、単位を満足に取れないままに退学した。また、結局テストを集中講義で行うため、学内の人間関係もギスギスしてあまりよろしい思い出がない。また、結局全主要単位にスクーリングが関与するため、学費が事実上国立の放送大学を除くといずれも年100万円台中盤~200万円弱と、非常に高額だ。また、通信と言ってもハイテクはあまり使わず、郵送による単位が多いのも特徴だ。
・完全オンラインの修士
この形式はコロナ禍で作られた全く新しいやり方だ。一切のスクーリングを無しに、完全オンラインで修士取得まで実現する。文科省指定のスクーリングについても、IT技術を用いたリアルタイムゼミで行い、通学を一切行わないのが売りとなっている。学費も極めて安く、いずれも年40万円弱程度の学費だ。
ただ、このやり方で学んでいる友人が複数名いるが、現状はあまり上手くいっていない。学生の中の有名人が無根拠なことを書いてそれを周りが持ち上げて「レポート」としてでっち上げたり、修士論文までもグループワークで、多少書ける若い子をこき使うスタイルのフリーライダーが多発したりと、いい話はあまり聞かない。もちろんそれでもちゃんとした成果を成し遂げている人たちも大勢いるが、学部までとは違い、やはり完全通信での修士はまだ難度の高い感じだ。まだ不慣れな仕組みでありながら、学生や教員同士が直接顔を合わせないため、心理的にグリーフタクティクス(倫理的背景や利益敵対者の心情を考慮しない手段)を行いやすいのがやはり大きい問題の中心のようだ。
現状、完全通信制大学院に行く場合、オンラインゼミや有料スクーリングを活用し、多少の通学でしわ寄せを解除しながらの学修がオススメだ。
ざっくりと
・社会人の大学院は週末夜間型と、通信制がある
・忙しい社会人には通信制がおすすめ
・通信制大学院は、軽量版週末型、従来型スクーリング併用、完全オンラインの3パターンがある
・軽量版週末型がオススメだがコロナ禍で減ってしまった。完全オンライン型はまだ時期尚早の気配もあるので有料のスクーリングを活用したい
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