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IQの差による分断は、高い方がIQを下げて会話すればいい? -ネズミに知恵比べで負けた高知能者によるIQ分断解説-

 昨今SNSなどで見かけるのが「IQの差によるコミュニケーション分断は高い方の性格の問題」「IQの高低で分断はない」「高い方が下げて会話をすればいい」というもの。でも本当にそんなことできるの?IQの差を埋める会話なんてできるの?そんな問いに高IQ団体会員である高知能者の筆者がお答えします。

ネズミに知恵比べで負けましたが高知能者です!

 ネズミに知恵比べで負けました!
 いや、会社の施設のひとつに、山奥の撮影拠点兼缶詰所があるのですが、そこに執筆に入ったら食料が食い荒らされてまして。週半ばに満を持してトリモチや毒餌を仕掛けてこの週末に確認しに行ったら、全くの成果なし。「何の成果も!!得られませんでした!!」という次第です。いや、ネズミとの知恵比べに完敗しました。参った。知恵比べでネズミに劣る高知能者爆誕です。
 さて。そんなネズミとの「知恵比べ」に負けた私ですが、では真面目な話、本当にちゃんと測定した私のIQはネズミ以下なのか?と問うと、これは明らかに違うのが誰にも理解出来るかと思います。「知恵比べ」は比喩表現であって、実際に人間がネズミより知能が劣る訳では無いのは誰の目にも明らかです(これが分からなかったり「負け惜しみだろ」と思った人は以下の文章は確実に読解できないのでページをそっと閉じて忘れましょう。人間、知らない方が幸福な世界もあります)。
 つまり多くのケースにおいて「知能」や「IQ」と口先では言いつつ、実際には全く違うものを比喩的、口語慣習的に同じ言葉で呼んでいる事象が多いという訳なのです。

ネズミ取りをしかけたものの全くの空振り「知恵比べに負け」ました

SNS定番の「IQが20違うと会話できない」は本当?

 では、ここでTwitterなどのSNS定番の言説である「IQが20違うと会話できないというが、それは嘘で、IQが高い方が下げて会話をすれば問題ない」を検証してみましょう。
 まず、IQとは偏差による動作性知能と言語性知能の指標で、100を中心にした値で示されます。つまり、SD=15であれば115で1σ標準より上、SD=24であれば124で1σ標準より上、というわけです。当然にSDは検査の集計方法によりますし、人は生き物なので検査ブレも大きいため、大事なのは数字そのものではなく、標準から何σ離れたら異常値、とすることが多いです。そして、高知能、あるいは知能障害とされるのは2σ以上の差がある場合で、この差を超えると多くの事象において「相互」に理解が困難になります。IQが下の者からは上の者が何に拘っているのかが全く理解出来ず、IQが上の者からは1度説明した話が無視されたり原理原則や簡単なルールを破る無法者に見えるわけです。よくあるパターンとしては、老化で知的能力が下がってしまった人たちや、アルコールで知能が一時的に下がってしまった人たちが周囲の人達の指示が聞けず、周囲の人たちにも日常生活に支障が出て大いに揉めるのが最も身近でしょう。
 ここで大事なのは「2σ以上の差」つまりは「SD=15で30」もしくは「SD=24で48」以上の差がある場合にそうした異常値に入るということです。つまり「IQが20離れたら」という語を使っている時点でその人物はIQどころか偏差の仕組みすらまったく理解出来て無い事がわかります。というか、そもそもIQが20しか離れていない訳ですからいずれの検査方法でも異常値では無いですからね(SD=24の検査だと、1σの差もありませんから20の違いは本当に誤差です。当然に20高くてもMENSAにも入れませんし20低くても知能障害者でもありません)。この「IQが20違うと」という発言から唯一確かなのは、その人物が高校数学がとても苦手で、おそらくσや簡単な統計処理のことを綺麗さっぱり忘れてしまったであろうことだけです。可哀想なのはそんな勉強不足を公言されてしまったその人の親と高校の先生です。きっと、穴があったら入りたい気持ちなのでは無いかとご心中お察しします。


「IQが高い方が下げて会話をすれば問題ない」はほんと?

 ではその言葉の後半に続く「IQが高い方が下げて会話をすれば問題ない」は本当なのでしょうか?もうこれは結論から言いましょう。嘘です。
  高知能者(IQで2σ以上の人たち)が標準知能の人たち(IQ100前後の人達)と会話をするというのは標準知能の人たちが、生得障害や老人性健忘症や事故などで知的障害を得てしまった人たち(IQで2σ以下の人たち)と会話をするという行為とまったく同じ「2σ以上の知能差を乗り越えて意思疎通を図る行為」です。
 もし標準知能の人たちになんの訓練もスキルもなく知的障害のある人たちとスムーズに会話をすることが出来るのならば、生得障害者だけでなく、老年性知的障害の人達の知的障害者の社会参加も極めて容易で、多くの知的障害差別も発生していないでしょう。
 もちろん、障害者施設の人たちや、障害者の家族は「傾聴」などの手法を学んで知的障害者との会話方法を身につけ、あるいは知的障害者側から身近な人たちへのメッセージ方法を見つけて会話を成立させます。老人性健忘症の人達が生業に関しては高い能力を維持している例を挙げるだけでもわかるように知能なんて人間の能力のごく一部に過ぎず、人の能力の本質ではありませんから、TwitterなどのSNSで人々の言うように容易に「IQが高い方が低い方に合わせて」知的障害の壁を超えて自由に会話が出来ればより豊かな社会が期待できます。当然にこうした会話の方法はより広まるべきですが、現実には非常に高度なスキルが必要ですし、そうした会話術の確実性もありません。ましてやそうした特別に訓練されたスキルを持たない素人が「優しく噛み砕いて会話」をしてみたところで、知的障害者の側からはバカにされているとしか感じず、多くの場合には問題はより大きくなるだけでしょう。
 つまりは「IQが高い方が下げて会話をすれば問題ない」という主張には「どうやって?」という返答しか出来ないということになります。もしそれが可能なら世の中の人達がそうした会話方法で知的障害を得てしまった人たちとスムーズに意思疎通でき、世の中が本当に豊かになるので、是非とも心理専門の学会で発表して欲しいですよね。
 シナリオ用語で「黒い光」という戒めがあります。これは「文字にすると簡単だし一見するだけだとなんとなくできそうなイメージも浮かぶけど、物理的に実行不可能な指示」という、やってはならない指示の戒めです。「IQが高い方が下げて会話をすれば問題ない」というのもこうした「黒い光」の類縁の「一見簡単に出来そうに見えるけど、実は物理的に実行不可能」な主張と言えるでしょう。

では知能の差を乗り越えて会話するにはどうすりゃいいの?

 では、知能の差を乗り越えて会話するにはどうしたらいいのでしょう?この答えは簡単ではありません。
 なのでまあ、そもそも長時間の会話は初めから諦め、要点のみを簡潔に伝えるのがいちばん確実でしょう。あるいは、双方が標準知能以上の場合にはレポート形式や論文形式、学会発表手法などの定型に落とし込むのも悪い方法ではありません。
 あるいは、過去の知能検査などで自らが高知能であることが明らかならば高IQ団体などに加盟してそれを標榜してしまうのも一つの手です。「そういう人」であるという理解があると、会話が通じやすくなります(あるいは嫉妬心に燃える敵対的な人たちとは初めから会話が成立しなくなりますが、これはこれで話が早いと言えるので問題ないでしょう)。とはいえ、自分が高知能だと信じて団体試験を受けて、実はそうでも無いことが判明して揉めに揉めるのも定番なので、まあこれは、慢性胃痛やストレス性の病気などで、なにかの拍子に知的検査をした経験のある人だけにしかお勧めしません。

 いずれにしても「知能が高い方が低い方に合わせりゃ問題解決」などという簡単な問題では無いことは念頭に置いて生活して頂けると、高知能者の一員としては大いに助かります。

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