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【Facebookアーカイブ⑪ソーシャルの失敗など】


<専門性とソーシャルの失敗>

IBMの推定によると医者は自分の専門分野の新たな文献に目を通すだけでも毎週160時間を費やす必要があるという。



医学の知識総量のDOUBLING TIME(2倍になるのに要する期間)は1950年台には50年かかると言われていましたが、2020年には73日(0.2年)になると言われています。


つまり、過去においてはストックした医学的な知識や経験で長い間 差別化や生き残りが出来ていたのですが、

①その知識や経験の陳腐化のスピードが極端に早くなっている
②追いつくのに大変な状況になっている

自分だけで行うことには無理があるという結論になるのは想像に難くないと思います。

さらに、それらが正しい情報であればまだ良いのですが、SNSやキュレーションメディアなどから発せられる珠玉混合の情報が世の中には溢れています。

専門家でないものからの正確な情報  メディアとしては信頼されているが情報としてファクトチェックのあまいものなど 何を基準に判断したら良いのかわからない現代になっています。つまり、レベルのばらつきのある情報の洪水に対処しなくてはならないのです。

そのよう時代の中で大切なのは 複数人でTEAMを組んで行くことが大切です。それがONAKAMAというコンセプトで、単に人数がいるだけという意味ではありません。同じ釜の飯、つまり 苦労してきた仲間でTEAMを組もうというものです。

症例相談サイトはすでにあります。これは不特定多数の先生方が登録していますが、自分が困ったときには投稿して答えていただけるのを期待しても、質問が来たときには「誰かが答えてくれるでしょう」となってしまっていませんか? 加えて、そのようなサービスにおいて、すで発信された情報をレトロスペクティブに検索するとたしかに答えは出ているのですが、情報が配信された時点でその先生の目の前の困りごと(NEEDS)にあった情報ではないという問題があります。

わかりやすい例として、中間試験や期末試験がなければ我々は勉強したでしょうか? 例えば学校の授業中は聞いてなくても、皆さん学校を卒業する頃には帳尻を合わせて来たはずです。それは中間・期末試験で短いスパンであるレベルにまで引き上げることを続けてきたからでしょう?ポイントは 目の前の困りごと(学生時代なら中間・期末)を乗り越えるときが一番頑張るということです。試験の目前になるまで学校の先生の話はあまり聞かなかったでしょう?

先生方にとって 目の前の困りごととは やはり困った(または目の前で困っている)症例です。そのとき適時にお互い助け合うことが大切です。

大切なのは、適時にやり取りをする事ができて、自分こそが関与を期待されている、自分の要望も満たされると期待できるサービスであることです。

これまでのサービスでは、ソーシャル(社交)の失敗が存在するのだと思われます。

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<ソーシャル失敗の原因:関係維持コスト>

#出会いの失敗
(新しい人と出会うことができない)

「会員数XX万人!」などとうたっている医療サービスで、先生ご自身は発信しているでしょうか? 通知メールなどで見出しを見て「おもしろそうだなー」というものをクリックすることはあっても、積極的に発言したり、症例相談に答えられているのはその一部の方だと思います。それは、「自分がしなくても誰かが発信してくれるだろう」という感覚になっているからです。つまり、電車の中に乗り合わせている他人のように、同席はしていますが知り合いにはなっていないのです。

#友達の失敗
(人間関係の中で個人的な経験・知識・不安を共有できない)

学会や講演会などの食事会・交流会で知り合いになった先生方との連絡はいかがなさっていますか?その後、継続して経験や知識を教えたり教えられたりしている関係を維持をしている先生は多いでしょうか?結局はこれまでのつながりのある決まった先生に聞いてしまうしまうということの方が多いのではないでしょうか?

人間関係には維持コストがかかるために、新たな知り合いをつくりそれを継続するのはなかなか難しいのです。

では、専門性(つまりは自分の苦手なもの)を他人に依存したり、自分の専門性(つまりは自分の得意なもの)を知ってもらうためにはどんな知り合いなら維持コストかけてもよいと思われるのでしょうか?

<少ない数の弱い紐帯に関係維持コスト>

先日の投稿で、「人間関係には維持コストがかかるために、新たな知り合いをつくりそれを継続するのはなかなか難しいのです。では、専門性(つまりは自分の苦手なもの)を他人に依存したり、自分の専門性(つまりは自分の得意なもの)を知ってもらうためにはどんな知り合いなら維持コストかけてもよいとおもうのでしょうか?」と最後に書かせていただきました。

1973年にスタンフォード大学社会学部教授のマーク・S.グラノヴェターが、“The Strength of Weak Ties”という論文で「家族や親友、職場の仲間といった社会的に強いつながりを持つ人々よりも、友達の友達やちょっとした知り合いなど社会的なつながりが弱い人々の方が、自分にとって新しく価値の高い情報をもたらしてくれる可能性が高いという社会ネットワークの概念を発表した。

強い紐帯を持つグループは関係が緊密であるが故に外部と遮断されがちで、同じような情報をもっており、新規の情報が入ってきづらい。そのような状況にある時、弱いつながりが強い紐帯のグループ同士の橋渡しをし、新しいアイデアや重要な情報をもたらす道を開くという。

ですので、強い紐帯が不要と言っているのではなく、強い紐帯の間を弱い紐帯が橋渡しするということです。自・他の専門性を活かすためにも、’友達’関係維持コスト(強い紐帯の維持)にのみ用いるのではなく、(弱い紐帯の)’出会い’のために割くことも大切になるのですね。

1993年、英国の人類学者ロビン・ダンバーは、霊長類の脳の大きさと、群れの大きさとの間に相関関係を見出した。その研究を人間の脳の大きさに当てはめて計算した結果、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であると提唱した。提唱者の名前から、ダンバー数と名付けられた。

* 狩猟採集社会での、村や、氏族(クラン)の平均人数は153人
* 毎年クリスマス・カードを送る相手とその家族を合計した人数の平均は154人
* アーミッシュ(ドイツ系移民の宗教集団)は一つの共同体の構成員が150人を超えると共同体を分ける。
* 新石器時代での村の住民数は120~150人
* ビジネスで、効率よく仕事ができる組織の人数は150人前後
* 軍隊での中隊(最小の独立部隊)の人数は150~200人
* 学術上の一つの専門分野における学者の数の上限は200人
* 防水透湿性素材で有名なゴアテックス(ゴア・アソシエイツ社)の創業者ウィルバート・ゴア氏は、グループが150人以下であれば明確な規範がなくても従業員は同じ目標へ向かって努力するが、150人を超えると問題が発生することを経験から学んだ。そこで、各部門の従業員数が150人以下になるように、人数が増えすぎたら部門(工場)を分割するという戦略を取っている。

* また、Facebookと似た機能を人数限定で公開するSNSアプリ「Path」もダンバー数を応用している。当初は、アプリで繋がることの出来る最大人数は50人だったが、後にダンバー数を元に、150人に引き上げられたとされている。

と、あります。(https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/dunbars-number/)


この安定して関係維持できる人数には個人差があると思いますが、皆さんLINEやメッセンジャーアプリの履歴を見ていただけると「友達申請ありがとうございます。よろしくお願いします」「こちらこそ」と、知り合った直後にやり取りのあった後は何もない会話履歴リストを皆さんお持ちだと思います。(すでに削除しているかもしれませんが)

やはり、ある程度決まったメンバーとのやり取りの中で、その外側のメンバーの情報を手に入れ紹介されるというパターンが多いのではないでしょうか?

以上のことから、これから新たにアプローチすべきは

・少ない人数
・弱い関係
(でも)
・維持コストを払っても良いと思える関係

という一見矛盾する関係構築が必要になりそうです。 NYAUW!

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<恋愛相関図と紐帯の強弱の共有点>


アメリカのある高校で、過去18ヶ月間の間の恋愛相手や性的関係を持った相手を回答してもらい、それを図にしたものがこの「ジェファーソン高校恋愛構造図」と呼ばれているもの。

青い点が男子生徒、ピンク色が女子生徒を示していて、線でつながっているのは恋愛関係にあるということ。数字はそのパターンが何組存在したかということ。

このブログでは書きにくい関係もあるのでご興味のある方はリンクをご参考に。

私がここで強調したいのは、先日の投稿でかいた
「強い紐帯を持つグループは関係が緊密であるが故に外部と遮断されがちで、同じような情報をもっており、新規の情報が入ってきづらい。そのような状況にある時、弱いつながりが強い紐帯のグループ同士の橋渡しをし、新しいアイデアや重要な情報をもたらす道を開くという。強い紐帯が不要と言っているのではなく、強い紐帯の間を弱い紐帯が橋渡しするということです。」と同様に、

違う友達グループに属する人同士は基本的に繋がらず、一部のハブとなる人を経由してネットワークが形成されるということです。

医療関係でもそのようはハブはどこだろうか?と考えた際に、患者さんの動線で共通する通り道は薬局であるとは思いませんか?NYAUW!



<薬剤師はいつになったらでてくるの?>

「医師と薬剤師の連携を目指す!」とページ情報にかいてあるのに 薬剤師の話が全然出てきませんが?と、お思いの読者さんが多いと思います。  storyが長いので待てない方々もおられると思いますので、要点を書かせていただきます。

お叱りを受けるかもしれませんが、医師も薬剤師も水商売的な要素があります。

wikipediaより「水商売(みずしょうばい)とは、先の見通しが立ちにくく、世間の人気や嗜好に大きく依存し、収入が不確定な業種や職業、およびそうしたものに従事する人を指す」

なんとなく当てはまりませんか?「病気の治療法が開発されたり、診療報酬体系が変わったり、患者さんの口コミや、近隣に新規の医療機関ができたりすると見通しが立ちにくく、不確定要素が大きい。」

そして 薬剤師さんの場合は現時点では 医師からの処方箋からの収入がメインになっており 医師の方がヒエラルキーが上と思われているかもしれません。

しかし、専門性の分化・深化で、より同業のタコツボ化が進んでいる気がします。他分野の専門性についてはまず自分だけではカバーできないようになっている中で、患者さんの診療体験を上げるためには専門性をお互いにカバーすることが必要になります。

患者さん個人の受診体験としては、疾患に応じて医師A、医師B、医師C、医師Dとたくさん分散されます。医師それそれぞれは自分の専門性を追求して行けばよいだけと考えるかもしれません。しかし、お世話になる薬剤師さんは患者さんの主治医(医師A,B,C,D先生)の専門性を全くFOLLOWできていないと 毎回疑義照会が発生し患者さんの受診体験が下がることになります。

患者さんの受診FLOWの中では医師よりも薬剤師さんがハブになっており、そのハブ機能を強化することが薬剤師さんのスキルアップにも医師の評判、患者さんの満足が上がることになります。

これから薬のデリバリー(対物)からデリバリー後のフォロー(対人)にシフトして行く時代、その薬剤師さんの専門性の知識を上げるために医師が積極的に薬剤師さんに協力して 薬剤師さんからも教えを請うような関係ができれば医療全体にとってよいと考えます。

しかし、「ーすべき」という形ではなく、ゲーミフィケーションを絡め「ーしたい」というシステムをみなさんと協力して作り上げてまいりたいと思います。 

薬剤師の方々、そして医師の皆様、この価値をご理解してただける方にご参加いただけると嬉しいです、NYAUW!

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