無題3

頑張っていきまっしょい 原作に魅せられて


1998年に公開されたこの映画は当時の私の記憶ではそれほど注目もされず、ヒットもしなかったような気がする。
主演の田中麗奈もまだ知名度的にはそれほどでもなく、聞いたことあるかも程度だった。
そんな私が映画館でこの作品を見た理由は松山に3年ほど住んでいたという縁があってのことで、ボートにも出演者にもまったく興味が無かった私を映画館に赴かせたのであった。
後に評価が高まり、ドラマ化されたことからもこの作品をご存知の方も多いだろうが、内容は愛媛県松山市を舞台にした高校女子ボート部の青春物語である。

そんな懐かしい作品を20年ぶりに視聴して、改めて素晴らしい作品であると認識したと同時に、まったく色褪せないどころか輝きが増しているように感じて驚いた。
それでどうにも原作を読みたくなり、読んだ結果いたく感動したのでこれを書いている次第。
そんな私にしばしお付き合い頂ければ幸いである。

原作は松山市主催の第4回(1995年)坊っちゃん文学賞受賞作である。
私は長らく勘違いしていたことがある。
映画「頑張っていきまっしょい」が素晴らしい作品であったから、原作なんて別に読む必要なんかないんじゃないかと思っていた。
もっと言うとどこにでもありそうな原作を映画の力によってとても素晴らしいものにしたんじゃないかと。
これが本当に自分の思い込みが情けなくなるぐらい間違いであった。
映画はもちろん素晴らしかったわけだが、原作がそれを凌駕する傑作であることに今の今までまったく気が付かなかったのだから。
全盛期は年間300冊ぐらいは本を読んでいたので本に対するこだわりは結構あるほうだ。
そんな私でもこれほどの作品にはそうそうお目にかかれない。

この作品の素晴らしさを分かってもらうためにはどうしても最後まで読んでもらう必要がある。
むしろ後半からラストに向けてそれこそジェットコースターのように加速度的に物語が昇華されていく。
主人公悦子がぎっくり腰になって競技に出ることができなくなってしまう辺りからが本題である。
映画ではぎっくり腰が治って最後の大会に出場するが原作では最後まで競技に出ることはできなかった。
しかしそこからの方がより大切なことに気付いていく契機ともなるのである。

余談だが映画の中で1つすごく気になったシーンがある。
幼稚園の時に関野ぶーが悦子をジャングルジムから突き落としたことを何度謝っても絶対に許さなかったことを回想し、悦子の強情さを「そやけど、その意地の張り方、俺好きじゃ。」という告白をする場面がある。
私はどうにもそこのシーンだけは納得がいかなかった。
なぜならその場面は好きと言いたいけれど言えないというのが流れから読み取れるのに、なぜそこで言わせちゃうのだろうというのが私の所感であった。
しかし原作を読むと「ほやけど、その意地の張り方、なかなかええと思うよ。」となっていて、私は長年の違和感がようやく晴れてやっぱりそうだったのかと安心したのである。

さて話を戻すが、この作品は後半からラストにかけて最も輝きを増す作品である。
ボートに乗れない中で抱える葛藤の数々、松山東高(作中は伊予東高)という進学校に通い、愛媛大学という進路を捨てて東京の専門学校に通ってカメラマンを目指すという先が見えない挑戦の決断と周囲の反応。

「できる人間が半分の力で勝つんじゃなく、できない人間が百の力で精一杯ぶつかるから素晴らしいんだ。」
ボートという苦しいことの連続で、一見何の得になるのか分からず、勝ったからどうなんだというニヒルな声が聞こえてきそうな競技において、なぜ人は生きるのかという根源的なテーマに語りかけてくる。
そしてその問いにきっと何らかの気付きと勇気と光と一片のほろ苦さを与えてくれる応援歌のような1冊に仕上がっている。
読み終わった時にとても力が湧いてくる稀有な本である。


そして最後にこの作品で更に秀逸なのがあとがきである。
私は基本的にまえがきもあとがきも全て読む派なのだが(実を言うとまえがきかあとがきを読めばどういうレベルの本かすぐ分かる)、このあとがきは私がこれまで読んだすべての本の中で最も感銘を受け、衝撃の事実を知らされたあとがきである。
だから原作を読むことがあったら是非ともあとがきを読んで頂きたいと思うのである。
そうすれば作者がどういう思いでこの作品を世に送り出したのか本当に心に響くのである。
少なくとも私には作者の溢れる思いが届きました。


私が読んだのはこちら。
単行本と文庫本とは内容が異なる箇所があるそうです。


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