人生の難易度が違う件について

最悪の人生と最高の人生って何だろう。
例えば生まれた時から凄く狭い地下牢のような所に閉じ込められて、一生そこから出られないとしたら普通の人は発狂するし、そんな所で幸福な人生を送るどころかまともに生きることさえ難しい。
逆に平和な国の裕福な家で生まれ、容姿と才能に恵まれて周囲の人々や環境に恵まれたとしたら不幸を感じることさえ難しい。

人生の難易度が人によって異なるのは明らかだろう。
もちろん個人の資質の問題があるにせよ、こんなの誰がやっても無理ゲーじゃない?なんて境遇も実際存在する。
そんな時人は不公平を感じるわけだが、果たしてその不公平は偶然生じたものなのだろうか?

もしも誰であろうと楽勝みたいな人生を送れたとして、その人生を何十回何百回と繰り返したら何を思うだろうか。
もっと難易度の高い人生にチャレンジすることを望まないだろうか。
もしも人はそれぞれの難易度の人生をあえて選んで挑戦しているとしたら、人生が上手くいくとか上手くいかないみたいなことも深刻に捉えなくてもいいんじゃないかと思えてくる。
最初から差異があるものに対して他人との比較はできない。

人生の難易度はその人にしか分からない。
誰人も他の誰人かの人生を歩むことはできない。
だから最初から比較など無意味なものだった。
それが強制的に比較され、存在しなかった物差しが作られた。
いつしか本来の目的とは逸脱したゲームをやらされてるのではないだろうか。
比較の中に真実はない。
自分基準でしか人生は測ることができない。

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