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私は31年前に15才で単身東京に出てきました。最初は仕事も続かず金も住む所もなかった時…

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私は31年前に15才で単身東京に出てきました。最初は仕事も続かず金も住む所もなかった時期を経て、妻をもらい家を買い三人の子供も育てあげました。あのどん底な状態からよくここまでこれたなと、思いおこせば奇跡としか言いようがないですし、こんな人生にただただ感謝しております。

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  • 臆病者の鳩たち

    30年前。 中学を卒業すると、親は俺の面倒を見る気がさらさらないので単身東京に出てきた。仕事も続かず、金もない。フラフラと荒んだ生活をしていたっけ。 「俺、将来ろくなものにならないだろうなあ」と◯◯◯◯を◯◯ながら絶望的な気持ちで涙流して天井を見上げたあの頃の 15才の俺に教えてあげたい。 お前、けっこう面白い人生を歩むよと。

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母のこと2

母はピアニストだった。 某ホテルのラウンジでグランドピアノで リクエストにも応える弾き語りをやったり 虎の仕事で全国各地へピアノを弾きに行っていた。 365日、き…

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5年前
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母のこと1

私は母が嫌いだ。 私が小学生1年の頃、39年くらい前。 教師だった父はギャンブルでサラ金に多額の借金をつくり 母と離婚。私は母に引き取られた。 とにかく温厚だった…

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5年前
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東京砂漠

30年前のあの日。よく思い出す場面なんだけど、 ろくに飯を食べていなかった俺は、最後の100円を握り締め、コンビニのインスタントラーメン売場に15分くらい立ち尽くして…

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5年前
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母のこと2

母はピアニストだった。

某ホテルのラウンジでグランドピアノで

リクエストにも応える弾き語りをやったり

虎の仕事で全国各地へピアノを弾きに行っていた。

365日、きまって夕方16:00頃に家を出ていく母。

小学校から帰ってきた私と入れ替わりで母は仕事にいく。

母子家庭なので当然夜はいつも私1人でした。

この話を私が語ると、みんなきまって「小さい頃からいつも

1人で留守番なんて可哀想だ

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母のこと1

私は母が嫌いだ。

私が小学生1年の頃、39年くらい前。

教師だった父はギャンブルでサラ金に多額の借金をつくり

母と離婚。私は母に引き取られた。

とにかく温厚だった父に対し母は気性が荒くヒステリックなので

6才の私はできれば父に引きとられたいと思っていたことを

はっきりと覚えている。

【父につくか母につくかを当時の私が決めたことになっている】

たしかに私が決めた。

それなのになぜ母

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東京砂漠

30年前のあの日。よく思い出す場面なんだけど、

ろくに飯を食べていなかった俺は、最後の100円を握り締め、コンビニのインスタントラーメン売場に15分くらい立ち尽くしていた。

当時一番安かったチキンラーメンにするか、それと同額のカレーうどんにするか15分迷っていたのだ。

チキンラーメンかカレーうどんか。16歳でホームレス寸前だった俺にはそれほど重大なことだったんだ。