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法廷傍聴控え 青物横丁医師射殺事件4

 続いて、鑑定人の講師が証言席に座る。証言の中でいくつか耳をそばだたせる点があった。弁護人が質問する。

 ──病気の発症はいつですか。
「手術の前後と思います」
 ──手術の後、被告の睾丸が腫れた。これは、医療ミスに該当しますか。
「そうだと思います。都立病院はありえないと主張していますが、なんらかのミスだと思います。亡くなったお医者さんには申しわけないが」

 講師は、「もう少し早く、病院が誠意を持った対応をしていれば、分裂病の発症を防げたかもしれない」とも述べた。その後、妄想はエスカレートしていく。
 矢崎は事件を起こす3カ月前、「何かあったら、よろしく」と都立病院の所在地域を管轄する警察署に話しに行ったこともあるという。これも、講師の証言の中で出てきた思考障害の一例だ。
 最後に、裁判長が次のように聞いた。

 ──異物の存在だとか、変な鑑定をお願いしたが、今後だが、しかるべき病院でしかるべき治療を受ければ、いまのレベルを維持できますか。
「そう思います」

 閉廷後、裁判所、検察側、弁護側、三者の打ち合わせが行われた。その結果、検察側の要望があり、起訴前鑑定からかなり時間がたっているので、改めて起訴前鑑定を行った私立大学名誉教授に鑑定を依頼することになった。
 鑑定には3カ月ぐらいかかると見られていたが、6カ月かかり、年が明けて第8回公判(97年3月14日)が開かれた。名誉教授の2回目の証言だ。鑑定の結果は起訴前鑑定と変わらない。
 つまり、犯行時、妄想性障害で妄想に基づいた犯行であるが、心神喪失ではなく心神耗弱で、限定的な責任能力はあったというものだ。検察官が質問する。ポイントは次のような問答だった。

 ──講師の鑑定では、(手術後の)93年7月以降は妄想が出現したとある。これについてはどうですか。
「その点については同じ時期です」
 ──妄想性障害でも、責任能力が認められない場合がありますか。
「はい」
 ──妄想に関連した場合、その点で能力がないのですか。
「分裂病の場合ははっきりしていますが、妄想性障害は、(鑑定する)先生によっても個々のケースによっても、いろいろ違うでしょう」
 ──妄想性障害の責任能力の判断だが、耗弱か喪失かをわける基準は。
「非常に難しい。妄想が一次的か二次的か、了解可能性はどうか、それまでの生活、犯行の動機、対応、その後の行動など、それらを考えて判断します」
 ──被告に当てはめると、責任能力はなくなっていなかったという判断ですか。
「はい」

 名誉教授が耗弱と判断した大きな理由は、犯行が偶発的でなく計画的に行われたということである。

 ──目的を達成した場合、分裂病の患者は逃走しますか、しませんか。
「まちまちで、一概にはいえません」

 矢崎の逃走を念頭に置いた質問だった。弁護人も質問する。

 ──妄想性障害と妄想型分裂病の明確な境界は。
「この問題は議論が絶えない。非常にあいまいな点が多い」
 ──本件犯行は、被告の妄想が動機になってのものですか。
「はい」
 ──拳銃以外の手段で、できたと思いますか。
「一番不幸だったのは、拳銃が手に入ったこと。手に入らなければ、依然として逡巡していたかもしれません」

 名誉教授の証言が終わったところで、今後の公判予定を話し合う。検察側は4度目の精神鑑定と被告人質問を求めた。弁護側は次回に論告、弁論をすべきだと主張した。
 裁判長が、矢崎に体調を聞く。「前からみると、いいです。何か質問があれば、いいたいと思います」と、かすれた声で答える。新たな精神鑑定は却下された。

 4月14日、連続幼女誘拐殺人事件の宮田被告に対する判決があった。名誉教授らの鑑定を採用し、犯行時、完全な責任能力があったと、死刑を宣告した。宮田は控訴した。

 矢崎の第9回公判(5月6日)では、検察官が異動で交代した。前回、別の検察官は1時間ぐらい被告人質問をしたいと要望していた。ところが、わずか5分で終了する。その最後の質問は次のようなものだった。

 ──いま、事件について、どう思っていますか。
「大変申しわけないことをしたと思っています」

 ごく当たり前の問答だ。しかし、前回の名誉教授の証言を思い出した。分裂病の患者だと、なかなか申しわけないという話は出てこないというのだ。弁護人が、矢崎から弁護人あての手紙を数通証拠として提出する。
 その後、矢崎に質問した。犯行については、「そのときは仕方なかった」。投薬によって、一時、体調はよくなったというが、また体調が悪化したようだ。声に力がない。
 今後の希望を聞かれ、「異物感があって夜もあまり眠れません。体の状態をよくして、できれば社会復帰したい」と供述した。

 第10回公判(6月18日)で、検察官の論告、求刑が行われた。
「拳銃の入手過程、犯行態様、犯行後の行動などは、了解可能性があり、人格の崩れはなく、弁護側のいうような心神喪失ではない。逆恨みの犯罪であり、同情の余地はない。犯行は、綿密な計画のもと、大胆、凶悪である。心神耗弱を考慮しても、厳罰に処する必要がある」として、懲役15年を求刑した。
 一方、弁護側は、「責任能力を欠いたものであり、無罪である。被告に十分な治療の機会を与えてほしい」と訴えた。
 最後に、矢崎が、手元のノートを見ながら、「最終陳述を述べます。このようなことになったのは、とても残念です。被害者にとっても、私自身に対しても、そう思っています」と、しゃがれた声で述べた。

 第11回公判(8月12日)は、いよいよ判決である。開廷前の廊下では、報道陣が被告の名前を実名で報道するかどうかを話している。被告の母親が背中に小さなザックを背負い、杖をついて法廷に入る。傍聴席はほぼ満席だ。検察官よりの傍聴席の最前列に中年の女性と若い女性がいる。どうやら、被害者の妻と娘のようだ。初めての傍聴だ。

「それでは、被告は前へ」と裁判長がうながすと、被告は証言席にいき、椅子をひいて座る。「立ってください」と裁判長が注意して、判決を言い渡す。「懲役12年、未決算入600日」の有罪判決だ。
「理由は長くなるから座って」と指示し、被告は椅子に座る。最大の争点であった責任能力については、心神喪失を認めず、心神耗弱とした。つまり、事件当時、妄想性障害か精神分裂病による妄想状態にあったが、喪失とまでは至っていないと認定した。犯行自体も計画的であるなどと、厳しく指摘した。
 被害者の妻は、ハンカチで涙をふきながら聞き入っていた。被告は後ろ姿しか見えず、その表情はわからない。
 判決を言い渡した後、「いま、症状はどうですか」と、裁判長が被告に尋ねた。「大分、いいです」。矢崎はこういうと、被害者の妻と娘の前を通ってすたすたと退廷した。矢崎は精神鑑定に不満があるなどとして東京高裁に控訴した。

(2021年10月20日まとめ・人名は仮名)

 


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