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死から生きる意味を考える(死生学)

今日は、死について、哲学的な観点や独断を踏まえて話していこうと思います。

皆さんは死ぬことを身近に感じて生きていますか?
答えがNOの方が多いかなと思います。

それは時代が発展して、衣食住に困らなくなった・便利すぎる世の中になったからというのが原因としてあるかもしれません。

現代の人が死を身近に感じなくなったというのは私は危機感を持った方が良いと私は考えています。

なぜなら、死を考えないと自分の人生に本気になれない部分があるためです。いずれ自分は死ぬから今やるべきことをやるという人と、死を考えず目的意識を持たない人とでは少し差ができると私は考えています。

死を考える上においても取り扱い方があります。
それは、いずれ死ぬからといって死に絶望してはいけないということです。

19世紀の哲学者キルケゴールは
"死に至る病"という本で、絶望が死に至る病だと話しています。


ではどうすれば死を考えることができるのか?


それは、7つの習慣の第二の習慣でも触れられている"終わりを思い描くこと"だと私は思います。

死ぬ前に自分は何がしたいのか?
もし明日死ぬなら、今日何をするか?
葬式の時に周りの人にどのような感情を抱いてほしいか?
それが定まれば、そのようにこれからの人生を生きるということです。

人のインスタストーリーに時間を割いているあなた
YouTubeを見るのに必死でやりたいことができていないあなた
やりたいことが欲しいけど行動できていないあなた
全部最後は自分の後悔へと変わってしまいます。

全力で生きることだけが良いことだとは思っていません。
たまには、落ち着いて考えたり、目的を再度調節したりも必要です。

後悔のない人生を生きるためには、他人の人生ではなく、自分の人生を生きることです。
私は、完璧にそのような人生を送れていると思っていませんが、自分の人生を生きるように意識し、動いています。

最後に死について書かれたハイデガーに関する書物を引用して終わりにします。

ハイデガーによれば、死の覚悟がある者だけが、「良心の呼び声」に応えることができる。どうしてか。こう考えるとよい。永遠に生きるとしたら、今それをやるかどうかは重要なことではなくなる。いつかやればよいからだ。死がいつでも訪れうるという状況の中で初めて、今それをなすべきかが切迫した倫理的な選択になる。
こう説く本書自体が良心の声である。

「死」から人生をとらえ返す ハイデガー「存在と時間」(大澤真幸)


人間はいつ死んでしまうか分かりません。
だからこそ、死の覚悟を持って生きていくという選択もよいのではないかと私は感じます。

今日は、"後悔しない人生を生きられるように死を真剣に考える"という話でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。

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