[2020年11月4日水曜日]映画のように

 ほんの少し、変わった人が。
 7人の英雄に取り押さえられた。
 それを、寡黙なキャメラメンが携帯で黙って撮影している。
 きっと、あれは映画だったんだ。
 結末しか知らないけど、映画だったから許されたんだ。
 


否定
 どこかに。
 ほんの少し、変わった人がいた。

 そいつが何をしたのか。
 映画の前半を観ていない私は知らない。

 だけど、その結末は知っている。

 7人の正義漢が。
 そいつを取り押さえた、英雄映画のように。

 その英雄の名は。
 傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲。
 そう、エンドロールに記されていた。

 撮影は好奇心。
 脚本、監督は。
 この映画を知った、私達だってさ。

 どうしようか?
 ソフィー、この映画の感想は。


フィロソフィー
 どうしましょう。
 困ってしまいますね。

 突然、『春雷』が落ちて。
 驚き逃げる羊達に。
 無表情の兵士が、弾丸の雨を浴びせる。

 ほんの少し、変わっています。

 ですが、場所が変われば。
 いわゆる、『まとも』も変わり。
 黄色がまともで、黄色が変わり者にもなります。
 
 それから、考え方も変わります。
 大罪と好奇心が、聖書に載る場所では。
 他の場所の聖書は、地獄の禁書に変わります。

 もう、何が『まとも』か。
 わかりませんね。

 黙って映画を撮るのが、『まとも』でしょうか?
 英雄を制する、新たな英雄が『まとも』でしょうか?


否定
 わからないね。
 いや、最初からそんなもの。
 なかったんだろう。

 殺人だろうが、なんだろうが。
 それが、フィクションの映画なら許されるんだ。

 そうさ、私が結末を知った。
 あれは、映画だったんだ。

 好奇心のキャメラメンが携帯で撮影して。
 役者が役を演じただけさ。

 全ては、映画なんだよ。
 今、この瞬間も。
 全ては、フィクションなんだよ。
 今、この瞬間も。


フィロソフィー
 そうかもしれません。
 どうりで、よく雷が落ちるわけです。

 何が『ゲンジツ』なのか。
 わかりやしません。

 『春雷』が落ちた、今も。
 世界は平等に歪んで狂っている。

 いつだって。


否定
 いつだってね。
 この世界が、『まとも』だった日が。
 一日でもあっただろうか?

 私は知らないな。
 私が知らないってことは。
 そんな日は、一瞬もないってことだ。

 そりゃ、そうだろう。
 自分が見たものが。
 世界の全てなのだから。
 
 自分が知らないものは。
 存在しない。
 
 あの映画の前半のように。
 私に、役者の『まとも』な素顔を知る。
 そんな瞬間はない。

 いつだって。
 途中が切り取られ、未完成だから。
 一年前の今日、何をしていたのかも忘れている。
 『ゲンジツ』という箱のサイズもわからないから。
 これが、『フィクション』じゃない保証もない。

 ただただ、都合よく信じているだけ。

 それならば。
 名脚本家兼名監督のあなたなら。
 今、この瞬間をどんな映画にするのだろうか?


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それでは、また次の機会にお会いしましょう。




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