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[2020年3月2日月曜日]枕が飛ぶ映画館


 拝啓、親愛なる友人へ。


 最近、マナーの国からやってきた紳士さんが、この街の映画館のしきたりに驚き、小さな事件がおこりました。
 ちょうどその現場にいた僕達は、タイプライターを乱れ撃ちしたソウルヒットマンとの交渉力を買われ、紳士さんと交渉することになりました。
 今回はそのことをこの手紙に記します。
 
 僕達の街の映画館では、上映中に枕投げをするのがしきたりになっています。
 そうです。映画を観ながら、好きなタイミングで枕投げをするのが当たり前で、古くから枕投げと共に映画を楽しんできました。
 いい映画はいい枕投げができる。そんな言葉があるくらいですし、映画の宣伝も「全ての観客の枕が飛んだ」とか「枕が運んできた出会い」という宣伝文をよく目にします。

 時々、暗い映画館の中では映画の世界ではなく、睡眠の世界へ迷い込んでしまう人がいます。
 そんな眠りの世界へ誘うチケット。
 その枕を投げ合い、映画の世界を楽しむという行事。
 これが、この街の伝統的な映画の楽しみ方です。

 ちょうど枕がよく飛びそうないい映画があり、僕達もその映画を観に映画館に行きました。
 『スペース・ピース』という映画です。
 遠い遥か彼方の銀河にある、近い遥か此方の銀河。
 そこで起きた親子喧嘩の物語です。
 よくある話ですが、これが最高に面白いんです。
 今回はその999回目の話で、僕もガクちゃんも楽しみにしていました。


テツガクちゃん
 肯定さん、枕を持って来ました?


肯定
 いや、今回は忘れて……。
 映画館にあるやつを借りるか、飛んできた枕を投げ返すよ。


テツガクちゃん
 肯定さん、それはよくないですよ!
 映画を楽しむには、自分の枕を持ってこないとよくないことが起きます!
 それから、ポップコーンやジュースなどの物資もしっかり用意して、万全の状態でこの戦いに挑まないと大変なことになりますよ!


肯定
 えー、そうかなー。
 まあ、ガクちゃんがしっかり用意しているから大丈夫じゃない?


テツガクちゃん
 この枕は、私のお気に入りの映画用枕ですからお貸しできませんよ?


 そうなんです。映画好きの間では、映画専用の枕もあるんです。
 暗い館内で投げるのに最適な枕などがあり、彼女も専用の枕を持っています。
 僕は普通の枕を使う時もありますが、基本的には持って行きません。
 持って行かなくても、投げ返すので精一杯ですから。

 そんな話をしながら映画館に辿り着いた僕達。
 お目当てのチケットを買い、席に座り映画の開始を待っていた頃、オシャレなスーツを着た紳士さんが入ってきました。
 自分の席を探しながら、枕を持っている他のお客を見て、彼は少し不思議そうな顔をしていました。

 その様子を見た時、僕はこの映画よりも刺激的な物語が生まれそうな予感がしました。
 それは、二人の早撃ちガンマンの横を吹く風に似た感覚。
 どちらが先に拳銃を抜くか、その瞬間を黙って待つ立会人。

 999回目のエピソードの始まり。
 それを告げる映画のテーマソングが流れ、観客は歓声を上げます。
 これが開戦の合図です。
 それに気づかずに混乱する紳士さん。
 そんな紳士さんに気づかず、冒頭の軽いアクションシーンに合わせ、枕を投げ合う観客。

 別の世界に迷い込み、そこから逃げ出そうとした紳士さん。
 不運なことに流れ弾が彼に当たり、その瞬間、彼は品格というジャケットを脱ぎ捨て怒り出しました。

 彼が怒るのも当然です。それは彼の当たり前です。
 一方で、その怒りに驚く僕達も当たり前で。
 この映画館の中に、二つの当たり前が同時に現れ、そこにもう一つ、僕だけの当たり前が顔にぶつかりました。
 そうです。ガクちゃんが僕に投げた専用の枕です。

 なかなか枕を投げ返さない僕に、ガクちゃんが問いかけます。


テツガクちゃん
 肯定さん、なぜ枕を投げ返さないのですか?


肯定
 とても投げ返せないよ……。
 ほら、前の方で紳士さんが怒っているじゃない?


 そう小声で、スクリーンの前の方で、他のお客に怒りをぶつけている紳士さんを指差す。
 いつ、彼が僕達に怒りをぶつけるか分からず、借りてきた猫のように静かにしたい僕。
 しかし、僕がそんなことを考える時、彼女は正反対のことを考えていて……。


テツガクちゃん
 これは大変ですね!
 枕が目に入ってしまったり、大切なものがなくなったり、壊れてしまったのかもしれません!
 ちょっと事情を訊いてきますね!


 「ガクちゃん待って!」と僕が拳銃を抜く、その前に、彼女の方が先に的に命中させる。
 早撃ちのガンマンは、遠い遥か彼方にいるようで、近い遥か此方にいたようです。そう僕の隣に。
 僕はそのガンマンの後を追いました。


紳士
 あなた達、この騒ぎはなんですか!?
 マナーを守れないなら、今すぐ出て行きなさい!


 そう追及され困惑するお客さん達。
 騒ぎが大きくなり、従業員も仲裁に入る。
 しかし、紳士さんの怒りはおさまらない。
 それは当たり前だが、もう一つの当たり前がこの出来事を複雑にします。
 従業員がいくら彼に、枕投げのことを説明してもなかなか理解されない。
 互いが違う当たり前という幻を見ている。
 一辺倒の品格では、どうにもならない時空がここにありました。

 そんなメビウスの時空を解くために、彼女は紳士に声をかける。

テツガクちゃん
 紳士さん、お怒りのようですが、どうなさいました?
 怪我でもされましたか?
 それとも大切なものが壊れてしまったり、なくしてしまったりしましたか?
 
 例えば、紳士さんのマナーとか?


 随分、ストレートに言ってしまう。
 そこが彼女の魅力で、僕が最も憧れている部分だが……。
 どの映画の瞬間よりも、今、この瞬間から目を離せない。
 そんなドキドキの瞬間だ。


 僕がドキドキしている中、観客の中には彼女に期待の光を見る人もいました。
 交差点でソウルヒットマンと交渉した、その様子を見ていた観客は、彼女に探偵に似た役目を期待し、紳士さんとの交渉が彼女に託されました。
 この問題と向き合う、探偵と交渉人の物語を描く、表幻者。
 

紳士
 映画館では静かに映画を楽しむ。
 これが世界のマナーです。
 私はよく外国へ行きますが、こんな枕が飛び交う映画館はこの街だけですよ!
 恥を知りなさい! あなた達は、映画に全てをかける情熱をなんだと思っているのですか!?
 この映画を撮るためにスタッフさんが、どんな想いをしたのか!


 そう語り続ける彼の姿には、映画愛という炎が燃え上がっていました。
 『映画館は燃えているか』という名曲があるとしたら、こう答えよう。
 それは今、見事に燃えている、と。


テツガクちゃん
 いいえ、知りませんでした。すみません。
 それならば、是非、あなたの映画に対する、その愛を私にぶつけてください!
 私のこの顔目掛けて、私のお気に入りの枕にあなたの映画愛を込めて! 

 そう親指で顔を示す彼女。
 そこには、冗談という影も見せず、必死にそう訴える彼女の瞳が輝く。
 これは反則だ。あの中間色の瞳の輝きに照らされると、全てのことを忘れてしまう。
 その姿は何か似ている……だが、今はどうでもいいことだ。

 彼女の中間色の眼光は、どうやらこの紳士にも届いたようだ。
 少し困惑している。
 どこをどう解釈すれば、自分の顔に枕をぶつけて欲しい、となるのか。
 それは、霧の都の探偵にも解けない謎なのかもしれない。

 
紳士
 私はそんな恥ずかしいことはしません。
 もういいです。国に帰り、映画協会の友人に抗議します。
 二度とこの街に映画を配給しないように訴えます。


 そういい、立ち去ろうとする紳士さん。
 その寂しそうな後姿に、ガクちゃんはお気に入りの枕を頼りなく投げ、音もなく落ちた悲しそうな枕。
 気がつけば、活気に満ちた楽しそうな映画館の空気は、紳士の寂しそうな背中や床にある悲しそうな枕と同じ空気になっていた。
 その空気を作り出しているのは、ここにいる映画を楽しみにしていた観客だった。
 きっと彼らも、立ち去ろうとしている紳士と同じ気持ち。
 それを、この瞬間に共感しているのだろう。
 
 この映画館の中で、お互いが違うマナーという当たり前の幻を見ていた。
 だけど、今、この瞬間、紳士さんや僕達に全ての観客、従業員は同じ見えない幻を見ていた。
 誰も声を出さず、この出来事を見続けている。
 この物語が最後の上映作品、最後の枕投げになるのかもしれない。

 そんな時空の空気を共感している。
 紳士さんもそれに気づいたのか、振り返る。
 このまま、この物語を終わりにしていいのか?
 床に落ちている悲しそうな枕に視線を移し、しばらく考え答えを出す。

 その答えは、テツガクちゃんの顔に届いた。
 ぎこちない飛び方で、飛んできた紳士さんの想い。
 それを慣れたように受け止める彼女。
 少し顔が赤くなったガクちゃんは笑いながら構える。


テツガクちゃん
 やりましたね!
 ですが、枕投げのフォームがなっていません!
 こうやって投げるんです! 気持ちを込めて!


 野球選手もビックリな美しいフォームで優雅に飛ぶ枕。
 紳士さんと彼女の枕のキャッチボールが続く。
 そして、その枕には同じ映画への想いが見えた。
 きっと、紳士さんにも見えていたのだろう。
 ただ、その表し方が、ほんの少し違うだけだった、と。


 この後、改めて紳士さんに、この日の出来事を謝罪し和解に至った。
 たしかに、映画は静かに観るべきだった。
 そして、それが世界の当たり前だった。

 だけど、この街にも少し違う当たり前がある。
 そのことを紳士さんは、その品格で認めてくれた。
 それから、意外にもこの枕投げ上映が気に入り、自分の国でもやってみたい、という流れにもなった。

 お互いが見ていた、お互いの当たり前というマナー。
 その別々の形をした幻は、時々争いの種になる。
 柔らかい枕以外のものを投げ合うこともある。

 その後、互いが見る景色。
 それは、皮肉にも同じものかも知れない。
 そこで初めて、作法やマナーは幻だった、と知る。
 その瞬間は、ある意味奇跡なのかもしれない。
 共に同じ幻を見る。そんな時空を共感することが。

 その奇跡を巧みに操るガクちゃんの瞳を見ていると……。
 そう、天照大神という神話を思い出す。
 あの中間色の輝きに照らされると、嫌なことなども全て忘れて能天気になれる。
 だから、僕は枕を持っていかないのだ。
 彼女の楽しそうな輝きから放たれる枕を受け止めたいから。 
 そして、能天気に枕投げを共に楽しみたいから。

 もしよければ、あなたも枕投げを楽しんでみてはいかがでしょうか?
 言葉では伝わらない気持ちを枕に込めて……いえ、枕じゃなくてもいいのですが。
 ただ、映画館では静かに映画を観ましょう!
 これは僕達との秘密の約束ですよ。


 それでは、また次の機会にお会いしましょう。


 敬具、親愛なる友人へ、助手の肯定より


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