見出し画像

[2020年11月16日月曜日]まるで、フィクションのように

 時々、まるで、フィクションのような光景に出会う。
 『それから数年後』というテロップが出たり。
 物語のように、次の頁があると信じていたり。
 見直せる回想、やり直せる分岐点。
 それらが、あると思ったり。
 そんな今が、本当にフィクションではないと言い切れるのでしょうか?

 

テツガクちゃん
 時々、まるで、フィクションのような光景を。
 目にすることがあります。
 
 例えば。
 永らく会えなかった人と再び出逢えたり。
 肯定さんとの再会とか。


肯定
 たしかにね。
 僕も他の人とも、そういう再会するし。

 まるで、『それから一年後』。
 そんなテロップが、出たかのようにさ。
 一週間後とかもそうかな。

 ほら、この更新もそうだよ。
 一週間に一度だけど。
 その間にある、6日間なんて。
 まるで、なかったように感じることがある。

 この更新の後。
 テロップで『一週間後』と出て、次の話題が始まる。
 そんな感じかな。

 そういう事って、けっこうあるかも。


テツガクちゃん
 ありますね。
 だから、次の機会にやり直せばいいかな、と。
 自然に思ってしまったり。

 本当は、その次の機会なんて。
 ないのかもしれないのに。
 
 物語みたいに次の頁があると。
 信じてしまっている私がいて。
 

肯定
 それもあるね。
 ゲームみたいに分岐点がでたら。
 聞き流した会話の回想を見ればいいや、みたいに。

 でも、そんな回想システムってないし。
 分岐点もやり直せない。

 そのわりには、目の前のことを。
 そこまで、しっかり向き合っていないというか。
 まるで、フィクションのように。
 やっぱり、流していたり。


テツガクちゃん
 そういうフィクションは、少し物足りないですね。

 間にある、日常に気づかない振りをして。
 『それから、しばらくして』というテロップを出したり。

 まるで、物語のように。
 次の機会があると信じ込んで。
 話を聞き流したり、文章をろくに見なかったり。

 どちらが、フィクションなのか。
 時々、わからなくなりますね。

 目の前に映る誰かを。
 ゲームのNPCのように思ってしまう。
 そんな自分がいる、今を。
 本当に、フィクションではない、と言い切れるのでしょうか?

 フィクション。
 作り物の自分だから。
 全てを流しているのかもしれない、と。
 そういう、少し物足りないフィクションです。

 同じフィクションなら、満足できる。
 面白そうなフィクションにしたいですね。


肯定 
 ガクちゃんにとって。
 面白そうなフィクションって、どんな形なの?
 気になるよ。


テツガクちゃん
 あっ、きっと、そんな気持ちですよ!
 好奇心が、フィクションの弾丸に撃ち抜かれる。
 
 フィクションよりフィクションなフィクション。
 そんなややこしくて。
 心の奥に、留まってくれるようなフィクション。
 もう、ノンとかは必要ない、と思えるような。
 論外なフィクション。

 蝋人形の中に宿った大統領の魂の方が。
 本当の大統領より、大統領のように見える。
 そんなフィクションという偽りの方が、面白そうです。

 本当は、あなたにも見えていますよね?
 ブランドのロゴが隠す、フィクションという刻印が。

 刻印を隠すロゴがなくても。
 そのフィクションに本物を感じたのなら。

 それが、本物のフィクションです。きっと。
 そんな面白そうな宝物を探しに行きましょう! 


関連の話題
『次の機会なんて』
『フィクション?(前編)』
『フィクション?(後編)』
『二つの現実逃避』
『現実を突きつける?』
『無知精神で夢知に出会う』
『それとは違う』
『いと不可思議な幻を信じている』
『抜け出せない、今日、今、この瞬間』
『時間という幻』
『テツガクちゃんと肯定一覧』


それでは、また次の機会にお会いしましょう。


200626ブログ用as




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?