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[2020年7月1日水曜日]学校に通う理由


 拝啓、親愛なる友人へ。


 答えに困ってしまう、質問。
 それは、いつだって突然やってきて。
 悩み迷っている、その間に消えてしまう、霧のよう。

 もし、あの時。
 あの質問に答えられたら……。
 そう何度も想像してきた、先の景色。
 
 それに出会った、夏の日。
 今回はそのことを記します。


 少し複雑で、とても厄介なアレ。
 それに答えようと、あれこれ、それどれ、と必死になれば。
 明るく透き通った、透明な心情。
 それを、ゆるやかに滴る何かが、一滴ずつ確実に濁していく。

 濁った心情は黙り込み、沈黙の中。
 訊ねたあの人は、何かを察して、その沈黙から去っていく。
 残った自分が味わうのは敗北の味。

 何度もその味を味わい。
 様々な心情に出会った日々は『唯一無二』。
 同じ敗北という唯一の味。
 だけど、何を思うのか。
 それは、一つとは限らない無二の想いがあり。

 敗北の味を届ける。
 あの少し複雑で、とても厄介なアレ。
 答えに困ってしまう、質問。
 
 それは、郵便箱の中や電話の受話器。
 あるいは、玄関の向こう側からやってくるとも限らず。
 夏の日にあった、快晴の月曜日、午前の公園にあることもあり。

 それに気づかなかった、日曜日の夜の僕はガクちゃんと約束を交わした。
 もし、このまま月曜日になったら。
 近所にある公園、彼女にとっては双子塔公園、僕にとっては第五公園。
 その呼び方はお互い違うけど、同じ場所を示している、ということを確認しに行こう、と。

 そんな約束を忘れてしまうくらい。
 僕は深い睡眠の奥にある、夢の中。
 不安定に流れていく、懐かしい場面は青い春のよう。
 落ち着きがなく、必死にもがいていて、疲れて嫌になって。
 だけど、それが、どこか愛おしく恋しくもなって。

 そう振り返れる、心の在り処。
 それが青春なのかもしれない。
 そう、思い出の場所を映した夢から教わった僕は、約束の時間よりだいぶ遅れて、この地上に覚めた。
 そこには、僕の寝顔を覗きこむ、ガクちゃんがいて。
 僕は罪深いことに、その事実に大きな幸せを感じてしまった。
 もう、一人じゃないんだな、と。

 寝坊したことに幸せを感じる僕は、罪深い怠惰なやつ。
 しかし、彼女は何一つ怒ることもなく、いつものことだと挨拶をするように提案をする。


テツガクちゃん
 さて、睡眠はもう十分ですよね?
 支度をして、双子塔公園に行きましょう。
 今日は快晴ですよ。


 もちろん、と提案に乗る、その前に。
 彼女に遅れたことを謝ると。
 寝坊して、遅れてくるところが僕らしくて。
 それが好きだから、と返し続けた。


テツガクちゃん
 ですが……肯定さんが、そこまで気にしているのでしたら。
 見ていた夢の話、それを教えていただけますか?
 肯定さんの秘密を。


 そう提案され、僕は先ほどの提案と合わせて乗ることにした。
 支度を済ませ、歩いて目的地へ向かう僕達。
 その進み方は、何かに近づきながら、何から遠ざかる。
 まるで、『前進と同時に後進している』、当たり前のよう。

 その当たり前の中、僕は見ていた夢を語り明かす。
 それは、昔、僕が通っていた、谷を越えた街の東の方にあった学校。
 そこで過ごした時間、それを覗くように映った夢で。
 その形は、本物のようで、どこか偽物ようで、とても夢らしい形だった。
 
 過ぎ去ったものを振り返ったり、選ばなかった別の道を覗いたり。
 それらとは全く違う、論外さもあったり。
 様々な覚えをかき混ぜ、錯じり合った、錯覚。
 それが夢だと思う、と僕は語りながら、夢の結末を明かした。


肯定
 でもさ、いつだって覚める時は。
 それが、夢だった、と気づいて、覚めるんだよね。
 そのまま、気づかずに覚められたら……。

 あの夢だって、ガクちゃんが隣の席にいてさ。
 他愛のない話をしたりするんだけど。
 そこで、気づくんだよ。
 ああ、これは夢だって。

 でも、今朝は嬉しかったよ。
 覚めたら、ガクちゃんがいたからさ。
 ありがとうね。


 僕の事情を知らなかった彼女は、それを聞いて嬉しそうに返す。


テツガクちゃん
 私の方こそ。
 夢の中でも、私を忘れないでいてくださったなんて……感激です!

 本当にありがとうございます。
 
 私も肯定さんと同じ学校に通っていたら。
 学園物語のような日々を過ごせたのでしょうか?


肯定
 物語みたいな日々を?
 どうだろうか……。
 僕も『流行の誰かの憂鬱』のような日々を期待したけど。
 その欠片もなく、程遠い距離感。

 もしかしたら。
 その原因は、ガクちゃんが隣にいなかったからかもしれない。

 だけど、今、この瞬間。
 やっぱり、それも『流行の誰かの憂鬱』とは全く違う。
 それほど、その距離感は遠い。

 だって、あまりにも幸せ過ぎるから。


テツガクちゃん
 もう、困ってしまいますよ。
 面白さと嬉しさ。
 それらを、かき混ぜたことを仰るから。

 そんな私の心情を伝えるには。
 やっぱり、この言葉ですね。
 肯定さん、ありがとう。

 最初の肯定さんのありがとう。
 それから、私のありがとう。
 二つの別々のありがとうが重なった、今。
 双子塔公園は目の前ですよ。


 そう彼女が言い終えると、僕達は公園の前を流れる川。
 そこにかかる橋の上にいた。
 
 橋を渡った正面には遊具広場があり、その奥には芝生が広がっている。
 その右隣には、水遊び場と双子塔がある公園。

 僕は遊具広場を中心に第五公園と呼び、彼女は双子塔を中心に双子塔公園と呼ぶ。
 同じ場所を示しても、何を中心に捉えるのか。
 その違いで呼び方が変わってしまう、不可思議さ。

 それが、どこか愛おしく思える、今。
 隣の彼女はどこかメルヘンのようで。
 その表の情の理由は、まだわからなかった。

 ただ、わかったことは……。
 やっぱり、双子塔公園は第五公園で、第五公園は双子塔公園。
 別の知らない公園を示す、秘密の呼び名というわけではないことを確認できた。
 それは、10分から15分ほどでわかること。
 そこから、再び同じ時間をかけて歩けば、出発点に帰って怠惰に過ごせる。

 しかし、彼女が新たな提案をする。


テツガクちゃん
 平日の月曜日、快晴の午前の暮れ。
 貸切とは程遠く、賑やかさとも程遠い。
 このワガママさ。

 せっかくですから。
 それを少し堪能していきましょう!

 平日の月曜日の午前の暮れ。
 それだけで、ほんの少し罪深く。
 どこか、西部のならず者のようですから。


 彼女の誘い。
 それは、七つの大罪の外にある。
 論外なワガママという罪。

 もちろん、相方の僕もその誘いに乗り。
 共に罪を犯す、共謀罪を味わうために。
 僕達は双子塔が見える、水遊び場に向かった。

 水が流れる階段、その一番上の段に腰をかけ。
 履物から解放した素足を流水で冷やす、足湯ならぬ足水。
 その気分はバカンスのようで。だけど、ほんの少し違う複雑な贅沢さだった。

 僕は彼女が公園の中心に捉えた、双子塔を眺めていた。

 この塔には僕だけの秘密がある。
 それは、ほろ苦い記憶と共にある幽かに甘い秘密。

 二つの塔の間には、お互いを繋ぐ橋があり、その中間には水門がある。
 遠い昔、その橋の上に登る遊びが流行っていた。
 当時、運動神経が控えめだった僕にはできない遊び。
 きっと、それは今もできない、ほろ苦い記憶。

 そして、僕だけが知っている、幽かに甘い秘密。
 それは、その頃に一度だけ出会った、塔に住む妖精のような少女。
 塔の内部から見上げると、子供には登れない高さに足場があり。
 その足場を駆ける少女を一度だけ、この目と眼で見たことがある。

 それから、何度もその足場への登り方を考えたが。
 未だに、その答えは出ず。
 むしろ、今の方が不可思議さは濃くなっていた。

 塔の外側にあるハシゴ。
 それは、塔の天辺と塔の窓の間にかかっている。
 ちょうど、僕が少女を見た足場は、その窓くらいの高さ。

 少女はどうやって、あの高さまで登ったのか。
 その疑問に遠い昔の僕は、あの少女は塔に住む妖精、という答えを出した。
 今の僕が出せる答えは……今は、わからない。
 そう、匙をトタン屋根に投げた頃。
 
 隣の彼女は何かに気づき、奔放な素足のまま階段を降りていく。
 その行く先には、イマドキな若い女性が段差に座っていた。
 チャーハンのような踊りを踊る、ギャルソンのような感じの女性だ。
 まだ、その味を知らないが、きっと辛口だ。
 できることなら、関わらないでほしい、という雰囲気が透けて見えたから。

 その気をまとう理由。
 なんとなく、それがわかる気がした。
 きっと、辛口娘さんは僕達と同じならず者。
 だけど、まだ道を外れて間もない新米だろう。
 平日の月曜日、無法地帯の公園には溶け込めていなかったから。

 ガクちゃんは新米の辛口娘さんに声をかけた、いつものように。
 

テツガクちゃん
 お嬢さんは誰を待っているのですか?

 
 そう彼女が訊ねた理由。
 きっと、それは、辛口娘さんが携帯電話を眺めていたからだろう。
 お菓子などを周りに広げながら。

 その事実は、僕達が来るよりも前から、ここにいたことを示し。
 さらに、近くにあった自転車が、正面から水遊び場に来たことを示す。
 それを察した僕達は、裏側の階段からここに来た。

 もし、正面から出会えば。
 また違った出会いがあったかもしれないが。
 目の前にある事実は、あまりいいものではなかった。

 辛口娘さんは警戒しながら、突き放すように一言。


しおり
 別に……。

 
 そして、眺めていた携帯をしまう。
 それは、帰ってくれ、という合図だが。
 その合図は我が相方には見えない。
 なぜなら、彼女こそがワガママ・クイーン。
 自慢のWAGAMAMA・バディーだから。


テツガクちゃん
 もしかして、学生さんですか?
 中――。


 この質問が大問題だった。
 新米に新米ですか? と訊ねるのは、無礼に当たることもある。
 その逆も然りで、ベテランにベテランですか? と訊ねても無礼になる。
 それくらい、見ればわかるでしょ、と。

 しかし、それがわからない人がいることも、当たり前に然り、当然なことで。
 お互いがお互いを知ろうとする、関心がとても大切だが。
 その余裕をこの辛口娘に求めるのは、だいぶ酷なことだった。


しおり
 ……うるさいな。
 あたしは一人でいたいの。
 だから、放っておいて。


 荒れた語気は離れた僕のもとまで届き。
 穏やかではない言葉に、僕も二人のもとへ向かう、奔放な素足のまま。
 僕が辿り着く前に、彼女の空回りな『トーチソング』が謝罪を謳うが。
 それは所在無く、放り出され、快晴の月曜日、午前の暮れの空へ届く。


テツガクちゃん
 すみません……。
 ですが……学校のことが気になりまして。
 中学校は楽しいですか?


 ほんの少し間が空き、辛口娘は睨みつける。
 その目は縄張りを荒らされたヒョウのよう。
 彼女は踏み込む場所を間違えた。


しおり
 …………中学?
 ……あたしがJCに見えるの?


テツガクちゃん
 す、すみません!
 あまりにも、お若く見えたもので……。

 はっ、とても綺麗な肌ですね。


 そういいながら、辛口娘の手を掴んでまじまじと見る。
 そんな彼女の手もキメが細かい綺麗な肌だ。
 それを知る僕が二人のもとへ辿り着いた頃。
 辛口娘は彼女を手を強引に払い、僕を睨む。


しおり
 なに、おばさんの彼氏?


 おばさん。
 その煽りの一言を真に受けた僕は、釣られたアオリイカ。
 一方、彼女は自分のことをおばさんと呼ぶ、辛口娘に感激し再び詰め寄る。


テツガクちゃん
 私がおばさんに見えますか!? それは嬉しいです!
 つまり、お嬢さんは私より年下ということですよね。

 おばさんの私はテツガクと申します。
 こちらは、おばさんの彼氏、おじさんの肯定さんです。

 高校生のお嬢さんのお名前は?


 中学生でなければ、大学生でもない。
 高校生、それが適切に当てはまる、辛口娘のテキトウな所在地。
 道を外れたばかりの新米だ。


しおり
 あ、あたしは、しおりだけど……。


テツガクちゃん
 しおり、ですか……ステキな名前ですね!
 しおりさん。


 彼女の十八番、『無礼返し』。
 無礼を無礼で返すのではなく。それを認めてから、自分の用件を通す。
 その勢いに押された辛口娘は、つい口を滑らせ名乗ってしまった。
 その様は、どこかしおらしい花のようで。

 しおりは気まずさから、それをごまかすように。
 その場を立ち去る、決め台詞を控えめに呟く。
 

しおり
 デートの邪魔になるから、あたし帰る。

 つい、その台詞に、アオリイカな僕は嫌味を返してしまった。
 今、振り返れば、恥ずかしく申し訳ないことをしてしまったが。
 おばさん、という一言の温度が、あの時の僕には熱過ぎた。


肯定
 気が利きますね。
 それでは、広げたゴミも持ち帰って頂けますか? ついでに。


 僕が嫌味を込めて返せば、しおりは睨みつけ。
 爆発寸前の一食触発が、爆発触発で一食寸前。
 いろいろ重なり過ぎて、その意味もわからなくなる。

 その事態を余計にややこしくしたのは彼女だった。


テツガクちゃん
 ああ、どうかお二人とも、私のことで争そわないで。
 そんなに求められたら、困ってしまいます。

 もし、私の身体が二つに分かれたら……。
 しかし、それは、今は叶わないことです。
 
 ですから、お二人の願いを叶えるためにも。
 私は、あの星に帰らなければなりません。


 メルヘンモードのガクちゃん。
 迫真の演技というよりは、いつもの真に迫る演義だ。
 きっと、彼女が伝えたかった、その意味合いは――。


しおり
 竹取物語かよ……。


 そう、竹取物語、ワガママなかぐや姫の話だ。
 遠い昔、僕の時代では中学と高校で習ったはずだが……。
 まるで、その内容を覚えていない。
 そして、今も何なのかわからない。

 ただ、帰るべき場所へ帰る。
 そんなワガママ娘の話、ということだけ。


テツガクちゃん
 そうです、竹取物語です。
 しおりさんにも帰るべき場所。
 それが、どこかにあるのではないのですか?

 かぐや姫様のように。


 それは、先ほどまでは、訊ねてはならぬ。
 そんな事情だったが、ほんの少しだけ。
 それに噛み付く、しおりの心情が緩んでいた。
 この午前の暮れの空のように。


しおり
 そんなもの、別にないよ。
 おばさん、あたしに説教しているの?


テツガクちゃん
 んー……逆ですね。
 私がしおりさんに説教をして頂きたいんです。


 目には見えない、クエッションマークがしおりの頭の上で踊っていた。
 しおりには夜回り先生のように映る、彼女の方が説教を求めているなんて。
 その理由は、道を外れて間もない、ならず者にはわからない。
 だからこそ、しおりはまだ新米なのだろう。

 ならず者が同じならず者に、説教などできるはずがない。
 なぜなら、それをしたところで、説得力の欠片などまるでなく。
 ましてや、説教ごっこをして晴れる、そんな憂さなど僕達にはない。

 もう、ここが僕達の居場所だから。


テツガクちゃん
 是非、私に学校に通う理由を教えてください!
 楽しいからでしょうか?


しおり
 そんなの知らないよ。
 決まりだからじゃない?
 そういう決まりだから。


テツガクちゃん
 それならば、決まっていなければ。
 学校に通わなくても、いいのでしょうか?


しおり
 そうなんじゃないの。
 知らないけどさ。


 彼女がしおりに訊ねた質問。
 それは、答えに困ってしまう、形。
 少し複雑で、とても厄介なアレだ。

 たぶん、その質問の答えを知りたいのは。
 彼女よりもしおりの方なのかもしれない。


テツガクちゃん
 そうですか……。
 それでは、今、しおりさんがここいる。
 その理由は何ですか?

 是非、私に教え説いてください。


しおり
 そんなこと、どうでもいいだろう。

 
テツガクちゃん
 はい、どうでもいいことです。
 ですから、知りたいんです。
 それがわかれば、学校に通う理由もわかる気がするので。


しおり
 意味わかんない。
 

 呆れ気味に静かに呟くが。
 このおば……ワガママ娘に下手ないなし文句は通じない。
 そう学んだしおりは、それなりの事情を明かす。


しおり
 入る学校を間違えたんだよ。
 他の学校に入っていれば、今、ここで説教をすることもなかったのかも。

 なんか雰囲気が合わないんだよ。
 今の学校さ。


 そう答えた、しおりの気持ち。
 それには覚えがあった。
 遠い昔の自分を覗くような気分だ。
 もしかしたら……僕としおりは、どこか似ているのかもしれない。


テツガクちゃん
 雰囲気ですか……。


 少し黙り込む彼女。
 すると、随分と沈黙していた僕の方を向き、微笑んだ。
 きっと、気づいてしまったのだろう。
 僕が覗き込んでしまった、しおりの情。
 それと同じ情が映った、僕の瞳の窓に。


テツガクちゃん
 肯定さんはどうでしたか?
 学生時代の雰囲気。


しおり
 おじさんの話はどうでもいいよ。
 聞きたくもない。


テツガクちゃん
 まあまあ、おばさんとしおりさんの仲じゃないですか!
 おばさんの彼氏、おじさんの肯定さんにビシッと説いてもらいましょう!


 彼女はしおりの肩に手を回し、自分の方へ寄せる。
 もう、その姿は傍から見れば、友達的な何かだけど。
 それでも、しおりは警戒心が強い、猫科のヒョウだ。

 最初にしおりの縄張りを荒らしたのは彼女だし。
 反射で悪態にとり憑かれたのは僕。
 それから、どことなく昔の自分に似た雰囲気のしおり。
 それらの関係性は、関心を放り投げて、無関心に放っておける他人だと。
 あの時の僕には割り切れなかった。10進法の円周率のように。

 凄く余計なお世話だけど。
 それは、役得だと気づいた。
 なぜなら、僕達はおじさん、おばさんだから。
 老婆心に頼っても許される、そんな気がした。

 僕は彼女だけにわかるサインで、彼女の計画に乗る、と答えた。
 最初の奔放な素足の一歩目。
 そこから、既に彼女の計画の中にあった、と。
 今、この瞬間、僕はやっと気づいた。


肯定
 そうそう、おじさんの昔話も聞いてあげてよ。
 ビシッと説いて決めるからさ。

 実は……僕も雰囲気は合わなかったよ。
 何度も後悔というか、別の学校なら、って思った。
 1年くらいかな。
 
 中学時代の友達が入った学校と比べて。
 僕が入った学校はいろいろ厳し過ぎるって。
 悪態ばかり憑いていたよ。

 だけど……。

 
 少し振り返る。
 その時、目に見えるはずなどないのだが。
 遠い昔、谷を越えた街の東の方にあった学校。
 その思い出達が、見守っている気がした。
 穏やかな表情で、この平日の月曜日、午前の暮れのように。


肯定
 もし、もう一度やり直せても。
 僕はやっぱり同じ学校を選ぶよ。

 だって、帰りたい駅はそこにしかないから。


しおり
 全然、意味わかんない。


 しおりと僕、お互い苦笑いがこぼれたが。
 それは、確かな重さの手応えだった。
 

肯定
 だよね。
 じゃあ、もう少し明るく照らすよ。

 僕達が1年生の時。
 先生方は鬼のように厳しかった。
 昼休みに携帯を使っている生徒を探してまわる。
 その様子は看守のよう。
 怖い表情に強い口調で注意したら、問答無用で没収。

 あっ、僕達の時代はさ。
 高校入学と同時に、携帯を持たせてもらうのが流行だったんだよ。

 だから、つい調子に乗ってね。
 休み時間に中学時代の友達と連絡を取ったりしてさ。

 それで、他の学校はそうじゃないのにって。
 当時の僕は思った。


しおり
 それが決まりじゃ、しょうがないじゃん。
 そこを選んだのが悪い。
 嫌ならやめればいい。


肯定
 しおりさんは大人だね。
 でも、昔も今も、僕は大人とは程遠くてさ。
 大人ってなんだろうかね。
 そんな疑問符が浮かべば、幽かに気づく。

 それは、どっかの詐欺師が説いた。
 嘘という幻だと。

 そう気づけたのは、僕が帰りたい駅に選んだ。
 あの、谷を越えた街の東の方にあった学校のお蔭。
 そこで教わったよ。


しおり
 何を?


肯定
 同じ温度と変わる距離感かな。

 当時、一応子供だった僕達。
 その目には大人に映った、先生方。

 だけどさ、大人に見えた先生方も。
 僕達と同じ温度を持った、一人の人だった、ということ。

 最初は、遠く怖く感じたけど。
 一つ一つ日々が重なるにつれ。

 明らかに、先生方の雰囲気は変わった。
 僕達との間にあった、距離感が近づいた気がした。
 だから、その温度も伝わった気がした。


しおり
 おじさんの勘違いなんじゃない?


肯定
 そうだね。
 いろんな事を教わって、覚えたことが増えて錯じったから。
 見えた錯覚、してしまった勘違いなのかもしれない。

 ただ、僕の勝手で我がままな解釈はこう解く。
 きっと、先生方も僕達生徒に、多少なりとも愛着のような情をかけてくださったんだと思う。
 そして、僕達もどこかで、それなりにその重さを感じていた。

 3年生になった時、1年生の時ほど厳しさがない、その理由。
 それは、そろそろ、自分達で決めなさい、という無言の託けのような気がしたから。


 黙り込む、しおり。
 一方、ガクちゃんは何かに気づき、僕に訊ねた。


テツガクちゃん
 様々な覚えが錯じり、何かの錯覚を見て、勘違いをしてしまう。
 それが、私達ですから仕方がありませんね。

 まるで、この公園のようです。
 第五公園、双子塔公園。
 その呼び名が違うから、どこか他の公園を示している。
 そんな気がしましたが、どちらも同じ宝島です。


肯定
 ガクちゃん、ナイス!
 そうだね、この公園みたい。

 1年生の僕には、他の学校が桃源郷のように見えていた。
 昔の友達に聞いた、様々な違い。
 まるで、それが、別の場所を示している気がした。

 でもさ、やっぱり、学校は学校で。
 どの学校にも、不満と希望はある。

 不満だらけに見える砂浜にも。
 振り返りたくなる、希望は眠っている。
 
 もう、僕の希望は目を覚ましたよ。
 しおりさんの希望は……まだ不満の下かな。


しおり
 あたしはおじさんと違うから。
 合わなくて、慣れないのはクラスの連中だよ。

 だから、下には何もない。


肯定
 たしかに違うね。
 性別も違うし、年齢も違うし、時代も違う。
 きっと、入った学校も違うのだろう。

 だけどさ。
 僕も先生方より、むしろ同級生の方が慣れず苦労したよ。
 合わなかったんだよね。
 何かが悪いとかじゃなくて。
 ただ、合わないだけで。

 それは同じだね。


 しおりはため息をついて、再び黙り込む。
 僕はその沈黙に構わず、続けた。


肯定
 いろいろあったよ。
 それなりに嫌なことも言われたし、嫌な思いもした。

 でも、今じゃ。
 もう、そんなことは、どうでもよくなった。

 それよりも、何度も思い出すシーンがある。
 
 運動神経が控えめな僕は、体育が大嫌いだった。
 特に、よく走らされたから。外でも体育館でも。

 ヘロヘロで走っている僕は、酷い情を面に表していた。
 そこで、誰かが言ったよ。『頑張れ』って。

 たった一言。
 ありきたりな言葉。
 友達でもない、誰かの声。

 それが深く刺さって、今でも忘れない。
 もの凄く嬉しかった。

 ああいう場面に出会うなんて、1年生の時は思わなかったし。
 その場面が過ぎても、しばらくはテキトウに受け止めていた。

 卒業して、何年後かに。
 見えない傷から痛みが伝わるように伝わってきたんだ。
 深い痛みのような嬉しさが。
 
 もしかしたら。
 嬉しさだって、痛みの一つかもしれない。
 そう、思えた、『TOO MUCH PAIN』みたいな嬉しさ。
 

しおり
 そういうもんなの?
 単純だね。


肯定
 シンプル・伊豆・ベスト。
 単純でいいんだよ、きっと。

 ちょっと自慢になるけどさ。
 僕、3年生の時は、学校に殆ど行けなかったんだ。

 ただ、合わない。
 その理不尽さを上手く受け止められなかったから。
 体調を崩して、ずっと休んでいた。

 だから、同級生も僕と過ごした時間はない。
 それでも、同級生は知らないような僕を卒業旅行に誘ってくれた。
 あの旅行は忘れられない、楽しい思い出だよ。

 僕を誘ってくれた、その理由。
 それを訊ねてはいないけど、きっとその形は単純だったと思う。
 
 でも、それって凄く勇気というか。
 気持ちが強くないと踏み出せない一歩だと思う。
 逃げ場がないからさ。


しおり
 逃げ場?


肯定
 ほら、あれこれ理由をつけたら。
 それを言い訳にできるじゃない?

 チケットが余ったから。
 席が空いていたから。
 そういう様々な理由ってさ。
 
 断られても、ついでだったから、と。

 そういう理由もなく。
 ただ、単純にクラスの一員だから。
 そんな雰囲気が余計に嬉しかった。
  
 もちろん、何かの理由があっても乗ったよ。
 誘われるなんて嬉しいからさ。


しおり
 ふーん、おじさんはいいね。
 自慢できる、思い出があって。


肯定
 しおりさんも面白いことを言うね。
 ほら、歌が聴こえない?
 
 ねえ、ガク――。


 視線を映すと、その先には歌いだした彼女。
 今、この瞬間、聴こえた歌の主は彼女だ。


テツガクちゃん
 最終列車はもう行っちまった
 想い出はまだ持ってるのか 
 俺達はまだ何もしてねぇよ

 そうです、私達はまだ何もしていません。
 そうですよね? しおりさん。


 ゴキゲンに『BABY YOU CAN』を歌いながら。
 ウカレタ彼女は馴れ馴れしく、しおりの肩に手を回す。
 もし、その行いに理由があるとしたら。
 きっと、僕を誘ってくれた同級生と同じ、単純な形だろう。

 同じ道を外れた、似た者同士、ならず者同士。
 ただ、それだけのこと。

 しおりの頭の上で、見えない気持ちの糸がこんがらがっている。
 複雑で厄介な情を表しながら、しおりは小さな声で返す。


しおり
 そうだけど……。


 そのしおらしさは、ほんの一瞬で。
 何かを決めたかのように、訊ねた。


しおり
 じゃあ、学校に通う理由。
 それを教え説いてよ。

 おじさんならビシッと決められるんでしょ?


 そう訴える、しおりの瞳。
 そこには、大も子もなく。
 ただ、一人の人として、訴えていた。

 それまでの、大人っぽいしおり。
 もう、その影は見えなかった。

 詐欺師の僕は、それに答えた。


肯定
 簡単だよ。

 学校。
 それは、学ぶことを校(かんが)える場所。
 それができたのなら。もう、それだけで十分。
 
 だから、通わないといけない。
 絶対的な理由、そんなものはない。

 そう思うよ。


しおり
 それだけ?


肯定
 逆に何が必要だと思う?
 数字や歴かな?

 それらは、第一印象を決めるには便利だよ。
 だけど、いくらそれらを積み重ねても。
 歪んでいる、その理由は説けない。

 しおりさんは、円周率がどうして割り切れないのか。
 その理由、説ける?


しおり
 説けない。

 
肯定
 素直な答えでステキだね。
 その素直さ、失くさないでね。

 
 僕はガクちゃんにしかわからない合図を送る。
 それに気づいた彼女は、『大丈夫です』と見えない合図を返す。
 

肯定
 僕の彼女のガクちゃんはさ。
 学校に通ったことがない。

 だけど、ガクちゃんなら。
 円周率が割り切れない、その理由を答えてくれる。

 そうだよね? ガクちゃん。
 いつもの面白い解釈。
 それを今、ここに明かしてよ。


テツガクちゃん
 わかりました!

 それは、球体には果てがないからです!
 面を複数持つ、多面体にはAからBへ変わる果てがあります。

 ですが、面を一つしか持たない球体。
 そこには、次の面へ変わる限界、そんな果てがありません。

 ですから、円の秘密を解き明かす。
 円周率にも果てがなく、割り切れないんだと思います!


 そう得意気に語る彼女。
 一方、しおりはどこか胡散臭さを感じていた。


しおり
 それ、本当?


肯定
 本当かどうか。
 それは、あまり重要ではないのさ。
 
 僕らが西洋だと思っている場所も。
 視点が変われば、東洋に変わる。
 場所は変わらないのに、その呼び名が変わる。
 この公園みたいに。

 本当だって、視点が変われば偽りに変わる。
 そんな曖昧な時間と空間、その時空の中で。
 自分が考えた解釈を答えること。
 それが大切だと思うよ。

 そして、そのために必要なもの。
 それは、誰もが最初から持っている。


しおり
 そんなものあるの?


肯定
 あるじゃない。
 今、しおりさんが僕に返した、その心だよ。

 僕達が何かを学べるのは、学校へ通ったお蔭ではない。
 それは、誰もが『Mr.ジョーンズ』だったから。

 何もわからないから。
 わからないことを理解しようとする。
 それでも、やっぱり何もわからない。
 だけど、そんなことがわかる。

 目の前にいる、知らない誰か。
 その人のことをわかろうとする、その気持ちさえあれば。
 いつだって、誰だって。
 何かを知ろうとする、素人な『Mr.ジョーンズ』。

 ねえ、ガクちゃん?


テツガクちゃん
 そうですね、肯定さん。

 全知全能で玄人なMr.Gでは。
 ほんの少し、物足りない気がします。
 
 何もわからないから。
 必死になれて。
 何もわからないから。
 感じるものもある。
 
 全知全能では、わからないこともある。

 それさえ、わかっていれば。
 もう、それだけで十分ですね。


 考え込む、しおり。
 きっと、今のしおりにはわからない。
 だけど、それでいいと思う。

 とはいえ、ほんの少しだけ。
 僕は、その続きを明かす。


肯定
 学校って漢字は、学びを校える、と書く。
 きっとそれは、本当のことだと僕は思う。

 他人の学び方、他人の考え方、他人のやり方。
 それらが、一度に覗ける場所。
 それは、その先ではあまりない。

 秘密結社、『syakai』の中。
 そこでは、殆どが同じやり方をするから。

 自分とは違う方法を覗く。
 それを受け止めて、認められるか、どうか。
 それは、随分後でもいい。

 同級生や先生方、親御さんに知らない人。
 様々な違いを見て。
 自分なりに校えて、自分なりの学び方がわかればそれでいい。
 他には何も。

 って、どうだろか?
 ビシッと決まったかな?
 しおりさんが納得できる、そんな温度を感じた?


 しおりは途中まで、思案ブルーで青空を描いていたが。
 最後の問いかけに、橙色(とうしょく)で即答した。


しおり
 それを聞くのは、ズルいしダサいし寒い。
 おじさんなんだから、もっと余裕を持ちなよ。


 そう返す、しおりには十分過ぎるほどの確かな余裕があった。
 ほんの少し前までは、余裕などない飢えたヒョウだったが。
 今では、お腹を見せて寝れる、そんな余裕がある。

 そんな余裕の中、彼女が提案した。


テツガクちゃん
 そろそろ、真昼の正午です。
 この午前の暮れにもう一つ。

 私のお友達のしおりさんに、肯定さんの秘密を明かしていただけませんか?
 あの『帰るための切符』の話です。 


肯定
 あれか……ちょっと長くなるけどさ。
 まあ、僕達としおりさんの仲だから。
 それも許されるよね?


 しおりは頷きもせず、ただ微笑んでいる。
 そこには、二つの可能性があった。
 そして、僕が選んだ可能性は……。


肯定
 学校の行事で、遠い街まで出かけたんだよ。
 『syakai』で迷子にならないように、電車の乗り方を学ぶ目的でね。

 最後の集合場所で、同級生が先生に訊ねたよ。
 
 先生、(帰りの切符は)何を買えばいいんですか?

 その問いに、頼りなる先生は答えた。

 帰るための切符だよ。

 普段はどんなことにでも答えてくれる。
 頼りなる先生の答え。
 
 そのあまりにも真っ直ぐ過ぎた答え。
 それは、暑さに疲れていた僕の疲労を消し去り。
 代わりに、僕に笑いを届けた。

 何がおかしかったのか、よくわらかないけど。
 疲れに憑かれきった身体に、その答えは染み渡った。

 そして、今では。
 その切符が僕の手の中にある。
 帰りたい、あの駅に帰れる、帰るための切符。 

 しおりさんもさ。
 そういう切符を手にする日がくるよ。
 どこが帰りたい駅なのか。
 それは、僕とは違うのだろうけど。

 遠く過ぎ去った、帰りたい駅。
 いつだって、どんな場所にいても。
 一瞬で、連れて行ってくれる、本日の最終列車。
 それに乗れる、帰るための切符。

 きっと、月へだって、帰れるさ。
 どんなワガママも許してくれる。
 余裕に溢れた、今、この瞬間なら。


 そういい残して。
 僕は快晴の月曜日、午前の暮れの最終便に乗り込んだ。
 彼女はしおりと少し話をしてから、僕を追うように乗り込む。

 僕達、二人はそのまま、帰りたい駅に向かって進んでいく。
 未来へ前進しながら、過去から後進する、そんな覚えが錯じった現在。
 その時間は、10分から15分ほどだけど、行きよりも永く感じた、錯覚。

 その途中、ガクちゃんはしおりとした約束を明かしてくれた。


テツガクちゃん
 私、しおりさんと約束したんです。
 もし、帰りたい駅がわからなくなったら。
 私達を呼んでくださいって、秘密のアドレスを託して。

 それから、また次の機会にお会いしましょう、と。


 そう嬉しそうに答える彼女。
 僕は彼女の様子を見て、なるほど、と思った。
 
 水遊び場に辿り着いた時。
 イマドキなしおりが気になったから声をかけた。
 そう思っていたが。
 
 きっと、彼女の計画はそれよりも前。
 僕と公園に向かう途中、そこでの会話の中にあったのだろう。

 学校へ通っていない彼女にとって。
 何てことない学生生活は物語そのもの。
 例え、『流行の誰かの憂鬱』がなくても。
 彼女にとってそれは、竹取物語よりも覗いてみたい情。
 それが描かれた深い深い縁、深縁だ。

 もし、そんな深縁があれば、迷わず飛び込む。
 そう決めていたから、今日の彼女はどこかメルヘンチックだったのだろう。

 普段どおり、積極的な彼女。
 だけど、どこかか弱いお姫様のような彼女。
 やっぱり、彼女はWAGAMAMA・バディー。いろんな意味で。


 それから、一ヶ月ほど。
 彼女は毎週、月曜日の午前にあの公園に通った。
 道を外れた、しおりを探して。

 しかし、もう戻っては来なかった。
 それを確認した彼女は、あの帰り道よりも嬉しそうに笑いながら、瞳の窓から空を眺めていた。
 しおりが描いた、思案ブルーのような青空と橙色が混じった、メロン色の若い空を。

 
テツガクちゃん
 きっと、しおりさんは『紙飛行機』のように。
 メロン色の若い空を突き抜けて、帰りたい駅へ帰ったのでしょうね。

 
肯定
 そうだろうね。
 かぐや姫みたいだったからね。
 ワガママで辛口で。

 だけど、あの生意気さ。
 できることなら、いつまでも持っていて欲しい。
 

テツガクちゃん
 そうですね。
 生意気……生な粋、生粋の粋。
 活きがないと心配になります。

 活き活きと、粋な感じで。
 生粋の生意気さがないと。

 台無しも帳消しにできません。
 いなせな、ましっぐら。
 『ナンバーワン野郎!』です!


 そう上機嫌に答えた後、彼女は何かを思い出したかのように訊ねた。


テツガクちゃん
 ところで、肯定さん。
 しおりさんにこう答えましたよね?

 学校に通わないといけない、絶対的な理由。
 そんなものはない、と。


肯定
 そう答えたね。


テツガクちゃん
 ということは……。
 肯定さんは、学校には通わない方がいい、と思っているのですか?


 僕をまじまじと覗きこむ。
 そんな彼女が探しているのは、僕の本心が表した本音だろう。
 そう察した僕はそれを明かす。


肯定
 あまり矛盾って好きじゃないけどさ。
 こればかりは、そんな曖昧な形の方がいい、というか。
 それが、許される気がする。

 つまり……。
 通わないといけない、絶対的な理由。
 そんなものは、やっぱりないけど。

 通いたい、と思うのなら通った方がいい。
 そう、今の僕は思うよ。


テツガクちゃん
 通いたい、と思うのなら……ですか?


肯定
 そう、通いたい、行ってみたい、やってみたい。
 為したいな、と思ったら為した方がいい。
 何かを成そうとはしなくていい。

 学校に行けば、人生が変わる。
 そう、どっかの詐欺師は言うけど。
 それは、学でお金を稼いでいるから言うだけで。

 人の生き方を変えられるのは人だけ。
 自分の生き方を変えるのは自分だけ。
 学でもお金でもない。
 
 だから、学校は未完成でいいのさ。
 未完成だから、その続きを自分で考えられる。

 東郷平八郎や山本五十六の何が凄かったのか。
 そんなことは教えなくていい。
 あとで自分で考えるから。

 学校の真価。
 それは、どんな人生を送るかではなくて。
 学校の外で、どんなことを自分で考えて学べるか。
 そこにある、と僕は思うよ。


 淡々と語る僕を見張っていた彼女は、どこか満足そうに返した。


テツガクちゃん
 学校ってステキですね。


肯定
 通いたくなった?


テツガクちゃん
 いえ、私はテキトウですから。
 このまま、そのまま、ワガママな今がいいです。

 それに……。
 『テツガク』は誰かに教わるものでは、ないじゃないですか?


肯定
 そうだね。
 ガクちゃんがいう『テツガク』が、どの『テツガク』なのか。
 それは、わからないけど。
 
 自分で考えるのがいい。
 そんな気持ちは、わかる気がする。
 ガクちゃんは?


テツガクちゃん
 もちろん、私もです!
 ほら、見てください!
 とんびも八の字を描きながら、メロン色の若い空を飛んでいます。
 きっと、私達と同じ気持ちですよね。


肯定
 同じだろうね、特別意味もなく。
 ただ、単純にそうしたいからそうする。


 しばらく二人で、空を飛ぶとんびを眺めていた。
 その飛び方を見て、僕は思い出したことを彼女に打ち明ける。
 それは、健全なお願いだった。


肯定
 そうだ、ガクちゃんさ。
 今度、チャーハンみたいな踊りを踊ってくれない?


テツガクちゃん
 チャーハンみたいな踊りですか?
 あっ、パラパラですか?

 ですが……私、躍ったことありませんよ?


肯定
 いいの、いいの。
 ガクちゃんに踊って欲しいんだよ。


テツガクちゃん
 ああ、そんなに求められたら……。
 困ってしまいます、私。

 …………。
 ……なんて、わかりました!
 私にできる限り、精一杯で踊ってみます!


肯定
 ホント?
 嬉しいよ、ありがとう。

 じゃあ、これ。


 僕は彼女に衣装一式を渡す。
 

テツガクちゃん
 なんですか、この衣装?
 コスプレ、というやつですか。


肯定
 そうだね。流行の女子高生、JKになれる一式だよ。
 少しは、学生気分を味わえるかもしれないよ。


テツガクちゃん
 本当ですか!?
 嬉しいです!!
 
 ですが……いいんでしょうか?
 おばさんの私が着ても。


肯定
 制服はね、10代には早過ぎるんだよ。
 スーツだってそうでしょう?
 20代じゃスーツに着られている。

 服を着こなすには、それなりの年を重ねないとね。
 それに、ガクちゃんは重ね過ぎて。
 いろいろ歪んで、ワガママになり過ぎたから……。
 ワガママさだけなら、かぐや姫にも負けないよ。

 干支も一周すれば、若くなるように。
 年も何周もすれば、関係なくなってしまうよ。


 そう答えた後、僕は制服姿の彼女を想像した。
 その姿は、10代という数字だけでは太刀打ちできない。どうにもならないほどの距離にあった。
 服を着こなし、制服も似合う彼女の姿。
 もう、それは、反則の外のことで、論外ホームラン。
 セーラー服ではなく、僕達の時代にあった、奔放に着こなすブレザー姿が眩しかった。

 その眩しい光の中、幼い彼女の残像が一瞬見えた。
 その姿は、まるで塔に住む妖精のよう。
 もし、今、あの答えを出すのなら。
 塔に住む妖精は彼女で、彼女だったから登れた、と答える。
 それは、とても単純な理由。
 本当に、彼女ならやりかねない。

 満足する僕、その隣には別の答えを見つけた彼女。
 今度は彼女が、その答えを明かす。 


テツガクちゃん
 そういうものですか……。

 わかりました。
 今度は、私がビシッと肯定さんのご希望に応えてみせます。


 そんな約束をした、今、この瞬間。
 それも日々を重ねていけば、振り返りたくなる青い春に変わる。
 きっと、青春と呼ばれるものは、10代という数字にあるのではなく。
 いつか、振り返りたくなる。
 そんな心の在り処、帰りたい駅にあるのだろう。

 そこから、また一歩踏み出した僕。
 きっと、隣には相方のガクちゃんがいて。
 このまま、そのまま、歩き続ける。
 途中で僕達の憧れのスター、歌う不死蝶さんと冒険をするのかもしれない。

 一つ一つ増えていく、過ぎ去った駅。
 僕達は、それをあまり振り返らないのかもしれないけど。
 それでも、その駅のことは忘れていない。

 まだ何もしていない、僕達は為し続ける。

 いつか、振り返る季節が訪れる、その時まで。
 遠い昔に漂う記憶の中で、待っていて欲しい。
 何も成さず、ただ為し続ける僕達を見守りながら。
 そのまま、変わらず、永遠に。

 僕に学校とは学び校える場所だと。
 気づかせてくれた、谷を越えた街の東の方にあった、我が愛しの母校。

 数字や重ねた歴。
 それらは今の僕にとって、何の役にも立たないけど。
 そこで過ごさせて頂いた、3年間の記憶。
 それは、大き過ぎる財産です。

 入学当初の僕には、見えなくて、わからなかったけど。
 卒業が間近に迫った僕には、幽かに見えていた希望。

 台無しにしかけた1年だったけど。
 家族や先生方、同級生が守ってくれた1年。
 そこに、やり残したことなどなく。
 代わりに、忘れられない希望だけが今もあり。

 学校に通う理由。
 そこに絶対的な理由などない。

 だけど、ただ単純な理由。
 行ってみたいと思うのなら。
 その本音を尊重し、従ってみた方がいい気がします。

 数字や重ねた歴。
 それらは、学校の外ではまるで通用せず。
 忘れ消えていくものですが。

 それでも、消えずに残っている何かもあります。
 それが、人それぞれ違う、何かの答えかもしれません。

 あなたの隣にある、それは何でしょうか?
 気づいた、その何か。
 それを、自分が学び校えた解釈で、誰かに説けますか?
 何かが伝わるような温度で。

 もし、それを忘れそうになったら。
 帰るための切符を思い出してください。
 本日の最終列車が、あなたを帰りたい駅へ連れて行ってくれるはずですから。

 
 それでは、また次の機会にお会いしましょう。


 敬具、親愛なる友人へ、助手の肯定より


200903挿絵s25



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