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[2018年10月24日水曜日]極端という人ほど極端

 人のことを極端という人ほど、極端な人はいません。
 なぜなら、人のことを極端かそうでないか、この二つでしか理解できないのですから。
 七色を超える感覚で他人を認めることができれば、虹よりも楽しいことが待っていそうですよね。

テツガクちゃん
 気づいてしまいました! 私!
 人のことを極端という人が極端なんですよ!


肯定
 えっ、そうなの!?
 
 なんかその言い回し、遠い昔に聞いたような……。

テツガクちゃん
 だって、人のことを極端か、そうでないか。
 この二つでしか理解できないなんて、極端ではないですか?
  

肯定
 たしかに。
 そうカテゴライズ(分類)する人の方が、極端なのかもしれない。


テツガクちゃん 
 そうです。
 イエスかノーにカテゴライズしないと理解できない方が極端なんです。

 別に、その二つにカテゴライズする必要はないじゃないですか。
 それが、『その人』なんだな、と受け止めることができれば、それで困りませんよね。


肯定
 そうだね。
 他人を認めることができれば、何も困らないかも。
 それが、ほんの少し難しいんだけどね……。


テツガクちゃん
 たしかに、他人を認めることは少し難しいことです。
 それより、イエスかノーにカテゴライズする方が簡単ですが……。

 そうやって、カテゴライズした瞬間、自分自身がそれを創ってしまいます。

 本当は悪など存在しない。
 『悪』と判断するあなたの心がそれを創る、と言いますよね?
 きっと、これは何事にも言えると思います。


肯定
 あっ、思い出した!
 それ、子供の頃によく言った。
 「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!」
 というやつだ!


テツガクちゃん
 そうですよ!
 他人を馬鹿だと判断することが、そもそも馬鹿げています。
 それを決めた人の中に、馬鹿は存在しています。
 そう言ってしまった私も馬鹿げていますが……。
 
 でも、自分のお馬鹿さに気づけるのも楽しいですよ!


肯定
 テツガクちゃんは何でも楽しめるから素敵だよね!
 そういうところが凄く好きだよ。

 でも、子供って意外と真理をついたことを考えるよね!
 時と共に真理を見抜く目を、過去に置いてきてしまったのかな……。


テツガクちゃん
 安心してください。肯定さんも同じですから。
 今、子供が真理をつくと思えた瞬間。
 それは肯定さんの中にもあるんです。
 真理を知っているから、子供が真理をつくことに気づけるんですよ。


肯定
 そうなの!?
 と、僕に教えてくれたガクちゃんも同じだね!

 人に抱く印象は、その見方によって『存在と同時に存在しない』のかもしれません。
 極端だと言われた人の中に『極端さ』など存在せず、むしろそう指摘した人の中に『極端さ』が存在する。
 
 だから、他人から何かを言われても、そこまで凹まなくてもいいのではないでしょうか?
 それが少し難しいんですけどね……。
 
 でも、あなたに酷いことを言う人の方が、基本的に酷いという事実は変わりませんから、ご安心を。

 時々、気が狂いそうなくらい、優しい言葉が欲しい時がありますよね。
 だから、気が狂いそうなくらい、優しい言葉をかけられる人になりたいですよね。
 きっと、そこには優しさがあるような気がします。 
 偽善的な優しさでも構いません。
 だって、曖昧でどんなことも許せるような優しさなら、それが悪と呼ばれても気にしないでしょう。

 時々、そんな優しさが自分の中に欲しくなったり。


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『カテゴライズ症候群(分類病)』
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