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[2020年4月1日水曜日]最強投手への挑戦


 拝啓、親愛なる友人へ。


 野球のシーズンが開幕して。
 予想外の展開に驚かされる日々が始まりました。
 昨年の優勝チームが連敗トンネルに迷い込んだり、意外な選手が大活躍したり。
 そんな意外性を秘めた選手が僕の身近にもいます。

 実は、相方のガクちゃんは野球が上手く。
 昔は地元のチーム『シラコバト』の試合に、助っ人で出たことがあるくらいです。

 守備が上手く、捕手以外なら難なくこなせるほど守備範囲が広いです。
 そして、どこでも職人の技に近い守備を誇ります。
 だけど、助っ人に呼ばれる理由は、守備ではなく打撃です。

 気分で打席を変える両打ちで。
 ボールを上手く捉え、三振は滅多にしません。
 ほんの少しぎこちないスイングから、高く頼りない打球を天にあげる。
 それは、本来なら簡単なフライになる軌道ですが。
 その軌道は、歪み、よじれ、捻じれ、急旋回して、揺れて、乱れます。

 そして、気づいた時にはスタンドに着陸する。
 そんな軌道の風にのって、曖昧なホームランの旅を見せる打撃。
 それが相方の一番の魅力です。

 最近、久しぶりにガクちゃんに助っ人の依頼が来ました。
 馴染みのある、チーム『シラコバト』からの依頼で、隣街のエースを攻略して欲しい、という依頼でした。

 そのエースは、ただの投手ではなく。
 あらゆる歴代の投手の球種を巧みに操る、最強右腕らしいです。
 どうしても、そのエースのミステリーが解けず。
 何とか解決策を見つけて欲しい、と。

 いつもの依頼とは、ほんの少し違う内容ですが、話を聞いた彼女は。


テツガクちゃん
 わかりました。是非、挑戦させてください!
 チーム『ユリカモメ』、最強投手のミステリーに。


 と、ノリノリで依頼を受け。
 隣街のチーム『ユリカモメ』との試合当日を迎えました。

 街にある小さな球場では、ガクちゃんはちょっとした有名人で。
 「あの試合のあの一打が凄かった」と「今日の試合もよろしくね」といった、昔の思い出を振り返る気持ちと今日の試合への期待への気持ち。
 その二つが混ざった期待の果実を受け取った彼女は、昼時のベンチからグランドを眺めていた。
 幽かに漂う、本物の果実の香り。
 それを探すと、彼女の手には既にかじられたリンゴがあった。

 呑気にリンゴを食べながら、相手チームの練習を見る彼女だったが、最強投手がキャッチボールを始めると口を休めた。
 いつも通りミステリーを解くように観察しながら、何かを探していた。


監督のタナカ
 サワムラはいい投手でしょ?
 球は速いし、変化球も多彩でね。
 クレメンスのスプリット、ハラデイのシンカー、リベラのカッターもある。
 海外の投手のスタイルだけじゃない。
 フジカワ、スギシタ、イナオ、ヒラマツ、イマナカ、シオザキ……。
 最近じゃ、コミヤマの魔球も習得したらしい。
 もう、何に絞ったらいいのか、わからなくてね。
 難攻不落のエースだよ。


 サワムラ選手について語るのは、今回の依頼人、チーム『シラコバト』の監督のタナカさん。
 たしかに、そう言われると、とても打てそうにない投手だった。
 まさに難攻不落、最強投手と言ってもいい選手だ。


テツガクちゃん
 そんなに球種やスタイルがあるのですか!?
 たしかに、それは凄いですね。
 今日は苦戦しそうです。ランディ以来かもしれません。
 

 そう答える彼女。
 サワムラの凄さに怖気づき、少しでも不安げな彼女に出会えるかと思い、彼女の方を向いてみた。
 しばらくの沈黙の後、残っていたリンゴを食べきり。
 その芯を僕に見せる。


テツガクちゃん
 どんな投手のどんな球種でも、ボールを自分の芯で捉えた人が多いチームが勝つ。
 野球はそんな『原点にして頂点』のスポーツです。
 このリンゴの芯のように、ボールの原点を捉えたらホームランです。
 その数が多ければ頂点の勝者です。
 だから、点取りゲーム、と呼ぶのかもしれませんね。


肯定
 なるほどね、それで点取りゲームか。
 ところで、何かミステリー解決の鍵は見つかった? 

 
テツガクちゃん
 それはわかりません。
 ですが、今はミステリー解決という、どうでもいいことより。
 この勝負に夢中になりたいんです。
 ですから、もう少しだけ。
 ミステリー解決の鍵には、トタン屋根の上で休んでいてもらいましょう。


 そういい、ゴミ箱の中にリンゴの芯を置くと、ミステリーという試合が始まった。
 ガクちゃんは打順二番一塁手で試合に挑む。
 4回までお互い得点なしで、彼女は2打数2安打。
 全て単打だが、全く打てないわけではなかった。

 とはいえ、チームのヒット数は3本。
 他のチームメイトが打てない状況は変わらず。
 また、サワムラはコントロールもいい投手で四球は期待できそうになかった。

 一方、チーム『ユリカモメ』も大味な攻撃で、ヒットが出ても残塁祭りが開かれ、試合は動かざること山の如しだった。
 そんな山に、火がついたのは6回の表だった。
 甘く入ったボールを、力強くスタンドまで飛ばされ一点を失う。

 このソロホームランが刻んだ、その一点はチーム『シラコバト』にはとても重い、重力の刻印だった。
 そんな重たい雰囲気の中、裏の攻撃。
 この回は、ガクちゃんに打席が回ってくる。
 そこで、どうしても何か言いたかった。
 ろくな言葉は浮かばないし、いい打開策があるわけでもなかった。
 だけど、気が狂いそうな、この気持ち。
 それを言わずにはいられなかった。


肯定
 きっと、ガクちゃんなら打てるよ。
 クレメンスでもヤングでも何でもね。
 野球はボールの原点を相手より多く捉えたチームが勝つんでしょ?
 ガクちゃんならつかめるよ。
 ボールの原点も、この試合の頂点も。
 だから……頑張って。
 もう既に頑張っているけど、あの曖昧なホームランをここで一つ。


 その言葉を聞いた彼女は、いつもの何かに気づいた時のように嬉しそうな表情で返す。


テツガクちゃん
 肯定さんがそう言うのなら、一つ狙ってみましょうか!
 もし、ホームランが打てたら、今晩はステーキでいいですか?
 もちろん、肯定さんのご馳走で。
 では、そんなステキなステーキが食べられそうな、ステーキな一本を打ちに行きますかー!

 
 左側の打席に向かう彼女。
 しかし、彼女が向かったのは打席ではなく、静かな迷宮の林だった。
 サワムラの球を捉えきれず、追い込まれる彼女。
 そして、三球目。空振りの三振。あのガクちゃんが三振。
 僕も驚いたが、彼女を知るタナカさんも驚いた。
 だけど、彼が驚いたのは、三振の事実よりもサワムラが投げた球種にあった。


監督のタナカ
 あれは……ランディの高速スライダーじゃないか!

 
 それを聞いて僕も驚く。
 まさかランディのスタイルまで再現できるなんて……。
 彼はガクちゃんが最も苦戦した投手の一人。
 右投げで、左打者の膝もとに投げる、彼の高速スライダーは消える魔球だ。

 左打席に立つ打者にとって、彼の高速スライダーは、途中までストレートのように見え、打者がボールを捉えにいく頃から鋭く変化する。
 打者は動作の中にいるため、自分の方へ近づきながら沈むボールに気づけず、まるで消えたように錯覚する。
 そんな魔球という幻影を操るのがランディだった。

 きっと、この情報は、相手のベンチも知っていたに違いない。
 ガクちゃんとランディの対戦は、この街ではそれなりに有名で。
 記憶に残る『メイ勝負』と呼んでくれる人も多かった。
 
 そのことを、すっかり忘れていたのは盲点だった。
 というよりも、サワムラがランディと同じ高速スライダーを投げるとは……。
 間違いなく、彼は最強投手だ。

 珍しく肩を落としてベンチに戻る彼女。
 落胆した彼女の表情を見たのは随分久しぶりだ。
 たしか、あれは――。


テツガクちゃん
 監督さん、肯定さん、すみません……。
 かっこいいことを言いましたが、このような結果で……。
 ですが! まだチャンスはあります!
 肯定さん、ステーキの話はまだ白紙にしないで下さい!


 そうそう、ステーキを賭けた遊びに負けた時以来だった。
 

肯定
 そうだよ、まだチャンスはあるよ。
 このままだと9回の裏にも打席がくるよ。
 次は右打席で勝負してみたら?
 ガクちゃんなら、外に逃げるスライダーも内側のスライダーも捌けるでしょ?


 少し考え込む彼女。
 そして、遠慮の欠片を握り締めながら答える。


テツガクちゃん
 たしかに、右打席に立てば打てると思います。
 そして、サワムラ選手がただのランディの影だったら。
 きっと、そうすると思います。
 ですが、今マウンドにいる彼は、ランディそのものなんです。
 左打席からは消えて見える、あの高速スライダーと私はもう一度勝負がしたいんです!


 そう訴える彼女を止められる人なんて、このベンチには誰もいなかった。
 彼女以外、最強投手に挑戦しようとする戦士はいないのだから。


監督のタナカ
 そうだな、次も頼むよ。
 左打席で。
 

 監督も勝負を認め、最後のチャンスに賭ける。
 限りなく日暮れに近づいた9回、表を無事に抑え、一点差の勝負。
 その裏、疲れが見えてきたサワムラは先頭打者に四球。
 4度目の打席で初めてランナーを置いて迎える、勝負の時だ。


テツガクちゃん
 肯定さん、さっきの言葉、もう一度言っていただけますか?
  
 
 お願いされなくても言うつもりだったが、お願いされた以上はハッキリと言える。


肯定
 きっと、ガクちゃんなら打てるよ。
 ランディとの最後の勝負を思い出して。
 あの時の風が、今吹いているよ。
 だから、もう一度、はっきりとしたホームランをここで一つ。
 頑張って、ガクちゃん。


テツガクちゃん
 そうですね!
 あの風にのりましょう!

  
 そういい、最後のチャンスに向かう彼女はマッジクアワーの中へ。
 幽かだけど、確かな風が後を追うように吹いていた。

 サワムラとの対決は、3打席目のように簡単に追い込まれる。
 3球目、あの高速スライダーが来る。
 迷わず振りにいく彼女。
 視界から消えて行く、その限界でボールに触れる。
 打球は規則内に飛ばず、規則の外へ消えるファール。
 それは、サワムラのスライダーに似ている。
 ストライクからボールへ消えて行く軌道。

 次の球も、その次の球もファール。
 変わらないファールの中で、徐々にタイミングが合っていく。
 あと2~3球で、打球がスタンドへ飛んでいきそうな風が吹いている。
 
 サワムラもそのことに気づく。
 疲れと迷いと不安が混ざり合った複雑な表情。
 それが雲から顔を出した太陽ように、晴れやかな表情に変わった。
 彼はこのミステリーの解決策の鍵を見つけたようだ。

 マッジクアワーの中、彼の手から運命の一球が放たれた――。


 日も落ち、魔法も解けた夜。
 僕達は行きつけのお店で夕食の時を刻んでいた。
   

テツガクちゃん
 いやー、今日のステーキは最高ですね!


肯定
 それより、あの打球だよ。
 あの時よりもはっきりとした軌道。
 逆風を切り裂きながらスタンドへ運ぶなんて、凄かったよ!
 また、記憶に残る伝説を作っちゃったね。 

 今日の試合、最後にサワムラが投げた高速スライダー。
 それは、マッジクアワーの中に吸い込まれ、スタンドへと着陸した。
 どうして打てたのか、それを彼女に訊ねてみた。
 

テツガクちゃん
 肯定さんは気づきましたか?
 最後の一球を投げる前に、彼が何を思ったのか。

 きっと、彼はこの一球でダメなら、次は違う球種を投げよう。そう思ったはずです。
 そうですね……例えば、最近覚えたという、コミヤマさんの魔球シェイクとかですかね。


肯定
 もちろん、僕も気づいていたよ。
 ガクちゃんも同じだったんだね。


テツガクちゃん
 もちろんです。
 そして、あの余裕がミステリーの鍵でした。

 あの余裕はランディにはなかったんです。
 ランディには高速スライダーしかありませんでした。

 いい時も悪い時も同じボール。
 そんなランディの渾身のボールと、余裕のある彼のボールは、似ているようでほんの少しだけ違います。


肯定
 なるほど、その違いがあの場面で見えたんだね。
 渾身と余裕、その違いが。


テツガクちゃん
 はっきりと、確かに見えました。
 余裕は隙を生みます。
 ですから、最後のボールは、あの日一番の甘いボールでした。
 それならば、私にだって打てますよ。


 そういい、ステーキを美味しそうに頬張る彼女。
 きっと、打てなくてもステーキを食べていたことには変わりはない。
 だけど、最強投手に挑戦して、見事に原点と頂点を取って過ごす、2対1のスコアとこの時間は特別な記憶。
 
 今日、彼女が見つけた、『余裕』というミステリーの鍵。
 それは、チーム『シラコバト』にも伝えられ、これから最強投手に挑戦する選手がきっと表れる。

 自分達が最強という名声に脅え、迷い、不安になるように。
 最強と呼ばれる者も、その名声に惑わされ、迷い、不安になり、余裕の誘惑に負ける。

 最強投手というミステリーを解く鍵。
 それは意外にも、その重過ぎる『最強』という名声が、余裕という深淵に引きずり込んでしまうこと。
 それがわかれば、最強というミステリーは意外にも脆いものなのかもしれない。

 
 その後、僕達の住む街、谷を越えたのチーム『シラコバト』と、隣街の春の日部(かべ)のチーム『ユリカモメ』の試合は、好ゲームが続き盛り上がっています。
 余裕に気づいたサワムラ選手の投球は、以前より磨きがかかり。
 一方で、最強という蜃気楼に気づいたチーム『シラコバト』の選手達も自分の打撃に磨きをかけています。

 きっと、これからもお互い成長していくと思います。
 もし、あなたも遊びに来た時は、この伝統の一戦を是非見に来てください。


 それでは、また次の機会にお会いしましょう。


 敬具、親愛なる友人へ、助手の肯定より



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