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一心同体

依存症は“否認の病“と言われる。
“自分で自分を制御できなくなっている“という“脳の病“であることを、本人が認められなかったり、気付けなかったりするのだ。
それがゆえに、なかなか回復の機会を得られず、どんどん自らを追い込んでいく。
そして本人のみならず、周りの人もつぎつぎと振り回されていく。




いいや、違う。
否認しているのは“病気“のことではないように思う。
あなたが気付けていないこと。そして、認められていないこと。
それは『あなたは誰よりも頑張りすぎている』ということ

誰よりも一生懸命に、家でも外でも、役割を果たそうとしてくれている。
それなのに自分にはストレスや疲れは無いと思い、まだ動き続けている。


あなたが周りに文句を言ったところを見たことがない。
あなたが周りに弱音を吐いたところを見たことがない。
あなたが周りに怒っている姿を見たことがない。

この世には完璧な人なんていないという事を、あなたも知っているでしょう?
それなのにあなたはわたしの前で完璧すぎるのです。
気づいて欲しい。完璧になろうと懸命になっていることを。

わたしは心配なんです。不安でしょうがないんです。
あなたが壊れるまでに走り続けるのではないかと。


二人が望まない状況が起こり、わたしが泣くと、あなたはいつも謝ります。
もうしないからね。許してくれとは言わないよ。ごめんね。と。



いいや、違う。
あなたが謝らなくてはいけない相手はわたしではなくあなた自身。
身体の声を感じてごらん。
心も体も完璧を求められて悲鳴をあげていると思うんだ。

もし感じられなかったら、お金や時間という数字で見てごらん。
あなたがそれに費やした時間、金額、それがあなたの心の悲鳴だと思う。
その数字は、あなたの真面目さ、賢さ、責任感の強さ。
それと同時に、その数字があなたの心と体の疲れ。


そうだ。
もしかしたら、否認しているのは完璧すぎる自分ではなく“この世に完璧な人はいない“という事なのかもしれないね。
もしかしたら“完璧な人じゃないと受け入れてもらえない“という考えかもしれないね。
もしかしたら、もしかしたら…
お互いに、何かもっと他のことを認められずにいるのかもしれないね。

ここまで考えているわたしを見て、ひとは『共依存』と呼ぶ言うかもしれない。
あなたのことを考えるのをやめて、わたしは自分のことを考えるべきだと言われる。
でもわたしは、そう言われるのを知っていてもあなたのことを考えます。
なぜなら私たちは夫婦だから。一心同体だと感じているから。




わたしの涙は、あなたの涙。
あなたが感じ取れずにいる体や心の疲れ。
そして、あなたもわたしも不完全な人間である証がこの涙です。
あなたが気づかずに溜めていた涙も、わたしが一緒に流します。

わたしはあなたの鏡です。
どちらかが倒れるまでは決して消えない。
わたしを見て。そして気づいて。あなた自身の姿に。
わたしの姿は元気ですか。喜んでいますか。それとも疲れていますか。

わたしはあなたと一心同体。
どちらかが諦めるまでがむしゃらに走り続ける。
まだまだ走っていたいですか。それとも少し休みたいですか。

少しだけ後ろを振り向けば、そこには私たちが一緒に走ってきた道があるでしょう。
この道をこのまま走って進もうか。それとも新しい道を歩こうか。



わたしのこの涙を止めたいと思うなら、あなたが涙を流し拭ってください。
そして自分自身に声をかけてあげてください。
ごめんね。走りすぎたね。頑張って偉かったよ。ありがとう。と。
そうすれば、わたしもきっと笑顔が戻るでしょう。




知っていてね。
あなたは今日も一日とっても頑張ってくれた。
あなたが完璧じゃなくても、わたしはあなたが大好き。
というか、あなたはもう、随分と前から完璧じゃなくなってますから(笑)

さて。今夜も一緒に美味しいもを食べましょう。

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