見出し画像

天皇賞春の歴史(マヤノトップガン振り返り)

天皇賞春は、長距離戦であり近年は有力馬が出てこないなど不遇な感がややありますが、かつては最強馬が盾をかけて真剣勝負する最高峰のレースでした。数ある伝説のレースの中で、私の思い入れのあるマヤノトップガンが勝った1997年の天皇賞春を紹介します。

首の使い方とソックスが印象的なMトップガン

マヤノトップガンは、栗毛の美しい馬体と左脚のソックスを持ち、元祖天才騎手・田原成貴が鞍上にいる姿が印象的でした。3歳時には菊花賞と有馬記念を制覇し、4歳で宝塚記念を勝利。しかし、ナリタブライアンやバブルガムフェロー、サクラローレルなどの名馬たちの影に隠れた存在でした。

4歳までの脚質は逃げ・先行一辺倒でしたが、5歳になると気性が落ち着き、控える競馬を覚えました。そして迎えた天皇賞春。当日はサクラローレルに次ぐ2番人気でしたが、前哨戦を順当に勝ちながらも評価は高くないのが彼のスタイルでした。

レースでは、ライバルが中団前方に位置取りする中、マヤノトップガンは後方に控える形を選択。上手くポケットに入れて折り合いがついた姿は、若いころの彼では考えられないものでした。レース終盤、サクラローレルが早めに仕掛け、連れてマーベラスサンデー(武豊騎乗)も早めに動いた時、場内はマッチレースを期待して大歓声が沸き起こりました。

一方、マヤノトップガンはまだ動かず、内で我慢。NHKの実況は彼が苦しいと表現し、関西テレビの杉本アナウンサーは「マヤノトップガンはいい感じではないでしょうか」と対照的な表現でした。

そして、早め先頭に立ち直線で攻防を重ねるライバル2頭に対し、猛然と大外から巻き返しを開始。早めに仕掛けたため脚を使ったライバル2頭を残り100mであっという間に交わしてゴール。当時の3分14秒4は衝撃の世界レコードでした。
最下位のタマモハイウェイでも従来の天皇賞春で勝ち負けができる優秀なタイムでゴールするなど、非常にレベルの高いレースでもありました。

ライバル2頭を一気に交わす胸熱シーン

マヤノトップガンは、この勝利で一躍注目を浴びることになります。名実ともに競馬界の最強馬となりました。しかし、成熟期に突入した彼の活躍が多いに期待された矢先、屈腱炎が発症し、残念ながら引退を余儀なくされました。

というのが私の記憶に強く刻まれています。ここまでwikiもほぼ見ずにスラスラ書けるくらい、強烈なインパクトを私に残した馬とレースでした。
世界レコード(後年ディープインパクトが更新)保持者は競馬界においても一際肩書としては光るものがありますね。

種牡馬としては、大物を出すにはいたらずやや物足りない形でしたが、洗練された現代競馬よりも個性派が多い時代において、マヤノトップガンは強さと個性の双方を持っていました。
パドックで元気ない方が走ったり、逃げしかできないと思ったら、実はとんでもない末脚を持ってることが後で判明したり、極めつけはやっぱり4歳のときの阪神大賞典かな。
あのときのナリタブライアンとのマッチレースは本当に本当に伝説のレースでした。見てない人は見てほしい。実況もすばらしい以下のYOUTUBEを堪能ください。

貼っておきますね。
https://www.youtube.com/watch?v=CDM5pJrijsY

どっちもブライアンズタイム産駒であり、どちらも年度代表馬。それぞれの意地と意地がぶつかり合う日本競馬史に残る伝説のレースでした。
いまでもたまに見返しますね。
再度いいますが、実況は、必ず宮本アナウンサー(KBS京都)の方を見てくださいね。ボルテージがあがってきた や 高低差1.7mの坂 のくだりなどレースの臨場感が実況ひとつで全然違います。今見ても興奮しかしないです。
それくらい、登場馬のストーリーと競馬場の雰囲気、実況が噛み合ったが至高の舞台でした。

今年の天皇賞春はどういうレースになるのでしょうか。ステイヤーの価値があがらない現代競馬にやきもきする気持ちが多いですが、それでも名馬誕生を願って今年も馬券買います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?