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ナマモノ禁止

3、握手

横山さんという男性は、子供の頃とても歯並びが悪かったという。
しかし、それは乳歯の時の話。
家族には大人の歯になったら矯正考えようね、なんて言われていた。

ある日、横山さんの下の前歯がグラグラとし始めた。
なかなか抜けないもので、いかんせん気持ちが悪い。
指で触って押し込んだりもしたが、歯の根元に筋がついていて取れなかった。
歯が不安定では、食事も気を使うし、歯を磨く時も気持ちが悪い。
数日我慢していたものの、横山さんは思い切って歯を回した。
かなり不安定な状態だったので難なく回せたが、まだ抜けない。
そのまま何回も回し続けると、口の中がだんだんと鉄の味で満ちてきた。
鏡を見ると口の中が真っ赤になっている。
あまりの大惨事に怖くなり、祖母のところに駆け込んだ。
「あれまぁ。仕方のない子だねぇ」
祖母は横山さんの口を見ると、糸を取り出した。
歯に括り付けて糸の端をドアノブに留め、扉を閉める勢いで抜歯するという昔ながらの方法だった。

祖母の気遣いか、何も伝えられず事があっという間に終わった。
気付けば歯がドアノブのところでユラユラとしていたという。
祖母はその歯の血を拭ってから「これを屋根の上に投げといで」と渡してきた。
理由を尋ねると下の歯を屋根の上に投げると歯がまっすぐ上に向かって生えてくると答えが返ってきた。

横山さんは素直に歯を投げることにした。
縁側から庭に出ると、勢いよく屋根に向かって投げる。
自分の歯が弧を描いて屋根に落ちた。
と、思った瞬間。
黒い腕が現れた。
それは落ちる寸前で歯を捕まえて、うんうん・うんうんと頷くように手首を振る。
そして手の中身を下に落とした。

すると、縁の下から同じような腕が出ていて、また歯を捕えた。
その手もうんうん・うんうんと二回頷くようにしてから、縁の下にスーッと消えていった。

――なんだ今のは。

縁の下の方を覗いてみたけれど、そこには何もない。
蜘蛛の巣だとかゴミだとか、あと奥の方に自分が昔なくしたと思ってた緑色のボールが微かに見える。それだけだった。

乳歯というのは抜け始めると次から次へと抜けていくものだ。
下の前歯が抜けてから数日後。
今度は上の歯がグラグラしてきた。
横山さんは先日のように無茶なことをして、祖母の世話になることになる。
歯を投げに行かなくてもいいように。
そう願っていたが、今度は「上の歯は下にまっすぐ伸びるように縁の下になげるんだよ」と言われてしまう。
横山さんは覚悟を決めてしぶしぶ縁側へと向かった。

庭には出ずに縁側に踏み台を置き、その上に乗った。
できるだけ縁の下から距離を置く形を取ったのだ。
縁の下めがけて大きく振りかぶる。
歯を放す瞬間、縁の下からあの黒い腕が伸びてきた。
そのまま歯はその黒い腕の手の中に納まった。
手はうんうん・うんうんと頷くようにしてからスーッと縁の下に消えていく。

そっと縁の下を覗く。
やはりそこには前に見た時と同じように埃っぽい土があるだけだった。

歯が抜けるたびに、その黒い腕を見ることになる。
投げれば投げた先にぬっと現れたのだという。
複数回にもなると感覚が麻痺して「そういうものだろう」と納得していた部分もあったらしい。
彼の口の中では、歯並びが綺麗に整ってきていた。

横山さんはある日、あることを試したくなった。
筆箱の中にあったチビた消しゴムを眺めているうちにイタズラ心が芽生えたのだ。
歯の形にして投げてみようと。
せっせと形を作り、屋根に向かって投げた。
やはり黒い腕現れ、消しゴムを受け取る。
いつものようにうんうん・うんうんと頷いてから下に落とす。
下の腕が消しゴムを捕まえる。
ここまではいつも通りであった。
手は、うんうん・うんうん・・・うんうん。三回頷いた。
そのままコブシを下に向け、手を開く。消しゴムを落としてから縁の下へ消えていった。
消しゴムを確認すると、それは作られた形ではなく、元のチビた消しゴムになっていた。

次は紙粘土で歯を作って投げた。
同じように上の手が頷いて落とす。下の手も受け取る。
うんうん・うんうん・・・うんうん。
やはりコブシを下に向け、物を落としてから消えていった。
落とされた紙粘土は、なんの形にもなっていない千切っただけの粘土になっていた。

――なんでちょっと戻ってるんだろう。

更に数日後、横山さんは自分を『戻して』もらおうとすることになる。
遊んでいて足を骨折してしまったのだ。
運動会も近く、とても悔しい思いになる。
そして、腕の存在を思いついた。
歯並びがよくなってきたのも、元の歯を戻して治してくれてるんじゃないかと。

横山さんは近くにあった消しゴムを持って、庭に行った。
縁の下の方に振りかぶる。
すると腕がぬっと出てくる。
すかさずその手と握手をした。

手が震え始めた。

まるで動いている洗濯機を触ったかの様な振動がした。
手は横山さんの手をギュッと握る。横山さんも負けじとギュッと握り返す。
腕が生えている、その先を見る。
いつもならぼんやりと見える縁の下。
そこはモヤがかかったかのように真っ暗になっていた。
闇の中から何か微かに聞こえ始めた。


ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう


生きてる


そのまま手は霧散するかのように消えていった。
その後何回も歯や物を投げたが、腕が現れることはなかったという。

結局足の治りが早くなることはなかったと話す横山さん。
その口元から見える歯並びは、すべて綺麗に揃っているようだった。

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